久しぶりの更新です。
なんとなく書きたくなったので書きますがテーマというか要点が定まっていないのでそこらへんはご了承ください(苦笑)
今はもう春休みに入っているのですがつい先日までサークルの合宿に行っていて、2月いっぱいは大学で補講があるのであまり休めていません(泣)
相変わらず親しくし過ぎず、冷たくし過ぎないように人と接するようにはしているけどなかなか難しいです。
この頃はもうあんまり暗くなることもなくそれなりに笑えるようにはなりましたが、それがかえって周りからは何も考えてない馬鹿にみえるようで、相手と上手く関係を築くというのは未だによくわかりません(笑)
俺自身は既に乗り越えているのですが、友達の中には今更自分のアイデンティティや恋愛事、人との関わり方に悩み始めた奴も結構いて、適当に受け答えしてると感心されることもあって、今となってはくよくよ悩んで生きてきたことも無駄ではなかったんだと思っています。
決して納得できる明確な答えが導き出せたわけではないですし、かといって諦めたわけではありませんが、そういう思い悩む自分とそうじゃない自分にきちんと折り合いを付けて日々の生活を疎かにしなければ案外すっきりした気分でいられるものです。
人を傷つけることが怖いとか、人に傷つけられるのが怖いとか、そういう恐怖や不安は絶えないし、今も自分を許せないままだけれど、それを悔やみ続けるだけでは生きていけません。
苦しいから、辛いから、寂しいから、やりきれないから、だから俺は敢えて笑顔を見せられるように、暗い気分に誰かをさせないように精一杯前を向くようにしています。
自分の弱さや醜さ、愚かさを嫌というほど知って見てきて、苦しんできたからこそ、そういうのを自分以外の誰かに悟られないように、気づかれないように必死に隠し続けるんです。
自分や周りの人が望んでいる自分になりたい。
ただひたすらそう願って毎日を過ごしています。
俺には誰かを笑顔にする力や魅力はありません。
誰かに求めてもらえるような立派な人間でもありません。
でもだからこそ、いつでも自分より相手の今とこれからを優先できるような人間でありたいと思っています。
大切な人すら守ることが出来なかったのだからそんなの無理なのかもしれないけれど、この想いすら捨て去ったら俺は本当に自分を嫌いになってしまうから。
所詮は己のエゴだとしても、俺は心からそれを望める自分を好きでいたい。
自分より自分以外の誰かのことを本気で考えることができるなら、もしかしたらこの痛みも少しは和らぐかもしれない。
みんなの笑顔がみたいから、俺は委員会のチーフとして必死に頑張っているし、みんなの笑顔がみたいから、他人の家の前まで雪かきをする。皆の安心安全を願うから、責任を持って行動する。
誰かが見ていてくれるわけではないけれど、自分が企画したことで喜んでくれる人のために、道が凍って滑る人が出ないように、心からそう思って大変でも最後までやり抜く。
そうした結果、たった一言、ありがとうって言ってもらえた時、自分が生きていることを許されているって思える。
自分が笑えなくても、楽しくなくても、目の前の人が笑っていてくれる。喜んでくれて、感謝される。
この一瞬のために生きたいってそう思えることはきっと幸せなのだと思います。
だから俺は笑いたいって思ってます。
楽しくなくて笑えなくても、誰かの笑顔を見て気づいたら自分もいつの間にか笑えてる。
そんな些細なことだけど大切なことをこれからも望み続けていきたいです。
誰かのために頑張れる。
色々なものを失ったからこそ、今の俺にはその素晴らしさがよくわかります。
人は確かに人を苦しめたり傷つける。
けれどそれだけじゃないはずです。
たしかに今は信じられないかもしれません。
綺麗事だって、偽善だって、突き放すかもしれない。
けど、どん底に落ちればきっとみんな気づけるはずです。
何より価値のあるものがなんなのかってことに。
友達と毎日バカ騒ぎしながら友情を深めること。
恋人と同じ時間を過ごし愛を育むこと。
家族と長い時間を共に生きて絆を強めること。
あらゆる行事、あらゆる記念日、どんな時もどんな場面も、その人のためにあるその人だけの権利があります。
当たり前だけれど、どんなことより大切でかけかがえのないもの。
それは、平凡でありふれた日常です。
毎日がその人だけの特別な一瞬である以上、それは守られなければなりません。
俺はそういうものを大切にできる人間でありたい。
ひっそりとでいい。誰かに注目されたり褒められる必要なんてない。
ただ、自分が満足したいだけなのだから。
みんなが今日も笑っていられるように。
誰も悲しい思いをせずに過ごせますように。
そう祈っている自分をただ、好きでいたいだけなんです。
何回も誰かのために必死になって、そのうちの一度だけでいい。
ありがとう、って、そう誰かに言ってもらえることが出来たなら俺はきっとまた明日も生きていたいって思えるはずです。
大きな夢も、具体的な将来もまだわかりません。
今はただ、遠くから目の前の大切な人達の楽しそうにしてる光景を見ていたい。
それだけで嬉しいんです。
たとえ、その中に自分が入っていなくても。
だってその人たちはきっと、俺が今ここにいるってことを知っていてくれるから。
悩んで苦しんで泣いて叫んで死にたくなって、痛くて逃げ出したくなって、ひたすらそれを繰り返す人生でした。
まだ19年しか生きてないけれど、うんざりするほど人を憎んできました。
だからこそその虚しさもやりきれなさも知っています。
俺の言葉には深みがないけれど、それでもこのつたない言葉で誰かの何かを変えてあげられるならきっとこれまでのことも意味があるはず。
そう考えられるようになったから俺は馬鹿にされても笑ってみんなと接することができるんです。
人生はまだまだこれから先わからない。
だからこそ悩める時に悩めばいい。
考えられる時に考えればいい。
正解は自分で決めればいい。
少なくとも俺は自分の理想がきっといつか誰かに受け入れられて素敵なことだって思ってもらえるって信じてます。
電車に乗って開く扉にもたれ掛かり音楽を聴きながら窓の外の綺麗な景色をぼんやり眺めていた時、ほんの僅かだったけれど幸福だったあの頃の懐かしいメロディが不意に耳から聴こえてきて気づいたら頬を涙が伝ってる…。
そんなふうに自分にもまだ愛せる大切な過去があると実感するたびに俺は頑張ろうって思っています。
俺はまだ生きている。生かされている。
五体満足で五感も正常に機能しているこの恵まれた身体を誰かのために活かしたい。
そんなふうにも思っています。
今日も明日も明後日もこの気持ちを忘れないで過ごしたい。
そして少しでも多くの人が今日もまた無事に幸せに過ごせますように。
どうせならそんなふうに思っていきたい。
人の幸福を祈ることが出来るのも人間なのだから。
また話が脱線してすいません。
それではまた気が向いたら更新します。
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