命も自分のものではない
子宮から墓まで
人は他者とつながる
過去も 現在も
すべての罪が–––––
あらゆる善意が–––––
未来を作る
–––––ソンミ451、2144年
天気予報士のある男がこの日は、晴れ晴れとし新年度日和となるとうたっていた。
駅のホームには
何処か、貧弱な人々。
侘しい。
いや、何処か西洋の洋館。
回廊の静けさのよう。
僕は、獨り塩薫る映画館へと足をはこぶ。
当初から観る予定であった
「クラウドアトラス」。
素晴らしいの一言。
原作もあるらしいけど、大概の海外映画は映像で移入してしまうと文ではのめり込めない自意識過剰な先入観の持主なので断念。
(一応、書店でページをめくってみるものの、やはりまっすぐ帰路へ向かった方が賢明であった)
構成はグランドホテル形式で六つの物語が織り成される。
三人の監督がもつヴィジョン。
それは糸が紡がれ、立派な仕立てができあがるように。音符が並び、いくつものメロディやハーモニーが重奏を響かせるように。
六つの物語が交錯し、織られていく疾走感のある場面から場面が素晴らしい。
シーン毎の繋がりも時代は違うにも関わらず念入りに巧緻されている。
何より映像的体験も場所(時代)を選ばずスペクタクル感満載。
最後まで目が離せない映画。
この手の映画では、謎解きを元に観客を引き込む手法がよく使われるが。
そういう、いやらしさが全くといっていいほど皆無である。
「何度でも救う」
––––ザックリー、2346年
ひとり何役もこなす役者陣。
ジム・ブロードベントにいたっては、12人のキャラクターを演じてる。
欲望はけっして尽きない。
なくならない。
ネオソウルの結末。
世界崩壊後の設定はウォシャウスキー風仮想世界ではなくあくまでリアリティを追求していた。
(メロニムの長官(上司?)が放射線量とかも測ってた場面からも)
1936年
ロバート・フロビシャー。
幻の名曲「クラウドアトラス六重奏」の作曲者。
2144年
ぺ・ドゥナ演じるソンミ451。
ウォシャウスキー姉弟の味が色濃くでてるネオソウルのヴィジュアルは成功してます。
銃の効果音に対して出力された光線と相反する破壊力が不思議と快感を。へジュとソンミの橋の上のActionが好きですね。
スリリングで鬼気迫るシーンの中、一種ミュージカルチックなのですが。
アクションシーンで感動させられるんですよね。
絶対零度のように蒼白で、無感覚な世界から本人さえも夢にもおもわなかった外の世界への道標。僅かな可能性を見出し産まれたての稚児のような人間らしさを少しずつ身につけていく又は、もとより潜在的に兼ね備えていたクローン体。
必死に縋っている。
その人間らしさといわれる尊厳を取り戻す手助けをする、拾い手の武闘派の司令官。
その前後に何か涙そそられるものが...っていうわけでもないんですけどね。
冒頭のソンミの台詞が共感できない割にやけに印象に残ります。
出演者のスーザン・スランドンは
人生における出来事には、本人も自覚してないような因果関係があったり...
といっていますが、まさにその通りでしょうね。
魂は生まれ変わるともし、仮定したならば...魂は可塑性を保ちつつも持続されるのか成長するのか。
よもや、良くも悪くもただ、たんに受け継がれていくだけなのか。
全くの無に戻されて...新たな御霊として彷徨いあゆんでいくのか。
永遠回帰する魂の継続という生と死を超越した概念である。
僕の好きな手塚治虫の火の鳥にも似た...
アダムユーイングからザックリーの時代までしか描かれてはいないし、あくまで人間にしかフォーカスされてないのですけれどね。
ウォシャウスキー姉弟(元兄弟)の作品はいつも新しい価値観や演出を加えるので、これからも必見です。
||||||another time by |_•'Droquaism•.•;|||||||||||















