主演 小日向文世

 

あらすじ(オフィシャルサイトより):

ニューヨークの高級アパートメントに暮らすアミール(小日向文世)はパキスタン系アメリカ人、企業専門の弁護士事務所に所属する優秀な弁護士だ。妻のエミリー(秋山菜津子)は白人の画家。
ある日、アミールの甥エイブ(平埜生成)が訪ねてくる。エイブはアミールに、自分たちの指導者が逮捕されたので助けてほしいと訴えに来たのだ。拒否するアミール、だが妻のエミリーは助けるべきだと主張する。結局、審問に立ち合い、人生の歯車が狂いだす。
ある夜アミールと同じ事務所で働く黒人弁護士ジョリー(小島聖)と、その夫でホイットニー美術館のキュレーター、ユダヤ人のアイザック(安田顕)が訪ねてくる。画家でもあるエミリーの作品がホイットニー美術館に展示されるお祝いのホームパーティだった。
誰もが、成功を掴んだと思っていた、しかし、最後に掴んだものは……

 

批評:

とにかくピンと来なかった。3階席に座ったせいか、テーマの人種、宗教問題が日本人の自分の体験から縁遠いせいか、それとも演出や役者が中途半端なのか。。。パキスタン人作家Ayad Akhtarの原作は2011年ピュリッツァー賞、英語版の劇は2013年トニー賞を受賞している。原作はいいに違いない。機会があれば本も読んでみたい。

またタイトルに使われているDisgraceという動詞のニュアンスが気になったので調べてみた。ここではShameというよりもRapeという動詞に近いのではないだろうか。Rapeは、The Rape of Nanking(『南京大虐殺』)のように、侵略してきた外国人が、他の民族の誇りを奪ってしまうというニュアンスがある。作者のAyad Akhtarも、タイトルの意味についてインタビューで以下のように答えている。第一に、劇中で成功していると思っていたAmirが後輩に先を越されたり、妻に浮気されたりして、プライドを傷付けられる点。第二に、西洋諸国がイスラム諸国に対して行ってきた植民地支配によって、現在もなお続くアイデンティティーに対する恥辱だ。

この劇は悲劇である。西洋がイスラムにもたらした悲劇とも言えるし、自分自身のアイデンティティーを偽って自分は成功者だと思い込みながらも、実は誇りを失いつつあった主人公が自分自身にもたらした悲劇でもある。

 

 

Why is the play called “Disgraced?”

Firstly, Amir’s disgrace plays itself out mostly in real time in the play. That’s the most obvious level. But then there is another, more metaphorical, or let me say, contextual sense: There are ways that the colonial history of the West is still playing out in the Muslim world. The events that comprise that history — a disgrace of native peoples, as it were — is still very much a part of our contemporary moment. As Faulkner says: “The past is never dead. It’s not even past.”

 Levingston, Steven (April 19, 2013). "Q&A with Ayad Akhtar, the Pulitzer Prize winner in drama". The Washington Post. RetrievedSeptember 16, 2013.