段々と見慣れた高速の景色。
もうすぐ宇都宮に着きます。
『ぼくのなつやすみ ボランティア活動編』
このレポートも間もなく終わりを迎えます。
※尚、事情で行きたくても行けない方、これから支援に行きたい!という方に向けて少しでも僕なりに情報を提供できるよう今回は長文になります。また、普段のふざけた(?)表現や、ギャグのない真面目なブログになりますが、予めご理解のほどよろしくお願い致します。
~~~~~~~
さて、朝7時くらいになると、続々とボランティア志望の方達が集まってきました。
それを車内で見た僕も、さっそく受付の列に加わります。
受付開始が8時30分
それまで並んでいると、ボランティア活動に何度も参加しているであろう方達と自然と皆、挨拶から始まりコミュニケーションを取ります。
・最年長であろう75歳老夫婦のお二人と、都庁勤務の息子さんは東京から。
・高速ではなく下を通って21時間かけここまで来た愛知の方。
・前日に気仙沼のボランティアをして、兵庫県から往復5万円かけて飛行機で来た高校教師さん。
・翌日仕事なのに千葉からいらした方。
他にも何人もの手馴れているであろう方達と話していて、恥ずかしい事に僕が一番近所だと気がつきました。。。
長期の方だと一ヶ月くらい滞在するそうです。それ用にテントを張るスペースもありました。
すっかり話し混んでいると、すでに後方は長蛇の列。テレビ局も2局いました。
どうやら8時半受付開始からものの7分で定員が埋まったようです。
こんなに早いとは・・・。前乗りしてて正解でした!
1グループ10名~20名編成で、並んだ順番で配属が決まるようで。
僕は2グループ目に配属され、被災した老人ホームのガレキ撤去が主な奉仕活動でした。
他にも、「側溝のドロかき」「土嚢作り」などがあったようです。
南三陸のボランティアセンターテント内部
どうやらここの協会?の方はなんと驚くことに鹿児島のボランティア団体が発足みたいです!
ここでボランティア保険や必要事項を記入します。
冷えたスポーツドリンクの無料配布などもあり、どうやらもうライフラインは津波被害のない地域では復活しているようです。
栃木県は真岡幼稚園からの応援旗もありましたよ!
班長さん(なんと21歳 立派です!)の説明を受け、ここから皆さん車の相乗りで現地へ向かうそうです。
皆さんの格好を見ると、自分がまるで近所のコンビにに行くような・・・そんな軽装。
もっと事前準備するべきでした( ̄ー ̄; 軍手と小さいタオルだけという自分・・・。
そして、受付待ちで並んでる間に仲良くなった方たちとさっそく老人ホームへ!
10分もかからないくらい近場の現地に着いたところ早速説明が。
『いくらボランティアさんでも、ココで写真撮影は不快に思う親族の方がいますのでここでの撮影は一切禁止でお願いします。』
とのことで現場活動での写真はありませんのであしからず・・・。
前にもボランティアの方たちで撤去をしていたのか、かなり広い老人ホームの部屋の中は ある程度片付けられていて何もありませんでした。
今回僕たちは、何日かの作業である程度1箇所に固まった瓦礫の山を外に積み上げるという作業をするそうです。
ガレキとは言え、畳や介護機材、冷蔵庫、ファイルやらなにやら全て泥まみれでしたが、津波に遭う前は素晴らしい施設だったことが容易に分かりました。
小高い丘の上にあるにも関わらず、被災してしまったその老人ホームは1階部分の天井付近にまで津波が押し寄せたであろう爪跡がはっきりと残っていました。
エントランスであったであろう所には、いくつかお花とお線香が・・・。
丘から町を見下ろすと、報道されていたあの瓦礫の残骸に夏の季節の雑草が生え、それはまるで町ではなくずっと平原だったと勘違いさせるような風景。
遠くに見える、お盆もあってか基礎部分しかない家が建っていたであっただろう場所へ花を添えに佇む家族。
被災から半年経った今現在の南三陸の現状なんだと思いました。
厳しい暑さだったので皆休憩を挟みながら5時間くらいの撤去作業。
泥付きの瓦礫とも呼べないような面影を残したモノ達を運ぶたびに潮の香りが漂います。
自然の力は確かに脅威ですが、ヒトの力はもっと偉大です。
どんなにひどい状況になっても諦めず一歩づつ 少しでもいいから確実に前に進んでいっている!夕方に作業が終えた老人ホームの駐車場に仕分けされて重なった多くの瓦礫の山たちを見てそう感じました!
