Ryo human Fujimoto -15ページ目

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仕事行けた。
ちゃんと働けた。日常通り働けたよ。

おわったあと、
自分で自分を褒めてあけたんだ。

よく頑張ったね。
よくやったね。お疲れ様。

褒めてあげたら、
凄く涙が出そうだった。自分を抱きしめてあげたんだ。


帰宅したら掃除しよう。
隅々まで綺麗にするんだ。

音楽も、絵も、英語も、自分も
もっともっとしたい。生きる希望だ。



生きる希望だ。
ありがとう。ありがとう。

僕は宗教なんてあまり信じてない。
でも、自分だけは信じてあげよう。


感受性。




苦しくていい。
何倍も感動するから。




今は吸収の時期

偏見にとらわれず
見て 聞いて 体感して

聞かなかった音楽をきく。
見なかった絵をみる。
行かなかった場所にいく。

それって とても良いことだと想うんです。


もっともっと。
溜め込んで、小さな宇宙を自分に創りたい。

混沌として、触れたら血が出るような。
すっからかんで、触れたら叫んでしまうような。
凄く美しく見えて、触れたら気が違ってしまうような。


そんなものを自分の中で創りたい。




きみなら できるよ。

がんばれ 頑張れ 頑張れ がんばれ がんばれ


頑張れ


苦痛。

自分が病気なんだって認めたくないし、
病気のせいだと想いたくない。被害者面できるか。

朝起きて、仕事いって、帰って、自分の時間。

普段通り。
今は普段通りの生活が 苦しいんだ。

仕事をしてるとき、無理矢理 笑顔を造るのが辛いんだ。
笑顔を造ったとしても、また暗い顔になる。



信用出来る人と一緒にいる時は 違う。


昨日も、あんなにモチベーションが上がっていたのに
今日は、また下がってしまっている。

昨日のことも今日気づいたんだ。
僕は、その人が悲しまないように 心に逆らって動いてた。

感情という大きな波に抗って。
抗って、抗って、抗って、最後は爆発する。


甘えているだけだ と 想う人もいるだろう。


難しいんだ。
感情のコントロールって。
頭がこんがらがって。縺れるんだ。


僕は 不特定多数の人に かまってほしい。心配されたい
今は、そんなこと想ってないんだよ。

ただ、僕が信用してる人だけに。
でも、それも いまはカテゴライズの途中。

誰が信用出来て、誰が信用出来ない なんて まだわからない。

少なくとも 僕と会ってない人はね。

心許すことが出来る人は、
両手... いや まだ片手で数えれるくらい。

貴方よ。哀しく想わないで。
また哀しく、切なくなってしまうから。

今は昔の僕じゃない。
今の僕は昔の僕じゃない。
昔の僕は今の僕じゃない。




ゲシュタルト崩壊。




破壊されたんだ。
土台ごとね。木っ端みじんに。今は空中に浮遊して居る。



破壊されたんだ。





さて、何を創ろうか。




だめだ。



僕、また わくわくしてしまってる。


いつだって 答えは シンプルなんだ


美味しいか

まずいか


良いか

悪いか

社会とBjork


社会。
コミュニティ。
集まり。
ルール。
人、人、人、
結合して出来たもの


復帰。
ゆったり。

いいねぇ。
いいねぇ。いいねぇ。素敵だ。共感。

でも、この思想に共感だけしたくないんだな。
でも、共感してしまう。

もっと反逆者として挑みたいとも想うよ。

いいねぇ。いいねぇ。素敵だね。腹が立つほど。

この感情を音にしたら、叫ぶ事しか出来なかった。
腹立たしい。もっと違うアウトプットがあるだろうに。

いかれてるぜ。あー。いかれてる。糞食らえ。


負けない。
でも、勝ち負けはない。だって、こんな小さな世界に




