続:伊織+加藤美佳+木南晴夏+原田由美子+MEGUMI「テレ朝エンジェルアイ 南の島で大運動会」
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昨日 に引き続き、「テレ朝エンジェルアイ 南の島で大運動会」(←)のパブロック的音楽mixtureについて語りつつ、パブロック的mixtureから阪急平野文化圏よりも更に広大なアメリカ音楽mixture地図を描いてみよう。 blogをお休みしていた昨年(2008年)、私は女性ジャズ・ボーカルものを熱心に収集していた。特にfavoriteだったのが(今もだが)、ブロッサム・ディアリー(Blossom Dearie)、ヘレン・フォレスト(Helen Forrest)、アニー・ロス(Annie Ross)、ダイナ・ショア(Dinah Shore)ら才媛たち。彼女らは、 ・ブロッサム・ディアリー:スコットランド出身 ・ヘレン・フォレスト:ユダヤの血を引く ・アニー・ロス:両親はスコットランド人。ロンドン生まれ ・ダイナ・ショア:ユダヤの血を引く と一例に過ぎないが、いずれも所謂”被差別民族”である。言うまでもなく「アメリカは人種のるつぼ」なのであるが、アメリカ音楽(ひいては現代の音楽一般)は多民族文化のフュージョンという視点をもたないと語ることはできない。 ・ロック=アパラチア山脈のケルト文化+デルタ地帯のブルース (Elvis Presleyらにより融合される) ・ジャズ=ユダヤ人クレツマー音楽+ニューオーリンズ黒人ジャズ (ウェスタン・スウィングが絶妙な位置にある) ・ファンク=黒人ソウルミュージック+白人エレクトリックロック (偉大なるジミ・ヘンドリクス) おそらく全てが多民族文化ブレンドものだ。単一民族が文化を作ったわけでは、決してない。牧歌組合のテーマは「ジャンルを超えて音を楽しみ解析する。音自体に名札やブランドラベルは貼られていない」であるが、実は超えるべきジャンルの枠って、もともと無いのね。 「テレ朝エンジェルアイ 南の島で大運動会」の後半部分、水中コスプレ・バトルが展開され、木南晴夏嬢は水中でパンティストッキングを苦心しながら装着、ナース服を纏ったりするのであるが、その順位発表シーン(晴夏嬢は3位)のBGMとして流れる音楽が、アメリカ音楽のmixture性を如実に具現化していると思う。ポルカ(自:ポーランド)、クレツマー(自:ユダヤ)、カントリー(アメリカブレンド)、ウェスタン・スウィング(アメリカンブレンド)どれともジャンル定義できそうな音楽。クラリネット、シロフォンの音色を聴くことができる。伊藤大輔氏はこの音楽をどこから引用したのだろう。とてもセンスがいい。「ポルカしかないぜバンド」みたい。 その「カントリーとも、クレツマーとも、ポルカともとれる」魅力的なギター・フレーズを取り上げてみる。キーはCメジャー。
ハンマリングオンとプリングオフで、モタっと演奏するのが肝のよう。6小節目のフレーズは、ヤードバーズ時代のジェフ・ベック曲「ジェフズ・ブギー(Jeff's Boogie)」のソロのようである。そういえば、ジェフ・ベック自体がそのアドリブに「じゃじゃ馬億万長者」の(米カントリー)音楽などを引用しているのか。とにかく弾いてみて気持ちのよくなるフレーズだ。7小節から8小節にかけては、V7->Iで終止すればいいところに、敢えてIV(=F)の構成音をはさむことでアーメン終止(IV->I)の挿入を行っていて、ここらへんがカントリーっぽい浮揚感を表現しているようだ。音楽家はみな、多民族mixture文化のなかにいて、他民族文化の「発展的引用」に貪欲である。敬意。 本作品において16才の木南晴夏氏は、将来の夢に関し ・芝居、ドラマ、バラエティ等いろいろ経験して、いろいろできる人になりたい と語っている。貪欲であり、”具体的にこれから行うこと”を夢として語っている。伊織嬢が「CMやりたい」、加藤美佳嬢(仮面ライダー555 クレイン・オルフェノク)が「憧れられる人になりたい」と”結果としての夢”を語っているのと比べて、きわめて現実的・戦略的(いい意味でね)である。 橋本治氏が10年前ほどオウム事件を語った際、「本当に負けつづけた被差別民族(例:ユダヤ人)は、サリンを撒いて一発逆転をしよう、勝とうなんて考えない。それは長い目で見れば負けるに決まっているから。もっと現実的な戦略をもって、ひとつひとつ解決していく貪欲さを持っているはず」(大意)というようなことを語っていた。 「テレ朝エンジェルアイ 南の島で大運動会」撮影からの7年後の彼女のステータスを見れば、その聡明さ・貪欲さに感心すると同時に、木南姓に変えて潜伏する楠木一族の「執拗さ(by かしこ ではなくて司馬遼太郎)」、クレツマーやアパラチアン音楽の地道な戦い、20世紀少年の氷の女王やコンチの戦いなどの”粘り強さ”と同じ波長である気がする。ただ、このビデオで語られる
という計画は今も生きているのだろうか。 ■関連記事: 木南晴夏から楠木正成に至る
【このコンテンツは批評目的による元倉宏氏の音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。】 |