そして、ボランティアセンターに戻り簡単な作業終了表を書き壮絶な一日が終わりました。
帰り道での景色
全国からボランティアの方達が集まり、協力して甚大な被害に立ち向かって行っていました。
それでも、まだまだ積み重なった車 車 瓦礫。
民間ではどうにもならないような規模で集められた瓦礫の山を見て唖然としましたが、それでも打破するのはヒトの力です。
家や家具や電気、当たり前のようにある身の回りの物や、当たり前のように接している知人や家族。当たり前のように生活していると忘れてしまう『感謝』や『真心』
極限の状態だからこそ観えてくる大切なもの。
普段では絶対に出来ないような体験が数多く出来ました。そして多くの事を学ぶ事が出来ました。
『絶対に諦めない』
がんばろう東北!がんばろう日本!
~~~~ ぼくのなつやすみ ボランティア編 完 ~~~~
帰りに寄った仙台のスーパー銭湯
・・・・がんばろう俺w
iPhoneからの投稿
もうすぐ宇都宮に着きます。
『ぼくのなつやすみ ボランティア活動編』
このレポートも間もなく終わりを迎えます。
※尚、事情で行きたくても行けない方、これから支援に行きたい!という方に向けて少しでも僕なりに情報を提供できるよう今回は長文になります。また、普段のふざけた(?)表現や、ギャグのない真面目なブログになりますが、予めご理解のほどよろしくお願い致します。
~~~~~~~
さて、朝7時くらいになると、続々とボランティア志望の方達が集まってきました。
それを車内で見た僕も、さっそく受付の列に加わります。
受付開始が8時30分
それまで並んでいると、ボランティア活動に何度も参加しているであろう方達と自然と皆、挨拶から始まりコミュニケーションを取ります。
・最年長であろう75歳老夫婦のお二人と、都庁勤務の息子さんは東京から。
・高速ではなく下を通って21時間かけここまで来た愛知の方。
・前日に気仙沼のボランティアをして、兵庫県から往復5万円かけて飛行機で来た高校教師さん。
・翌日仕事なのに千葉からいらした方。
他にも何人もの手馴れているであろう方達と話していて、恥ずかしい事に僕が一番近所だと気がつきました。。。
長期の方だと一ヶ月くらい滞在するそうです。それ用にテントを張るスペースもありました。
すっかり話し混んでいると、すでに後方は長蛇の列。テレビ局も2局いました。
どうやら8時半受付開始からものの7分で定員が埋まったようです。
こんなに早いとは・・・。前乗りしてて正解でした!
1グループ10名~20名編成で、並んだ順番で配属が決まるようで。
僕は2グループ目に配属され、被災した老人ホームのガレキ撤去が主な奉仕活動でした。
他にも、「側溝のドロかき」「土嚢作り」などがあったようです。
南三陸のボランティアセンターテント内部
どうやらここの協会?の方はなんと驚くことに鹿児島のボランティア団体が発足みたいです!
ここでボランティア保険や必要事項を記入します。
冷えたスポーツドリンクの無料配布などもあり、どうやらもうライフラインは津波被害のない地域では復活しているようです。
栃木県は真岡幼稚園からの応援旗もありましたよ!
班長さん(なんと21歳 立派です!)の説明を受け、ここから皆さん車の相乗りで現地へ向かうそうです。
皆さんの格好を見ると、自分がまるで近所のコンビにに行くような・・・そんな軽装。
もっと事前準備するべきでした( ̄ー ̄; 軍手と小さいタオルだけという自分・・・。
そして、受付待ちで並んでる間に仲良くなった方たちとさっそく老人ホームへ!
