恵比寿にある東京都写真美術館(通称都写美)に行った。
学生の頃は、毎年招待券をもらえた世界報道写真展。
8月10日までだったので、ぎりぎりセーフ。
今までは毎年二階(だか三階)で開催されていたと思うけど、
今年は何故か地下に追いやられていた。
報道写真展だと人が集まらないんだろうか??
ちょっと前に世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい/森 達也を
読んだ影響もあり、いつも以上に
ズドーーーンと重くのしかかる写真展だった。
私たち日本人にとっては、
過去のもの、あるいは他人事のように感じられる
人と人が殺し合う行為、戦争。
しかし、今この瞬間にも、戦争は起こっている。
その影響で、家族を奪われる人や、
レイプをされて望まない妊娠をする少女がいる。
私たちにとっては、遠い国のこと。
でも、もしかしたら。
私が日本に生を受けていなかったら。
写真の中の人々のように、悲しみに暮れていたかもしれない。
絶望を感じていたかもしれない。
私自身が、被写体だったかもしれない。
そう思うと、写真の中の事件がぐっと近くになり、
鳥肌が立つほど怖くなった。
歴史を学ぶのは、過去から学ぶため。
残念ながら、人は過去から学んでいないことが多い。
だたら同じ過ちが繰り返され、戦争はなくならない。
多分、これからも。
それでも、無関心でいてはいけないし、
「知る」努力を怠っては絶対にいけない。
一人一人にできることは少なくても。
何かはできるはずだ。
If nobody goes, somebody must go.
ミャンマーの軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモを取材中
軍兵士に銃撃され、死亡した長井健司氏。
生前の彼の仕事の一部を、会場で上映していた。
上記の英文は、その中で流されていたもの。
報道写真には目を背けたい様なものもある。
現場の写真家は、作品の何倍も悲惨な現実を目にしているのだろう。
それでも彼らがシャッターを押し続けるのは、一体なぜなのか。
その答えの手がかりが、この一文にあるように思える。
愛の反意語は、無関心だと言う。
私の無関心が、誰かを傷つける出来事に加担しているかもしれない。
ダイヤモンドを欲しいと思う女心が、
戦争ダイヤモンドを生んでしまうように。