僕は中学校が終わると同時に社会へ出る選択をした。

結局、中学校も2年生の途中から不登校になり、卒業まで全く行くことはなかった。もちろん、高校へ行くことは当初考えていた。その為に、自宅で軽く勉強したり、個人対応の塾に行っていたりした。でも、もう疲れた。学校という場にね。だから、学園生活とはサヨナラした。

それと、中学校2年生で再度の不登校に陥った直後に父親からクリスマスプレゼントと言われ、とあるアーティストを観に東京ドームへ行った。そこで、心の底から感動を覚えたと同時に、自分なりの道を作り、こんなにも大勢の人たちを喜ばせていることに感動を覚えた。彼らと同じようになるのは極端だが、何もみんなと同じ道を歩まなくてもいいと悟った。自分なりの道を作っていこうと思った。その瞬間から、少しづつ前向きな気持ちになった。

だから、僕は中学校が終了したら、社会へ出ることを決断した。

色々な壁にはぶち当たることにはなったけどね。
僕に対する体罰は連日続いた。
基本的には給食絡み。もう精神的に限界がきていた。

毎回毎回、ちゃんと食べたか見にくる。
残していたり、食べるのが遅いと「食べろ」の一言。食べれないと、食べ終わるまで午後の授業が始まっても、机の上には食べきるまで置いてある。

担任の教師も日に日に執拗に僕に目をつけるようになってきた。この教師は若手で、教師になって、それほど時間を要してなかった。僕に目を付けた教師には逆らえなかったのが、同じことをやり出した。グルで体罰?そうであろうがなかろうが、結果としては同じこと。

そもそも、何故残してはいけない?誰だって、食べれない物、体調が悪く食欲ないことだってある。お前らはないのか?もはや、理屈でもない虐待だよね。

全部食べるまでは、帰さないと言われ、みんなが下校した後でも、1人教室に残され、目の前に給食が置かれていたこともあった。最後は強引に口の中に押し込まれた。

自分の子供が同じことをされていたら、どう思う?
人間のすることではない。

こんなことが繰り返されて、精神崩壊になっていった。
登校拒否になる前って、毎日仮病を使い、学校にいかない手段を考えた。毎朝毎朝、疲れたね。

頭痛を訴えたり、体温計を擦って発熱を訴えたり。

母親には学校で起きている現実を言えなかった。それは、両親に心配をかけさせたくないという一心で。

でも、母親だって、毎日毎日、体調不良を訴えていれば、何か病気なのではと心配が始まる。それでも言えなかった。

ある時、頭痛を心配して総合病院に行き、CT、MRIを撮った時は、本当に辛かった。だって、どこも悪くないの分かっているし、嘘だもんね。

こんな嘘も長くは続かないのはわかっていた。どこで告白したらいいのか悩んでいたら、気が狂いそうになった。

結局、僕から告白しなくても、わかる時が訪れるんだけどね。