10分もかからないくらい近場の現地に着いたところ早速説明が。
『いくらボランティアさんでも、ココで写真撮影は不快に思う親族の方がいますのでここでの撮影は一切禁止でお願いします。』
とのことで現場活動での写真はありませんのであしからず・・・。
前にもボランティアの方たちで撤去をしていたのか、かなり広い老人ホームの部屋の中は ある程度片付けられていて何もありませんでした。
今回僕たちは、何日かの作業である程度1箇所に固まった瓦礫の山を外に積み上げるという作業をするそうです。
ガレキとは言え、畳や介護機材、冷蔵庫、ファイルやらなにやら全て泥まみれでしたが、津波に遭う前は素晴らしい施設だったことが容易に分かりました。
小高い丘の上にあるにも関わらず、被災してしまったその老人ホームは1階部分の天井付近にまで津波が押し寄せたであろう爪跡がはっきりと残っていました。
エントランスであったであろう所には、いくつかお花とお線香が・・・。
丘から町を見下ろすと、報道されていたあの瓦礫の残骸に夏の季節の雑草が生え、それはまるで町ではなくずっと平原だったと勘違いさせるような風景。
遠くに見える、お盆もあってか基礎部分しかない家が建っていたであっただろう場所へ花を添えに佇む家族。
被災から半年経った今現在の南三陸の現状なんだと思いました。
厳しい暑さだったので皆休憩を挟みながら5時間くらいの撤去作業。
泥付きの瓦礫とも呼べないような面影を残したモノ達を運ぶたびに潮の香りが漂います。
自然の力は確かに脅威ですが、ヒトの力はもっと偉大です。
どんなにひどい状況になっても諦めず一歩づつ 少しでもいいから確実に前に進んでいっている!夕方に作業が終えた老人ホームの駐車場に仕分けされて重なった多くの瓦礫の山たちを見てそう感じました!
そして、ボランティアセンターに戻り簡単な作業終了表を書き壮絶な一日が終わりました。
帰り道での景色
全国からボランティアの方達が集まり、協力して甚大な被害に立ち向かって行っていました。
それでも、まだまだ積み重なった車 車 瓦礫。
民間ではどうにもならないような規模で集められた瓦礫の山を見て唖然としましたが、それでも打破するのはヒトの力です。
家や家具や電気、当たり前のようにある身の回りの物や、当たり前のように接している知人や家族。当たり前のように生活していると忘れてしまう『感謝』や『真心』
極限の状態だからこそ観えてくる大切なもの。
普段では絶対に出来ないような体験が数多く出来ました。そして多くの事を学ぶ事が出来ました。
『絶対に諦めない』
がんばろう東北!がんばろう日本!
~~~~ ぼくのなつやすみ ボランティア編 完 ~~~~
帰りに寄った仙台のスーパー銭湯
・・・・がんばろう俺w
iPhoneからの投稿
車中泊
クラウンじゃ寝れるはずもなく、、。
朝一でボランティアセンターについてしまいました。
ホテルの駐車場から丘を下り海沿いの町へ向かうと、テレビで報道されている景色そのままが映り込んできました。
船が道路に無惨にも転がっていたり、骨組みだけになった役所。
まるで戦場のような眼前に広がる街並みにただ絶句です。
今までの全てを無に還すような津波の破壊力を初めて目の当たりにしました。
道は開通してるとは言え、ここに活気が戻るのは5年~10年はかかるのではないでしょうか。
高台まで車を走らせた所にボランティアセンターはありました。
仮設住宅や仮設トイレ、薬局やお風呂もあります。
仮設のお風呂でさえテントでできてました。
朝一で来たけれど、ボランティアの方なのか住民の方なのか、人がチラホラと。
車中泊してる方はたくさんいましたが、セダンはいませんでしたね(^_^;)
『おはようございます』
『どちらから?』
と、ここでは人の交流、 当たり前で忘れていた大切なもが溢れていました。
~~続く~~
iPhoneからの投稿
南三陸町の丘の上にある海洋ホテルに着きました!
当然、ボランティアの方と被災してしまった方で満室でした(^_^;)
駐車場で寝ます!!
場所だいたいこの辺りですね。↓
写真では4時間と書いてありますが、実際は6時間かかりました、、。
山道を抜けるまで、暗がりから見える町の景色は至って普通?の様子でした。
暗くて遠くまで見えませんでしたが、海の方面を見ても山間の町は静かに今まで通りのような佇まいでした。
南三陸に向かう道からは海を見ることは山道を抜けるまでありませんでしたが、山道を抜けると、街灯もなく車のライトしか灯りはありません。
少しずつ海が見え始めたのに、あたりはこれまでの静寂を保ったまま。
特に変わった様子のない海沿いの、山からの延長のような何もない景色。
暗闇に目が慣れた時には、もう実はすでに僕は町の中を走っていたことに気がついたのです。
辺りには、建物の基礎部分しか残っていませんでした。。。
海洋ホテルから先にあるボランティアセンターは、もっと丘を下った場所 車で10分くらい?だと思いますが、今日はここの駐車場で休みます!
日記というかこれレポートになってr
~~続く~~
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