テクノロジーと人間
「波に乗る」ことと「流される」ことの境目を見分けるのは結構難しい。使命に向けた大きな流れに乗ってるのか、それとも流されてるのか。今の自分がどっちなのかよくわからないが、少なくともこの波からはしばらく逃れなさそう。それにしてもこれからの時代は一体どのようになっていくのか。それを見通すことは簡単なことではない。「未来は予測できないが、創造することはできる」というドラッカーが述べた視点を忘れたら、これからの時代を自信を持って生き抜くことはできないだろう。でも思うのは、「人間とは何か」が真に問われる時代が来るということだ。ドローン(無人機)による戦争、自動車産業や農業のIT化に象徴されるように、人間の手を借りない領域が増大しつつある。Googleがロボット産業のベンチャーを買い漁って、人工知能テクノロジー覇権を握ろうとしているのも、人工知能による人間の能力の超越(テクノロジカル・シンギュラリティ)を狙っているからだとも言われている。またダン・ブラウンによる最新作『インフェルノ』も読んだけど、そこでは「トランスヒューマニズム」が取り上げれている。人間の肉体的・身体的限界をテクノロジーの力で超越せんとする思想のことで、まさに映画『マトリックス』や『アバター』などで描かれた仮想現実、脳とコンピューターの接続や、人工知能、肉体の冷凍保存など、まさしくSF映画に描かれている未来を現実にしようとするムーブメントのことだ。人間改造みたいなノリ??笑wikipediaより(Transhumanism (abbreviated as H+ or h+) is an international cultural and intellectual movement with an eventual goal of fundamentally transforming the human condition by developing and making widely available technologies to greatly enhance human intellectual, physical, and psychological capacities.)無人機もトランスヒューマニズムも倫理的な問題としてどうなんだって、これからますます議論の対象になるんだろう。 その過程で、「人間とは一体何なんだ」ってことと、「科学と宗教の正しい関係」についての問題意識が社会に共有されてくと思う。これからますます科学技術は私たちの想像を超えて発展するだろうが、それが人間性を阻害するものになるのか、人間性を向上させるものになるのか。自分が思うに、ある程度、トランスヒューマニズム的な流れはやむをえないというか、不可避の流れだろうと思う。大事なことは、結局、テクノロジーの根底にある人間観で、人間を唯物的に見るのか、魂を宿した霊的存在と見るのか、ここに収斂されると思う。 テクノロジーは人間を唯物的に存在に貶めるためではなく、人間の霊性の開花を手助けするためにあるものだという前提を忘れてしまったら、非常に悲惨な未来になると思う。しかし、こうしたトランスヒューマニズム的な発想ってどこから出てきてるんだろう?キリスト教?アメリカのどことも知らない怪しげな宗教だろうか?レプタリアン的な科学信奉者たち?よくわからんが、少なくとも現在のキリスト教ではこの問題に価値判断するだけの知識も力もないだろう。いずれにせよSF映画の研究に入らないとな。iPhoneからの投稿