安くてよいものを買いたいというのは、世間一般の人々が思うことだと思う。よいものを出来るだけ安くとか、安いものでも出来るだけよいものを買うとか、、、
売る側も、よいものを出来るだけ安く提供したい!を追求し、100円shopが生まれたのだと思う。
それは、すごく結構なことだ。
僕も、ちょっとした日用品は近くの100円SHOPで済ましている。
安いことが一番大事で、品質はそれなり、それで事足りるということを、我々は知ったんだと思う。
物って、店頭にならぶまで、いろんなプロセスを経てきているわけですよね。誰かが作ることを
決めて、設計して、部品調達して、組み立てて、試して、誰かが売ることをきめて、、、
世の中に品物があるだけ、そういうプロセスがあって、それに携わる人々がいて、、
で、売れれば、それに携わる人が生活できる、、そうやってよのなか回っているじゃないですか。
昔は、それが国内でまわせたけど、いまは世界中を巻き込んで、そういうプロセスが回っている。
何十年も前、産業の空洞化という言葉を習った。小さかった僕にも、意味が分かった。
そのとき、みんな言っていたのは、体を使って設計図のとおりに作るのは賃金が安い外国、
新たなものを生み出すのは日本、だから、新しくて革新てきな物を君たちは、いつも生み出さなくては
いけないんだと。
確かに、理想的なかたちなのかもしれないが、僕は、そもそもこの考えが社会に受け入れられている通念なのか疑問であった。だって、人間そう間単によいアイディアなんて浮かばないし、現実的な優れたアイディアは、頭と体と心をフルに使ってしぼり出すものである、と思っているからだ。設計図の通りに、実際にモノを生産し続け、その中から改善が生まれ、新しい何ものかが産み出される、ほら、昔の日本では、でっち奉公して技術を習得し、技術やナレッジが蓄積され、新たな発明がなされてきたじゃないですか。でも、そーいうのをやめて、いきなり親方になろうとしちゃったんだね…
で、でっちだった国々が力をつけ、それだけでなく、人材の層も厚くなりいまや親方を追い越した、そんな感じだ。
僕は、今の日本に必要な事は、革命的な技術革新とそれらを育み産み出す土壌、すなわち海外に広めてしまいちりじりになった製造業、マニュファクチャリングの日本における復権ではないかと強く思う。
なので、安さだけにめをむけちゃだめで、もっと大きな所に目を向け選ぶことも大事と思っています!
