●光念寺・筌(せん)龍弁財天 (■MAP 神奈川県三浦市三崎1-18-1)
明治維新で神仏分離令が発布されるまでは、寺院と神社の施設は渾然としており、
その後別当寺と鎮守社として、それぞれ独立して運営されるようになったのは、
皆様もご存知の通りです。
弁天さまを祀る寺社の例を挙げれば、
■厳島神社→厳島神社と大願寺
■竹生島弁天→宝厳寺と都久夫須麻神社(竹生島神社)
■江島弁天→江島神社 ※神道に統一されたが、弁天像は神像として遺された
この流れの中で、厳島神社のご本尊は大願寺へ、竹生島弁天のご本尊は
宝厳寺に安置されるようになったわけです・・・。
※神道では、一般的に偶像崇拝は行っていません。実はこれが廃仏毀釈の悲劇に
繋がるのですが、今回は割愛します・・・。
さて、ここで今回の三浦の話に戻ります。三浦港で隣接する海南神社と光念寺は、
この鎮守社と別当寺の関係に当たると考えられます。理由は、そのどちらも
筌(せん)龍弁財天を祀っているところです・・・。
実はふもとの海南神社から先に訪ねたのですが、16時近くなのにまだ初詣の長い列が
続いていたのでした~★★ せっかく三崎口からタクシーをかっ飛ばして来たのに、
このままでは光念寺が閉まってしまうぅぅぅと、港町をぐるぐる回って辿り着きました・・・。
敷地的にはすぐ隣なのになぁー・・・。
内部は金ピカでした~☆☆ 本堂内部の右側に、目指す弁天さまのお姿がっ!?
いつもなら尻込みするところ、この機を逃すと多分二度とお会い出来ない気がして、
靴を脱いで勝手に上がらして頂きました・・・。
左側にある立て札には、「和田義盛陣中守護神」と書かれています。由緒書きや名称は
ありませんでしたが、前情報からこれが筌龍弁財天ですね。光念寺は、三浦一族の猛将
だった和田義盛が建てた寺院との事ですから、こちらの筌龍弁財天が本物なら鎌倉時代の
作で、800年以上前の仏像と言う事になります・・・。
なんとも風格のあるお姿~☆☆ 住職さんがいらしたら、製作年代とかお伺いしたかったな。
海南神社も日が暮れるとさすがにマズイので、そそくさと退散したところ、その後すぐに
住職さんが本堂の扉を閉めておられました。間に合ってホントに良かったぜ・・・。
2014年01月01日にお参りした時の写真です。
光念寺前の見晴台から、城ヶ島大橋と城ヶ島を臨む~☆☆ ああ、いつか行きたや、城ヶ島・・・。