おおのブログ

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因果応報ってありますよね。

いい事をすればいい事が起きて、悪い事をすれば悪い事が起きるというあれです。

仮に良い事をしたら、明日良い事が起きるとしましょう。もちろん、悪い事をすれば、明日悪い事が起きるということです。


そうすると、みんな、良い事をしまくるわけです。でも、それで良い社会が作れるのかっていったら、全く逆だと思うんです。


内心悪い事を考えていても、自分に良い事が起きるから良い事をすることになると思うんです。言い換えると、自分の利益の為に良い事をし出すわけです。内面が悪人だろうが、善人だろうが、良い事をしまくる世界です。薄っぺらくて、社会に、正義感の欠片も育ちません。正義感を持つ必要がそもそもありません。それって正しいことかな?って疑問も持つ必要もありません。


これじゃあ、悪い世界になってしまうことが目に見えています。じゃあ、どうしようかと考えた時に、それでも因果応報は機能させたいと思うとしたら、どのような方法があるでしょうか。


それが、因果応報は働かせるんだけど、いつそれが返ってくるかは分からなくしたんじゃないかと、そう思うんです。もちろん、明日かもしれないし、1年後かもしれないし、10年後かもしれないし、死後かもしれない。こうする事で、確かに返ってくるんだけど、いつ返ってくるか分からないから、自分の利益の為に良い事をすることは出来にくくなります。なぜなら、なかなかそのことが目に見えて分からないから。その良い事が、いつやった良い事が返ってきたかは分からないから。


また、その人が本当に良い人かどうかを試す事もあります。例えば、悪い事であるんだけれど、でも実際に得をする方法であり、尚且つそれでお咎めを喰らっていない、そんな人が現れたとします。つまり、全てにおいて、悪い事と分かっているという事を除いては、自分にマイナスになるような事が無い方法をチラつかせるんです。


ここで、人間は二手に分かれます。一方は、その方法を活用する人。もう一方は、その方法を知っているんだけど、活用しない人。


得をするのは、最初は前者です。理不尽だけど、わざと理不尽なことを起こすんです。そうすると、人は二手に分かれますから。


何故、悪い事に手を出すかっていったら、得をするからです。だから、最初は、悪い人が勝ちます。じゃないと、悪い人が釣れないからです。だから、わざとチラつかせる必要があるんです。


そして、因果応報が起こります。正義は最後に勝つ理論は、正義は最初は負ける理論と同義ではあるんです。じゃないと、その人の正義が測れないから。


実際はもっと複雑で、例外も沢山あると思います。その例外も必要なんです。だって、正義がいつも最後に勝つって分かってたら、誰だって最終的に正義ばかりに付くからです。それじゃあ、最初の薄っぺらい正義の社会と一緒です。


勝つかは分からないけど、それでも正しいと思う方向に行きたい、そういう精神を持った人が増えていく、または、本当に何が正しいんだろうって、自問自答していく人が増えて、みんなでそういう課題を考えていこうとする社会にするには、こういう方法〔因果応報がいつ返ってくるかは分からない世界〕が一番だったんじゃないかと思います。


本当に正しいことをやった人が必ずうかばれるとは限らないからこそ、正しくやろうとすることに価値が出てくるんだと思うんです。


それでも世界は因果応報が働いています。とてもよくできた、いい世界じゃないかなと思います。