だからこそ 挑むんだ





とどまらない。同じとこにはね



ちくしょう。
なんて素晴らしくて腹立たしい人なんだろう。


あんたのせいで人生変わっちまったよ。



Bjork インタビュー。


$RYO-W Official blog




要するにみんな、言おうとしてることは同じなんだと思うの。愛、憎しみ、失望、喜び、希望、奇跡、色っぽさ、誘惑、そういう感情はどこにでもあるもので、どこの音楽だって同じよ。もちろん個人的に何かに凝る時期ってのはあるわ、今はこれに夢中っていうふうにね。で、結局のところ9割方の音楽はいつだってゴミなんだし、それはどんなスタイルかなんてことには関係ないもの。人と同じよね、いい音楽って真摯で正直で純粋で、そして何より大事なのは、偽りなしに自分を表現する根性と勇気があること。感情が伝わってくること。どんな音楽だろうがそれさえあれば充分。


私にわかってるのは……私がこれまでどれだけ頭が変になって落ち込んできたか、どれだけイカれそうになったかということで・…そういうことを友達なんかといろいろ話し合ってみたけれど、誰にも共鳴してもらえない何かが自分の中にはあるっていうことなのよ。それなのに、ぼーっと座ってたところへ突然、ラジオから曲が流れてきて、そこで何かがパチンとはまって、すべてがわかったと思える瞬間があるのよね。これってどっか抽象的と言える感情で、「ああ、これよ、これが私の感じてることなのよ。ラジオで流れる、この曲なの。私のことを理解してるのは、世界中でこの曲だけよ」って考えちゃうのよね。で、これってものすごく重要なことだと私は思うんだな


人々が私の楽曲を曲解したり、あらゆる違った面から見られることはおもしろいから好きよ。それで失望したりはしないわ。あらゆるキャラクターがあって、それぞれの個性が出たほうがいいと思う。いろんな意見の人がいればいるほど私はよりハッピーになる。世の中同じ人なんているわけがないんだから。90%の人が同じ服装で、ルックスも同じで、しゃべってることも一緒で……なんて私にとってはナンセンス。人間って見た目よりもはるかにいろいろな面を持っていると思うのよ。内面的には違うものを持っているんだけど、抑圧されていて、それをうまく出せないの。だから、人々が私の楽曲を聴いて、今までなかった何か違う面を見つけてくれるのは、私にとってはとても喜ばしいことだわ。そういうことに興奮しちゃうのよ。


実生活というものはとても複雑なものだけど、でも、同時にとてもシンプルでもあるってことね。あなたがここに座って友だちと電話をしたとする。友だちは“元気?”と聞く。あなたは“うん、元気だよ”と答えたとする。でも、その言葉にはとても複雑なニュアンスがあるかも知れない。あなたの中の60%の部分は元気でハッピーかもしれないけど、20%の部分は悲しんでいて、7%ぐらいは興奮していて、5%の部分はとても疲れているのかもしれない。そして、同時に周りにはあらゆる臭いがして、あらゆる色がある。天気だって、ちょっとあったかくて、ちょっと寒いかもしれない。あなたは大きくもあるし、小さくもあるかもしれない。あなたの友人が、“元気?”と聞いてきて、“うん、元気だよ”って答える。たったそれだけのことでも、とても複雑なニュアンスがあるの。でも複雑だけど、同時にとてもシンプルなことよね。



わたしのオブセッションはいつだって「これまで誰もクリエイトしたことのないもの」を第三者と創造することだったの。


わたしが最もゾクゾクさせられるのは、自分とはまったく違う思想や背景を持った人々と出会えるっていう音楽の側面なのよ!お互い自分の全てを相手にさらけ出し、自分の持っているもの全てを惜しまず相手に与え合う、これこそがわたしにとって本当の意味でのクリエイティヴィティなの。1+1が3になるってことなのよ。


