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気が向いたら更新します。

うわさもあったかな?大槻君の神戸移籍が発表されました、
残念です、日本端子の社長の推しメンでした、昨年の日本端子スペシャルデー
には都饅頭さんとコラボで大槻君の似顔絵を焼き印してもらい、スタジアム来場者と、日本端子社員に配布しました、写真をあげておきます。
社長も残念がっていました、岩手の工場にも子供たちのスクールイベントに来ていただき(菊池大介君も一緒でしたが)、帰りの新幹線が一緒でお話をしてかなり気にいったようで、それから大槻君を応援していたようです。
また、2015年の日本端子スペシャルデーで1点取った時も社長は喜んでいました。
神戸へ行ってもほかの湘南卒業生のように頑張ってください。

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2017年あけましておめでとうございます。
なんだろう、歳を取ると正月なんて昨日の朝と何も変わらないです。
まあ、うちが酒飲むこともなく、おせちもなく、もちもなく
初詣に行く習慣もなく、正月を感じなくなくのも当たり前かもしれません。

今年はベルマーレのJ1復帰、阪神の今年こその優勝、そして自分本人としては
体調が以前のように体力が戻り、普通に生活が送れるようになりたいです。

発表されました、名古屋から野田選手、柏から秋野選手、FC東京から秋元選手
復帰が発表されました、秋野選手はレンタルですけどなかなか評判は良いようですね。あと愛媛の表原選手、新加入では早稲田の後藤選手市船の杉岡選手もいますから、なんか楽しみですね、とりあえず選手権の市船応援しましょうか。
また、レンタルに出ていた選手(宮市、安東)も戻ったりしてますのでそれも成長ぶりが楽しみです。
1年でJ1に戻りたいですね。
今年の天皇杯はクリスマスイブまで引っ張りました、準々決勝まで行けました
惜しくも敗れはしまたが、延長戦までよく頑張りました、本当にもう少しでした

そのもう少しが降格の原因なのかもしれません、そして、本日、かねてよりうわさがあった、菊池大君と、三竿君の移籍が発表されました、菊池君は確実にミスターベルマーレの継承者だと思っていましたが、遠藤君と同じ浦和に持っていかれました。三竿君は永木と同じ鹿島です、お金持ってるチームはいいよね、ほかのチームで育ったら買い取ればいいんだから、弱小貧乏チームは毎年とられるばかり。
来年昇格できるのかどうか…。
後は長谷川君が残るのかどうか、そういえば大竹君も岡山へ移籍しました、あまり使ってもらえなかったから仕方ないかなって感じです。
たいした補強もなく来年頑張れるといいですけど。
市船から新人も入るようだし、レンタル移籍の選手も帰ってくる人がいるようです。日本端子もサポートコーポレーション続くといいな。

来年も
SHONAN×FUKUSHIMA フットボールフェスティバル     2017 Presented by日本端子 1月29日(日)に開催決定!
来年も我が日本端子が協賛してfukusimaとの対戦があります
この試合ではベルマーレのユニフォームの胸に日本端子の文字が
入ります、ちなみに背中にはPILOTさんのロゴが入ります。
来年のシーズンユニフォームは日本端子はいるのだろうか?

http://www.bellmare.co.jp/161097
手術後10日から14日で退院と計画されていたが、糖尿病の薬の量の調整と
ワーファリン(血液サラサラの薬)の効き具合(飲む量)の調整に1週間かかったので実質術後3週間で退院となりました、待ち遠しかった退院なのに、いざ
退院となると、不安になりました、食事のこと、体調のこといろいろ不安でした。
食事は、栄養相談を受け、塩分とカロリー量、糖分についてレクチャーを受けました。

