「新版呑川は流れる」
第4章 呑川の水
1.水質の変遷
(1)昔の源流、水質、利用
呑川という川の形が太古に生まれた頃はもちろん自然河川であり、人間の活動に左右されない川であったのだろう。 周囲環境も源流部は自然の森に囲まれてあちこちからの湧水が流れ込み、今の山岳部の渓流に近い水質であったことであろう。 下流になると東京湾に向かって多摩川を中心に三角州や湿地帯を含む平地をゆるやかに流れ、東京湾に注いでいたはずである。
人間生活の影響を受け始めるのはいつ頃からなのだろうか、それまでは上流部は武蔵野の森の延長の森に囲まれていたことは容易に想像がつく。
人の影響を受けた呑川でその水の利用は明
治時代以降も周りの森や畑、そして下流部
の田んぼの水源として、六郷用水と合わせ
てうまく利用されていたようです。
この時までの水はまさに自然水であり、下
流部で田んぼの悪水が流れ込みはしたが、
そこそこの清浄さを維持していたと思われます。
(2)戦後の都市化と水質の悪化
呑川の上流部周辺が急速に変化してきたのはやはり戦後の復興期から高度成長期にかけてになる。 特に大きい変化は雑木林であった森が住宅地などに市街化される変化でした。 昭和40年代ごろから世田谷区や大田区の呑川上流部の急速な住宅地化が進んだようです。 そしてそのことによって、各戸の下水が未処理のまま最寄りの河川に流れ込む事態が発生して来ました。これは上流部に限らず下流地域も同様でした。 下流域は畑や田んぼからどんどん宅地化が進み。結果はどこの都市河川も多摩川ですらも汚濁し、泡立ち現象が各箇所で見られる風景が日常化しました。
東京の下水道の普及工事が始まったのは、1887(明治17)年からですが、下水道の普及が終わるのは1995(平成7)年になります。 それまでの間、特に終戦後の復興期から高度経済成長期にかけては、呑川もドブ川となって行ったのです。
・下水道の普及と源水の枯渇
戦後、宅地化の波に合わせて上流周辺地域の林や畑はどんどん宅地化され、汚水の流入が増えた時期がありました。 さらに下水道の普及工事が急がれ出すと、汚水の直接の流入は減る傾向になって行きましたが、今度は雨水も含めて流水量全体が減り、流れがよどみ、多少流入する汚水とともに最悪の汚染河川となって行ったのです。
(3)下水処理水の導入による改善
流水量の枯渇と汚染を防ぎ、本来の川の流れを復活すべく1995年(平成7)年に東京都下水道局において清流復活事業が行なわれました。これは他の目黒川、渋谷川の2河川と共に新宿の落合水再生センターからの下水の高度処理水を導水管を敷設して流す事業です。 呑川には36,300?/日の処理水が現在の東京工業大学付近の導入口より毎日流されています。
このことにより、決して川としては多量の流水とは言えない量ですが、水質としては見た目にもきれいで、一応清浄な流水の復活が上流から中流域の久が原地域までは達成されています。 池上地域より下流域は海からの潮の影響を受ける地域なので流水量の問題で比較的に効果は薄かったようです。それでも昔を知る人はだいぶきれいになったという人が多いのです。 この処理水の水質については左記記載の再生水の水質比較表を見ていただきたい。 鮎が住める水と言ってよい水質です。 しかしながら、処理水の特徴である燐や窒素成分が比較的に多く含まれており、植物に対して冨栄養化水と言えるのです。
その影響については後述します。
(4)下水処理水の影響
呑川の源水の構成は正確に測った記録はありません。しかし、通常時では95%ぐらいは処理水で、残りが洗足流れや途中流れ込む少量の湧水(地下水)と思われます。よって呑川の水質はほとんど処理水の水質と考えても良いのでしょう。 前述の通り成分は表-○○より窒素分と特に燐成分が多い水質となっています。このことによる影響として、良い面としては呑川の植生や生き物を豊かにしている効果に注目する必要があります。 燐は水生植物である藻の成長栄養素の重要な一つなので窒素と合わせて藻の発生と成長を促進する働きがあります。このことによって、まずは中流域から上流部のコンクリート河床面に多くの藻が育ってくることになります。
