昨日か一昨日ぐらいから、感情や思い込みをさくさくと手放しています。


セドナメソッドを通して、私は感情は自分自身では無いことを知りました。

感情は鉛筆と同じぐらい自分とはまったくの別物で、ただそれを握り締めているだけだって実感しました。


それで、以前からよく

「この感情を”持っている”んだなぁ」と思いながら解放をしてきました。

感情を持ってるって表現すると自分と感情は別物だと思い出せるし、より冷静に解放できるからです。


それで、昨日からはまた少しだけ言葉尻を変えて

「私は~~という感情を持っていることを認めます」

「私は~~という観念を持っていることを認めます」


と言っています。

なぜかはわかりませんが、アファメーションみたいにこう唱えるとすごく効くんです。


自分にこびりついていた思いがふわっとどこかへいってしまうのがわかるんですよね。

どんな思い込みも、「あぁ、そうだこの思考は私自身では無かった」って気付いて安心します。


自分自身じゃないから解放できる。

自分自身じゃないから持つか持たないか自分で選べる。

ここに大きな安堵感を覚えます。




そしてそして解放の選択の基準について!

今までは倫理的に正しいか正しくないかで決めてたので、解放がうまくいかないこともよくありました。

例えば「あの人嫌な仕事から逃げてるな~もうっ」と思ったら、そのイライラを解放する前に

「こんなこと思っちゃダメ、いつもお世話になってるんだから!」

と思って感情を抑圧していました。

抑圧してもイライラは消えないのに。


人としての礼儀や倫理観がではなく、「このイライラがずっと続いたら楽しいか楽しくないか」で判断すればスムーズに解放できることでしした。


「この現実がずっと続いたら楽しいか楽しくないか」を一番の基準にしてこれからは解放し続けようと思います。


解放とは関係ないですが、自分=人だと考えているので、そうすると私も「嫌な仕事から逃げてる」って思われてるんですよね(=◇=;)

こういう潜在意識からのメッセージはちゃんと受け取っています。



もっと書きたいことがあるのでまた次書きます♪♪

多分…(笑)