大抵の事について中途半端な僕は、特に習慣というわけでもなく、たまたまネットで見て感化されたというだけの理由で、流星群を観るために家からほんの数分の、頂上までほんの数十分の小さな山に登ってきた。下調べもせず、12月の静謐な夜の空気と、恐らく綺麗であるはずの満点の空に期待をして、いつもより少しだけ沢山の服を着込んで、魔法瓶に入れた温かいコーヒーだけを持って。
なんとなく、何かが勿体無いような心地がしたので、あえてスマホを家に置いてきた。ポケットにはいつもどおりクリアのケースに入ったイヤホンがあって、少し寂しそうだったので、それを右手で弄んでいた。音は本当に何もなくて、たまに遠くを走る車の音が聞こえてくるくらい。その音がとても素敵な音楽に聴こえるのは、状況と自分に酔っているからだろうと予想されたけれど、それを楽しみに来ているのだと思い直し、充分に楽しめるよう、少し前の冷静な思考を遮断した。切り離されたスマートな僕が右手のクリアケースにぶつかってたてた小気味良い音は、舗装路に反射して、少し余韻を残して消えた。
道中は覆いかぶさるように生えている木に邪魔されて空は全く見えない。昼間だって懐中電灯がないと不安になるくらい暗い道だ。それは言い過ぎだけど、とにかく灯りを持たずに来たことを既に後悔し始めていた。時間もわからない。多分まだ30分も経っていないはずだけど、頂上はこんなにも遠かったか。家を出たのが23時半くらいだったから、そろそろ日付が変わるころだろう。
小学生の頃はここによく友達と自転車で遊びに来たものだった。流行っていたおもちゃをかばんに入れて(そういう「流行るおもちゃ」はこういう自然とマッチするように作られていた。携帯ゲーム機だって、本当は自然と最も親和性が高い。室内に居るのなら携帯する必要がないからだ)。
頂上には小さな神社のようなものがあって、そこに辿り着いて僕はそこが頂上でもなんでもないことに気づいた。昔はこれより先がある、という発想がなかったのだなと少し自分の変化を思う。神社の脇の細い道を下って行くと、街の光と空が本当に綺麗に観える広場に出るので、そこを目指す。目はだいぶ慣れてきていて、月明かりだけでも道がはっきりとわかる程だった。空を覆う木が少なくなっているから、というのもあるだろう。なんとなく安心して左手の魔法瓶の口を右手が開けようとしたけれど、もう少しなのだから我慢しなさいと強く言い聞かせた。彼は素直に引き下がって、代わりにイヤホンをケースから取り出した。しなくて良いことばかりする右手なのだ。
この流星群はそんなにメジャーなのか、もしくはこの場所がそんなに有名なのか、僕が目指した広場には先客がいて、僕は、今まで思っていた事なんかを、突然全て見透かされているような妙な心地悪さに襲われて、どうしようか、このまま帰ってしまおうか、と右脳と左脳が相談を始めた。その会議に足も加わってくれていればよかったのだけど、まだ煮詰まっていないのに僕の体は前進していたから、その先客が僕に気づいてしまった。
「こんばんは」
少しだけこちらを振り返って、もこもこの物体が僕に挨拶をした。ここで舐められてはいけないと思い、僕も冷静な声で挨拶を返した。
「見えますか?」
「…良く来るの?」
僕はその先客に、流星群の具合を聞いたつもりだったのだけど、質問で返されてしまったので、少し黙ったあと、「こういう機会でもないと…」と控えめに答えた。
「私は良く来るんだけど、今日はすごいよ。いつもとぜんぜん違う」
興奮した様子で早口でそう言って、また視線を空に戻してしまった。多分流星群の事を知らないんだな、と思って、伝えたほうが良いのか少し迷ったけど、黙っておくことにした。
迷った後、隣に腰をおろしてタンブラの口を開けた。ゴム製の弁が耳障りな音を立てて少し申し訳ない気持ちになったけど、先客は何も気にしていない様子だった。
それからは、ずっと黙って空を見ていた。
予想よりもかなり沢山の星が流れて、残像をずっと目に焼き付けておいたら何か絵が浮かび上がるのではと思うほどだった。
最初は石の上に座っていたのだけど、だんだん首が疲れてきて地面に寝そべった。
なんとなく変な胸騒ぎを感じて隣を見えると、彼女をは大粒の涙を流して、少ししゃくりあげながら泣いていた。
確かに空は綺麗だけど、そこまでだろうか?と思ったが、感性は人それぞれだし…と空に視線を戻す。
「わたしね、多分ほうきぼしに恋をしてた」
僕は大いに困った。色々な可能性が頭をよぎったし、さっきの会議の結論について右脳の左脳が喧嘩を始めた。
「ほらみろ、やっぱり帰ったほうがよかったんだよ。面倒なことになったぞ。」
折角来たのだから、と右脳をなだめていた左脳も不安な表情を見せていた。
しかし、その先を彼女が話さなかったため、何もわからなかった。
5分くらい沈黙があった。空には少し前から雲がかかって、もう星は見えなくなっていた。
「え?」
思い切って僕は声を出してみた。だんだん、聞き間違えだったのでは、という気がしてきたからだ。
「そういう事ってない?」
その後の少しの沈黙の間に、僕は精一杯の努力をした。
最初に試みたのは、家を出ようとした時の気分を思い出す事だった。
何度か、家を出てから冷静な僕を切り離すまでのシミュレーションを行って、ようやく少しだけ、この世界観に付き合ってあげてもいいかな、という気持ちになってきた。
そう、少しだけ特別な夜だから。自分と状況に酔う事を楽しむために用意された夜だから。
「流星群の事を言っているわけじゃ、ないんでしょう?」
「そう、数なんて特に重要じゃない。でも、消えてしまうというのが、私にとって大切みたい」
「それじゃあ、きっといつまでたっても欲しいものは手に入らないだろうね」
「でも、そうじゃないとダメだから…」
僕の耳に、先に何も繋がっていないイヤホンが入れられた。
たまには、こいつも仕事をするのだな、と右手を褒めてやった。
そうして少し目を閉じている間に、先客は居なくなっていた。
最初に後ろ姿を見た時に、すぐに気づくべきだったし、僕はもっと言葉を選べたはずだった。
明日の朝にはここを発とう、僕はもう一度ほうき星になるべきではなかったのだから。