奥新川森林鉄道 第一部 | 東北式鉄写録 ~更新停止~

奥新川森林鉄道 第一部

※このレポは相当長いです。しかも、多くに廃分が含まれており、廃線等に興味がない人はスルー推奨。




奥新川へ踏査の日、その日も気持ちいい秋晴れの日で、T氏、N、Aと私のメンバー4名は滞りなく、特にトラブルも無く、48号線を奥新川へ進んでいた。

当初参加予定であったG、及びRの両氏は都合により参加できなくなった。残念だ。

折しも、この日の4名はいずれも磐梯山登山メンバーに含まれていた面子で、多少のアップダウンも対応できると思われる。

さて途中のダートも問題なく突破。

紅葉もとても綺麗な、本当に気持ちのいい秋の晴天だった。


某サイトに寄れば、新川林道は1936年に使用開始、1960年に廃止された2級森林鉄道である。走区間5.1㎞。


今回は、その遺構を見てくることが主眼の探索である。


我々は途中で昼飯を買いつつ、作並温泉の手前で長命水なる看板の脇道に入る。


この道こそが奥新川への唯一のアクセス路である。


そんなJRの駅へのアクセス路に関わらず、この道はほぼ全区間において未舗装道である。


皆、原付でガツガツ車体底面を擦りながら、慎重に進んでいく。


そうして長命水を見事にスルーをかまし、奥新川の駅へと向かう。


この奥新川駅、まさにこの駅の目の前から探索は始まる。


奥新川に行ったことがある人なら分かると思うが、ここから更に奥に遊歩道が伸びている。


それこそが森林鉄道跡である。


さて、そこも原付で突っ込んでいく。


他のメンバーは既に私の興奮についてこれないムードではあったが、私としてはそんなこと気にしない、まったくもってダメな発起人である。


奥新川自体は私も仙山線撮影等で何回も来ているから、何処まで原付で入っていけるかどうかは知っている。


とりあえず、そこまで原付で行って、できるだけ探索に時間をかけたいと思った。



さて、遊歩道脇になんとも思わせぶりな木製橋が現れる。


これ自体は割りと新し目な雰囲気がするので、特に萌え要素は薄いが、これは期待をせざるをえない。


原付最深部まで突っ込み、ここで各自装備の準備に入る。


昼飯等々をそれぞれ確認し、原付を離れる。


仙山線の鉄橋の下をくぐり、すると沢を渡る。


この奥新川森林鉄道は以後、仙山線を縫うように進んでいく。



遊歩道として整備されているこの区間は、それなりに人の手入れが定期的になされているようだ。


しかし、その傍らには・・・・



明らかに人工的に捨てられた丸太が朽ちている。


これも林鉄由来だろうか?


ここを林鉄も渡っていたことは間違いないと思うのだが、いかんせん、地形的に鉄道が走れる要素は無いような地形となっている。


後年、地形の変化があったのか(人工的に。仙山線の橋梁工事とかの関係かも)、そういうことが考えられる。



仙山線は意外と走ってる。


この鉄橋の下の遊歩道が林鉄跡。


これだけを見て、林鉄跡だと思う人は恐らく殆どいないだろう。


大丈夫、だんだんその鉄道の息吹を存分に感じる事が出来るようになってくるのだから。



このような危なっかしい吊り橋がかかってる。


勿論、林鉄は木製橋とかでちゃんと渡っていたのだろうが。


さて、この付近で遊歩道は一気に下を流れる南沢まで落ち込んでいく。


林鉄と言えば、仙山線と平行して直進している。


勿論、我々は直進だ。


写真は無いが、ちゃんとした平場が真っ直ぐ進んでいた。


しばらく行ったら、急に道は無くなった。


今までちゃんとあった足場が、一気に無くなる。


下は降りたら戻ってこれ無そうな水の流れ。



この壁は上を仙山線が走るコンクリの法面なのだが。


しかし、よく見られたし。


この壁に沿ってでっぱりが見えないだろうか?


そう、これこそが林鉄の橋梁跡だと思われる。


このコンクリの構造物が橋脚で、その上を林鉄が渡っていたのだろう。



想像ではこんな感じ。


絵が適当なのは気にしない!!


さて、ここで我々は身動きが取れなくなる。


何故なら、先ほど書いたように足場がもう無いから。


どうする?


私はいつも時刻表を携帯している。


これが功を奏する。


まぁ、上に仙山線、時刻表・・・・と言うことは?


詳しいことは言わない。


もう恐いのはこの日に運行されていた「風っこ仙山もみじ」と、落ち葉掃きディーゼル機関車だった。


この落ち葉掃き列車は数々の目撃例が沿線鉄から寄せられており、これも見てみたいが、タイミング悪く来ると厄介だ。



橋脚を上から見たもの。


まだ、木製橋梁の名残である木材が固定されて残っていた。



ここを渡りきり、再び林鉄跡に降りると、鮮明な平場が残っている。


やはり、ここは何かがあったんだ。


そう思える光景だった。



ここにはこんな碍子が散乱していた。


林鉄がこんなものを必要としていたとは考えられず、となると・・・・・仙山線?


こういうゴミが実はそこら辺に散らばっているのかもしれない。



っと、また同じように凄いところに着いた。


下はやはり渓流が流れる。



どうやら、ここでも橋を使って渡っていたようだ。


この辺から、このような立派な石垣の上を林鉄は走ることが多くなる。



対岸の写真。


黒い構造物が見えるだろうか?


アレが対岸の橋台だと思われる。


と言うことは、



こんな感じだったのだろう。


ここで林鉄は再び仙山線の下をくぐる。


勿論、我々はこの空中を渡るわけには行かないので、またあの路線にお世話になる。


今度は列車待ちが必要なようだ。


あと10分で奥新川に着く仙台行きが到着だ。


安全のため、待つ。


しかし、こんな山奥で仙山線撮る人なんていないだろうなぁ。



仙山線をくぐった林鉄は、再び石垣上を行く。


上にちょこっと写ってる路線が仙山線。



こんな立派な石垣が、まだあの奥新川の奥に潜んでいる。


流石、自然素材。


自然に浸食されながら、いまだ健在か。


ここら辺から薮が濃くなり、少々進むのも面倒になってきた頃、コンクリ法面地点に到着。



ここ、かつて仙山線が大雨か何かで崩落した現場だ。


林鉄は、この写真に写ってる平場が、そのまま残されたと考えられる。


しかし、この平場、実は林鉄当時からの平場ではなかったらしく、反対側の平場からは林鉄跡に辿り着けない。


これは困った。


何処に行ったぁ?


最悪の手段として、鉄橋を渡っていたら、なんか沢の対岸に平場が続いている・・・・・


行ってみるか。



このコンクリ地点の端にある鉄橋を林鉄は潜っていたのだろうと思われる。


それを示すかのように、平場はずっと続いていた。




じつは、殆どがこのような景色である。


その中でいかに遺構を見つけて萌えられるかが、重要。


そうして、我々は更に進む。




眠いので第一部完。


後半、とうとうアレが登場かな?