【人を動かすに潜む奢り】
〜〜人は勝手に動くと心得る〜〜
課題整理とソリューションだけは人は動かない。
コアは、
前提となる部分を押さえて琴線に触れられるか
である。
課題の抽出と答えだけ教えてやれと言うのは
よく親が子どもにやってしまう過ちと同じだ。
なぜそれをわかっていてやるのか。
子どもでさえ嫌がることだと認識する。
いわんや社会人歴が長い人、特にシニア層をや。
人に考え方を示しそれにしたがうと、自ずとそれが正しいと思える方向に自ら進む、その手立てを導出する。やるやらぬは他人次第だが、そこもやるべきと思える根拠を指し示す。
上から目線での提示は自己満足に過ぎず、常に謙虚であるべしとはまさにそれ故である。
まさに「課題提起とソリューション提案」は、気付かぬうちにそうなってしまう罠が潜んでいる。
あたかも「お前がわからぬ課題を俺が提示してやる」とでも言いたげである。
そんな人が提示したソリューションに誰が興味を示すであろうか。
大切なのは魂を込めることであり、それは他人と自分を同質化することから始まる。
「同質化」とは、他人と自分を同じ目線に合わせることである。
常に謙虚になるべき所以はそこにある。
自分が見えていない何かがあるかも知れぬ姿勢を貫く先に深い示唆が導かれる。
要するに、「勉強しない人」からもなぜ勉強しないのかと言う理由を問うことで、勉強する理由を見出せるように人はどんな現象からも学べる、そういった類のことになんとなく似ている。