ご飯は1食120グラム、食塩は2グラム、ラーメンはつゆ飲むな、マックは月に
一度程度、たべていけないものは薬の効きが悪くなる納豆、青汁、グレープフルーツジュース、他は食べ過ぎなければなんでも食べれる、でもカレーは具だけすくって食べてねだって、それってカレーじゃない。
どうもドライカレー的なほうが良いようだ。
お寿司はネタのほうに醤油をつける、シャリには醤油をつけないように、
できれば霧吹きのような醤油さしで。
さんまには醤油をかけず、カボスなどで香り付けして食べる、鮭は甘塩、あるいは生鮭、パン類うどんは塩分が多いからなるべくご飯を食べる、などなど、何喰えばいいんだといいたくなる。
女房は、塩分カロリーを調整されてる冷凍食品のおかずのプレートみたいなのを
注文している、最初はうまく感じたが、最近は慣れたせいかあまりおいしくない
毎日夕飯はそのプレートにご飯、朝はご飯に子供のお弁当のおかずの残り。

と言いつつ1か月が過ぎ…
市民病院の検診があり、車の運転もしてよいということになり、さっそく
運転してみたが、センターラインを対向車線側にはみ出し、すげー怖かった。
それを長男に見られて、女房にチクられた、誰も一緒に車に乗ろうとしない。
まあ日柄物で段々と慣れてきた。

運動がなかなかできず、体重は2キロ増えた。
会社にも復帰し最初の1週間は午前中勤務、翌週からは通常に勤務することとした、たいしたことしていないがやはり疲れる、朝起きれない。土日はぐったりとする。
お昼は会社でヘルシー弁当、ご飯三分の二、あるいはコンビニのおにぎり一つに
野菜サラダ、野菜は毎食食べろと言われたが、野菜ジュースでごまかしている。

まあこんな感じでこれから過ごしていくのだろうと思う、いつまで食事に気を付けられるか、ある人は1年がいいとこかな(心臓手術経験者)ということだ。

ただ続けないと命が短くなる、頑張って続けよう。

…そういえば、突然手術の話で、どうしてそうなったのか書くの忘れていました
それは2016年7月16日の朝でした
起きたら左手の感覚がなく、左手を頭の下に入れて寝て(よくやる)いたのでしびれていて、そのうち治るかと思い、二度寝をしてしまいました、たまたまその日は定期的にかかっている病院に行く日でした。
そろそろ起きて支度しようと思い起き上がろうと思ったら、左足に力が入らず
立てませんでした、よろけてベットの上に尻もちをつき、バキッとベットの枠組の木が折れました、何とか立ち上がろうとベットの端に手をかけて力を入れると
左手が全く感覚がなく、また転げました、今度は右手で体重を支え、何とか立ち上がりましたが、やはり左足に感覚がなくどこかにつかまらないと立っていれませんでした、そんなこんなで、バタバタとしていたら、1階から女房がその音を聞きつけ、「どうしたの?」と様子を見に来ました。
これまでの経緯を説明し、着替えも一人ではできない状態だったので、着替えをさせてもらい、次男の肩を借りて階段を下り、女房の運転で、病院まで行きました、
先生に話をすると、市民病院に確認を取ってくれて、看護師さんが車椅子で市民病院まで連れて行ってくれました(その個人病院から市民病院まで150mくらい)土曜日だったので救急扱いで当番の先生に診てもらいました、CTスキャン
MRI、レントゲン、点滴、いろいろ検査されて、先生から脳梗塞ですね、入院
しましょう、と言われ、左側の手足の感覚が薄い程度で収まっていますが
しばらく様子を見ないとどこかに影響が出るかもしれませんと言われ、
その日から入院することとなりました、翌日脳神経の主治医にラッキーでしたね、症状が軽くてついてますよ、(16日当日は手術中で会えなかった)と言われ、検査の結果画像などで説明を受けた、右の後頭部あたり?が白くなっていた
脳梗塞が起きてから時間がたっているので、今からは梗塞部が広がらないように
血液をサラサラにして様子を見るしかない、手足のしびれはリハビリで徐々に
直すしかないですよと言われた、このころには手足はおおよその感覚は戻り
手の薬指と小指以外は感覚が戻てきました、足は自力で立ち上がりバランスが
とれるほどで、自力でトイレに行けるようになりました。
さらなるショック
夕方になって、先生がちょっと太っているので、心臓の検査をしておきましょうか、と言われ
心臓エコーの検査をしました、その結果を見て先生が、大変だよ、頭だけじゃなかったよ、心臓も梗塞してるよ、と言われました、循環器の先生と話をしてみるといわれ、翌日の午前中には、循環器の先生と話をした結果、先に心臓が梗塞を起こし、梗塞した部分の内側に血栓ができて、その端っこが脳まで運ばれ脳梗塞
を起こしたと思いますと言われた、ショックだった、脳梗塞だけでもショックなのに、心筋梗塞もおこしていたとは、自分はほかのデブとは違う、梗塞なんて
起こすものかと思っていたのに、やはりただのデブだった。