にかく十字路に立ってみたってことだったの。人生っていろんな時期の積み重ねだと思うの。そして一つ一つの時期を最大限まで体験しきることがとても大切。で、ある時がくると、ある時期は終わるのね。何でも始めるのは簡単、「うわあー!」って新しいものにわくわくするのは、新しい人でも新しい国でもね。でも、終わりがきたってことに気づくことも、それと同じくらい大切なことなのよ。それは残忍なことでも冷酷なことでもない。むしろ、一つの時期に20年も30年も固まって動かない方がずっと残忍で冷酷だと思うわ。そんなのほとんど人生そのものに背いた生き方だもの。もちろんいろんなものを愛したり、親密な人間関係が築かれたりすれば、去って行くのは辛いわよ。


緊急事態に自分の中から出てくるものって、自分でも知らなかったすごいものなのよ。だから、自分の中にある何かを形にするには、この身を緊急事態に放り込まなければならなかったの。


自分の内なるものに謙虚に従って、それを歌いたい


今はインタヴューをたくさん受けて何から何まで喋っちゃう、それでまた一人になって新しい歌が書けるから。すべては歌のためなのよ、ほんとはあんまり人づきあいって好きじゃないの。昔からすごーく親しい友人ととことんつきつめて話をするのは好きだけど、世間話ってのは嫌い。どうでもいいこと喋ってるぐらいだったら、一人でいる方がずっといいもの。


つまり海底で大爆発して、そこからまた水面に昇ってくる術を見つけなきゃならなかったのよ。自分自身の眼をじっと見つめてね。でも、これってすごく刺激的で、全然落ち込むようなことでも何でもなかった。むしろ……むしろ、挑戦って感じだったわ。また、全く新しいことをやってみるっていう。


みんなが平等で、アナーキストで、ほら、いつも言うけどわたしたちって世界最古の民主主義人民でしょ。プロデューサーっていう概念はよその世界からきたものよね。でも、ハウィーBなんかはスコットランドの人で、アイスランドに近い社会だから、「よーし、みんなで音楽作ろう」って感じなのよ。プロデューサーなんていうのは……とにかく妙な単語で、わたしの中にはない感覚。これって権力の問題なだけ、ほんと醜い言葉だと思うわ。あんまり好きじゃないな。


やめて!そんなこと言われたらわたし死んじやう。どうして今の音楽はいけないんですか。わたしもう死んでる人の音楽なんて演りません!先生はわたしを台無しにしてる。音楽も台無しにしてる


子供が好きなように音を鳴らして四十五分間みんなの注意を引こうっていうものだったわけ。で、突然思ったのよね。そんなの簡単なんだわ、オモチャを好き放題投げつけてればいいんだから。それより一枚ドブラだけを使ったアルバムを作るとか、そういう方がチャレンジだわ。ほら、君が使えるのはこのスプーン一本です、これでみんなが飽きないものを何かやってみなさい、


すべての音楽は一つの同じ目的を持ってると思うわ。それはシュトックハウゼンでもプロディジーでもやってることは同じ。ただ、その一点に行き着くためにそれぞれ違う方法をとっているわけよ。それって要するに、“人間に対する共感”だと思うの。言葉やほかのいろんな方法では表現しきれない抽象的なことを言い表すの


毎朝、誓うのよ。「自分がただの人間だってこと忘れちゃいけませんよ」って。なのに何か聞かれるとその途端に、もう偉そうに喋るったら喋るったら(笑)。でも……これだけは言っておきたいの。わたしもみんなと全く同じに混乱しまくってるんだってこと。できるだけ、がんばってるだけなの……


自分がそれを客観的に捉えるか、感情と理性の狭間に立っているかの違いだと思う…。感情の波に押し切られてパニック状態に陥って、被害者意識に囚われているかと思えば、次の瞬間その状態を客観的に見ることが出来る。そしてまた次の感情の波に襲われるっていう風に、凄く自然に起こるのよ。私だけじゃなくて、誰でもそうだと思うけど。そして更に客観的に見れるようになるとユーモアっていう要素が出てくる。自分でも笑えるくらい客観的になれば、それがユーモア。ある状況から一歩引いてみておかしいと思えればね。


