セドナメソッドを始めてから、前も今もすべては完璧だったと思うようになってたんですが

今回はその確信度というか、感覚的なしっくり具合が全然違う。



全て、完璧だったんだ。
良いこととか悪いことがあったんじゃない
全て必要な経験だったんだよ、とかそんなのでも全っ然ない


私が生まれてから今まで見てきたもの、全て完璧でした。
全てが完璧な配置でそこにありました。


例えるなら、パズルビックリマーク

生まれた瞬間からパズルを完成させる作業が始まるとして、
ピースは人生の経験ひとつひとつだとします。

ピースをはめてるときは、ピースにしか意識は向いていない

はめながら自分が嬉しくなったり喜んだりするピースもあれば、

こんなピース要らない、こんなのはめたくないって嫌な気持ちになりながらはめるピースもあって

頻繁に
なんで好きなピースが少ないんだろ?他の人が受け取るピースを自分は受け取っていない
こんな嫌いなピースばっかり
パズルは欠けてるに違いない

と思いながら作業を続けてる


そんなとき、ふとピースじゃなくてパズル全体を見てみたら

完璧なパズルができてたんです。
嫌だったピース、好きなピースがひとつの絵を見せていて
それがすごく素敵だったんです。


欠けてるピースはなかった。
嫌だったピースも好きなピースも、絵を見せて、パズルを完成させる完璧なピースだった。


私の心の内からでてきた感覚なので、人に伝えるのは難しいです(^_^;)というかわかってもらおうとするのが傲慢かな。

今でもあれが足りない、これが足りないと思ってたけど
物質的なものも含めて、全て持ってたんだなぁ。
本当に、これに気づいたら物欲がどっか行きました。
だって全て持ってるんだもん。

ありがとうございます。
ありがとうございます。


今この時期にひとつのパズルが完成したということは、
この20年間(と一ヶ月)で一区切りついたということかもしれません。
ピースだけ見てたあの頃とはバイバイして、
今から新しい自分で新しいパズルを組み立てるんだと思います♪( ´▽`)