転科
心筋梗塞が分かった日の午後脳神経から循環器内科に転科しました。
隣の一番古い棟へ移りました、循環器の先生が、ラッキーでしたね、脳梗塞で
3~4割の人がなくなって、心筋梗塞でも3~4割の人が亡くなるんですよ
と言われ、人生のツキを使い切った気がしました。
通常なら、梗塞を起こすとかなりの痛みがあるはずですが、と言われたが
そんな痛みは覚えがなかった、そしたら、じゃあ糖尿のせいかなと言われ
糖尿の人は痛みがわからない人がいるといわれた、先に知っていれば
もっと気にしていたが症状がないままなので…ん?ちょとあったか?
そいえば痛みはなかったが、梅雨に入ったころ気持ち悪くて、ちょっと運動すると息切れがして、という感覚があった、それが症状だったのだろうか?

さらにどういうこと?
どうも心筋梗塞もおこしてから時間がたっているようで(気が付かないから当たり前だが)梗塞を起こした心臓の中に血栓(血液のかたまり)できていているということでした。
数日後、心臓血管のカテーテル検査があり、3か所ほど血管が詰まりかけている箇所があり、やろうと思えばステントを入れて治療もできたが、まだ若いから
これから先のこと考えると、バイパス手術をしたほうがいいということでした。
ただ、血栓があるので手術は今はできない、市民病院は心臓が動いたまま手術をするので、手術中に血栓の端が飛ぶと内蔵に血がいかなくなったり、また脳梗塞
になったりします、まずこの血栓を溶かしてから手術しますということで
1か月以上かかるかな、一度退院してもいいですよと言われ、家族、親戚に
話をすると女房が、帰ってきても困る、ベット壊れたままだし、ご飯が作れない
(カロリー計算した食事)、倒れても困るから病院にいてということで、入院を
続けることとなりました。

もっとどういうこと??
1か月が過ぎて、エコー検査をすると、まだ血栓は半分しか溶けてなく、また家族の意見により、入院を継続することになりました。さらに1か月がたち9月28日でした
エコー検査をすると、残念ながら血栓は消えきれてませんと言われ、まだ入院か?
と思っていると、先生が、心臓血管外科の先生と協議した結果、いつまで待てば
消えるかわからないし、もしかしたら消えきらない可能性もある、それなら
昔のように、心臓を一度止めて血栓を吸い取り、バイパスをつなげ、壊死した部分を縫い合わせる(縫いあわせは状況によって)という方針が出されました。
ただ一度心臓を止めるのでリスクはありますということでいた。
は?
いやいや、今まで何のために入院してきたの?って感じ
最初からそうしてくれたらこんなに入院する必要はなかったのに・・・と
思ったが、口にはせず。手術を待つことに。