そして、それぞれに、タイミングってものがあるってことなの。それにね、わたしは人が今はこういう世の中ですっていうような定義をすることをすごく変に感じる。たとえば、トレンドを作ったりすることってそのいい例だと思うんだけど。今はこの服を着なさい、そして、スピリチュアルな気分を味わいましょう、とか、次はこの服を着なさい、そしてディスコな気分になりましょうとか。それって、人をコントロールしているのと同じにしか思えないの。わたしが最も嫌いなことって、社会に何をしなさい、って言われたりすることなの。だからね、わたしが作る音楽も、はーい、今はこんな世の中だから、こういう気分になりましょう、なんて人をコントロールするようなものであっては絶対にいけないと思ってる。『音楽は必要な時にはいつでもそこにあるようなものである』っていうのがわたしの理想とするあり方でね、要は友達みたいなものなの。本当にいい友達って、あなたに「人生で何をすべきなのか」って言ってくるような人じゃないでしょう?いい友達っていうのは、あなたが自分でそれを見つけるのをじっと待ってくれているような人だと思うの。そして、あなたが行きたいと思っている方へ、たとえそれがどこであってもね、絶対に行かせてくれるように、助けてくれるような人だと思うの。


ある人がその日をいい1日にするために、何かをコントロールしようとしているっていう歌詞があるの。それで、自分の意識が現われて、『あるがままにしなさい。コントロールしようとしてはいけないよ。なぜなら、それは君次第ではないんだから』って言うわけ。彼女はいつも何かを一生懸命コントロールすることで頭が一杯で、とってもとっても一生懸命なわけ。でもね、そこにはあなた以上の力が働いているんだよ。それは自然というもので、それはあなたよりもっともっと大きい力なんだから、コントロールしようと思ってもできないんだよ、それはそのままにしておきなさい、って言おうとしているわけ。



自分独りで家にいたら。「こうするべきかしら、ああするべきかしら。もしかしたらどうなるのかな?これって我が儘なことなのかな?ってそういうこと誰でも考えるでしょ?それとこれまで反宗教的な旋律だったのに今回は教会の音とか宗教的なメロディが入ってきたのはなぜかっていう質問についてだけど……わたしはそもそも反権力主義者なのね。わたしの国は600年間植民地だったようなところですごくひどい扱いを受けてきて、1944年にとうとう独立することができた。だからわたしはパワーってもの、権威ってものも大嫌いなの。わたしはあるひとつの宗教を信じたこともないし、もしそれが必要だと感じたり、何かに助けてもらいたい、って感じた時は、外に散歩に出かけるの。そして自然の中に入っていくの。だから、教会に行く代わりに、わたしは山に登るわけ。だから、アイスランドの人はみんな、権威ってものすべてを嫌悪してる。ヒエラルキーも存在しないし、アイスランドでは大統領もタクシー・ドライバーも同じ身分で、同じ道を歩くの。お店で会えば同等に会話もするし。だからわたしは宗教も信じていないの。その他にも色んな理由があって、宗教とうまくやっていけないのね。


わたしはそういうのってずっと現実逃避だと思ってきたの。何かに頼ったり、自分の殻に戻ったりすることはね。本当はいけないことのように感じていたっていうか。だけど、これまでのアルバムでわたしは自分の限界まで挑戦して外に向かってエネルギーを出して、そして、リアリティとかその暗闇とかと思いっきり向き合ったわけ。そうしなければいけない、って自分に言い聞かせて。でね、そこまで辿りついた人間がその後に自分の殻に戻りたいって思うことって、別に現実逃避じゃないんじゃないか、って思ったの。何も悪いことじゃないわよね、って。


私の場合は・・音楽を作ることができて・・愛する人とコミュニケートできている時、私の心の中にある情熱と私を取り巻く周囲の情熱、その2つが同じレベルで釣り合いが取れている時に大きな幸せを感じます。