藻の中にはいわゆる水苔と言われる物に付着して育つ小さなものもありますが、これらを主食としているのが、カルガモ等のカモ類であり、呑川に比較的に多くカモが集まって来る主な理由はこの藻類の多さにあるのです。 よく頭を沈めて呑川の川床を漁っている姿が見られます。次に呑川に季節によって大群で泳ぐ姿が見られる魚としてボラがあります。 ボラは草食で同様に川床や側壁の藻を漁っている姿が観察できます。そしてこのボラ達を狙ってやって来る鳥が肉食のサギ類であり、カワ鵜達です。このように呑川の水質の欠点である燐や窒素が多いこともあながち問題ではないように見えます。
次に悪い影響について述べると、この藻が多く発生することにより、特に上流域の河床に水草が生え、また藻も付着した環境はユスリカの格好の産卵と幼虫の生息場所になっています。このため中流から上流域において春、秋を中心にユスリカが多数派生し、周辺住民の生活に不快な影響を与えていることは重大な問題です。そしてこの問題の軽減化を図るため、現在、大田区では特にひどい地域を中心に川床の機械清掃を定期的に実施したり、捕虫器を設置したり、多額の予算を使って対策を行っています。
(5)下水からの「越流水」の流入
もう一方で呑川の水質を決めている大きな要素があります。 それは降雨時に直接、周囲
下水道管から、生下水の流入が頻発することです。 この事象を下水道業界では「越流」と
言いますが、詳細は以下の要因によって起こるものです。
・東京都内の8割は「合流式」下水道方式を採ったエリアであり、呑川周辺もほとんどこの
方式を採用しています。
・この方式は、通常時は門題は生じませんが、降雨時に雨水が多くなると未処理下水を処
理場まで運ぶ導水管の容量を過大に確保できないために、付近の河川に溢れさせること
によって維持する方式となっているためです。
・このため呑川では約5、6mm/h以上の雨が降った場合には下水道管よりこの越流が起こ
り、川に未処理下水が多量に流れ込むことになっています。
この越流の回数は年によって違いますが、だいたい年間50回以上も発生し、都度川を汚し
ています。 この越流水はその度に下水管に付着した汚物を雨水で流すことになるので、
最初に流れ出す水が特に汚く、 川を汚すことになります。 上流部では雨が収まると比
較的に早く汚物は原水に流されて行きますが、後で詳述する中流域では地形的条件もあり、
川底に溜まり易く、さらに厄介な汚染問題を引き起こしてしまいます。
(6)水の利用の変遷
昔と今の呑川の水の利用を考えてみると、江戸時代もしくは明治時代より以前は上流部は森に囲まれた武蔵の大地の延長で水も湧水を中心とした水であり、近くの村落では飲み水として利用されていたと思われます。 池上より下流域では、畑や水田が開かれ六郷用水と合わせて、農業用水に主に使われていました。また水田の悪水の排水にも使われてもいました。 また当然、川には魚たちが群れ、子供達の遊び場になっていたと思われます。
ところが、現在は川の水自体の利用は一切無く、川は降雨時の下水や雨水の排水機能を担うだけと言ってもよい有様です。
2. 現在の水がもたらしている環境
(1)上流域の水環境
前に述べた通り上流域の水はほぼ処理原水のままと言ってよく、越流がある短時間を除け
ば比較的清浄な水で、鮎も住める水と言っても良いでしょう。 実際にアユの稚魚の遡上
も確認されています。
ただ処理水であるために、若干の下水臭が日常的にする他、越流後はさらに下水臭が強く
なる状態は問題点として残ります。 また前記のユスリカによる生活公害も春、秋を中心