つづく









10月20日に手術が決まりました、結局心臓内の血栓は薬では消えきれず
このまま待つより手術をしましょうということになって、実行となりました
はじめは心臓が動いたまま手術する方針でしたが、血栓があってはそれはできない
ということで、昔のような心臓を一度止めてからの心臓内の血栓を吸い出し、
3本のバイパスをつなぎ、さらに壊死した心臓の筋肉を縫い合わせてしまう、
いわゆる左心室形成手術?をしました。朝10時から夜10時までかかったそうです、自分は麻酔で寝ているのでさっぱりわかりませんでしたが…。

目が覚めるとCCU(心臓集中治療室)にいました、病室とは違い、イメージ的に
まぶしいくらいの白で、大きな部屋のまんなかにナースステーションがあり、
そこから全室が見えるように、ナースステーションの周りにベットが並び
隣のベットとは仕切りがあり、ドアはなく、カーテンがドア替わりでナースステーションと仕切るかんじになっていて、基本昼間はカーテンは開けっ放しなので
ベットを起こしておくと看護師さんと目が合う感じです、体中からいろんな
チューブが出ています、点滴も含めて。
胸の真ん中をさいて手術をしたので、かなりの傷があります、肋骨も切り裂かれているようです、またバイパス用の血管を左太もものつけねから膝までの間に
3か所採取して縫い合わせた跡があります、でも不思議と痛みはほとんどなく
寝ている体勢を変えるときに痛みがするくらいでした、それよりあまり動けなかったので、お尻のほうが痛かったです。

術後2日目から食事が始まり、でも最初は食欲もなく、デザートのマンゴーだけ
食べてみましたが、そっくり吐き戻してしまいました、吐き気止めの注射をしてもらい、次の食事からは戻さなくなりましたが、食欲はなく、三分の一程度しか食べれませんでした。

また同日から、看護師さんにハイ、立ってみてって言われて、リハビリが
始まりました、最初は立つことも自力ではままならず、また、立たせてもらったのに、目の前がクラクラして自力で自分の体が支えられず、初日は歩くのをやめました。

翌日、ハイ立ってとまたまた言われ、看護師さんの肩を借りようやく立ち上がることができ、昨日とは別人のような感覚で、自力で立っていられ、少し歩けました。20mくらい。
しかし、いままで痛みを感じたりしなかったのに、足の傷が少し痛む感じでした
歩いて動いたからだといわれました。

CCUに入ってから5日目、先生から今日10時に一般病棟に移ろうかと言われ
久々の一般病棟へ戻りました、小林さんまだ若いから(ほかの患者と比べると)
と言われ、酸素マスクがとられ、点滴がとられ、でもなぜかおしっこの管は
抜かれず、おしっこのバルーンをもってトイレに行くという不思議な状態にいました、6日目には術前にいた306号室に戻り、本当に生きて戻ってきた感じでした、このころは、動くようになって、胸の傷がのいたみがCCUにいた時より痛みを感じるようになりました咳をしたり、しゃべったりすると痛み、お見舞いに来てくれた人と話すとぐったりと疲れました。

正直、お見舞いもありがたいが、そっとしておいてほしい感じでした。
もちろん、術前にしていた会社とのメールもパソコン自体見る気も
触る気も出ず、ほぼベットで横になっている感じでした、しかし、リハビリは毎日します、病棟を一周歩くだけで軽い息切れ状態です、だんだん足の傷の
痛みも気にならない程度となりました。

そういえば、心臓の壊死したところを縫い合わせたので、心臓が小さくなったようです、術前は心拍数80くらいでしたが、術後は90~100くらいあります
もちろん、食事後、運動後は110~120くらいです。






どうなってんだ?ベルマーレ?
もう効く薬はないのか?
なんで勝ち点1も取れないのか?

毎日時間が たっぷりあります
でも今日から新棟の4階でリハビリをすることとなりました
新棟からの眺めはよく、日向岡が全部見えて、その先に富士山も
見える時があるそうです。今日は見えなかったけど。
これから毎日リハビリ室へ午後一で行くそうです。
日向岡の下が俺のうちなのに、もう1か月半帰ってない。