《企画》

人の心に残るドラマには哲学があると思っている、という遠藤氏。

「ちゅらさん」には開始早々亡くなってしまった和也も出てきたが、

現場で繰り返し言われていたのは命は大切だ、ということ。

常に念頭に一つの考えがあって作っていれば、その哲学は台詞になっていてもいなくても、

受け手に伝わるのではないかと思っている。

当時小4の息子さんがいて、子育てに苦慮するようになっていた。

(だんだん自分に似てきて失言が多い、なんてこともおっしゃりつつ)

自分が親に言われていたような叱責をしていることに気づく。

親に言われたことで「これは伝えよう」「これはやめよう」と、自然に選んでいる自分。

もしかしたら自分の親も、そういう風に思って自分を育てていたのか。

もしかしたらその親も、そのまた親も。

そんな風にバトンを引き継いできて、今度は子どもがそれを引き継いでいくのかもしれない。

塗り箸、300年の伝統芸能、そして親子関係も

そうやって伝え、育て、受け継いできたのではないか?

当初、「落語」という企画は立ち消えていた。

「あー、お茶がこわい」

遠藤さんは食後、こんなことを言うお母様のいるご家庭でお育ちになった。

「今何時?」を「今、ナンドキだい?」と聞くような。

ご父母の世代はごく自然に、落語の台詞やオチをみんなが教養として知っていたらしい。

遠藤さんご自身は落語が好きでも何でもなかったが、そういう家庭に育っていたので

結婚後ごく普通に、「あー、お茶がこわい」と言ったら

「どうして怖いの!?」という奥様のリアクション。

ご自身が世間の共通認識だと思っていたことが、実はそうではないらしいと気づく。

「こう言うと藤本さんは怒るけど…()

曰く、藤本さんは「落語おたく」。i Podには落語ばかり…とか。

「好き過ぎて、知らない人が見たら訳の分からないものになってしまう」

と、懸念を口にする藤本さん。

それに伝統芸能を極めるという話は、一般にはなかなか共感を得られない、とも。

いまどき徒弟制度でしかプロになれないという業界は極めて稀。

でも…落語を知って悪いことは一つもないし、みんなが共通して落語を認識する世の中は

やっぱりちょっといいよな、という思いに至る遠藤さん。

そこに「大阪繁昌亭、関西初の常打ち小屋の完成」というニュース。

「え?今までなかったの?」と。

上方落語の存在は知っていたし、三枝さんや鶴瓶さんは東京でも活躍している。

当然常打ち小屋は存在するものと思っていたのに…。

そこで兄弟弟子が協力し合って常打ち小屋を建てる、という話にしようと決めた。

伊勢田、藤本、遠藤、三氏で合宿を行い、企画を詰めていった。

そこで話された遠藤家のそんなエピソードが、その後あんな風に活かされていたとは…。


《つづく》