頑張りすぎる人間関係カウンセラー・もりわきまりこです
生きていればいろんな日がありますよね。
よくよく考えてみれば1日の中でさえ、アップダウンが激しい時だってあります。
しかし、ある一瞬だけを見てくり抜いて「あなたはこんな人」とレッテルを貼る人もいます。
そのあと、何をしても何を言っても、その色眼鏡をかけたまま返してくる、
意思の疎通がとても難しいという経験、あなたはありませんでしたか?
わたしは子供の頃からこの癖がある人に感情を乱されることがよくありました。
女性の年上の方、または同い年でも妙に威圧感の強い女性が相手でした。
「そんなことは言ってないよ*」と返せば
「言い訳だ!」
丁寧に説明しても
「言い訳だ!」・・と、返されるので会話にならないんですね。
どこにも持っていきようのない気持ちは
不完全燃焼のガスとなって耐えず自分の頭の上で広がっていました。
わたしは、他者との間で「誤解されたくない」という思いが強い子供でした。
言い換えれば「わかって欲しい!」がとても強かったということです。
大人になってもその面は強く、40代半ばで、人間の心の仕組みを知ったとき
わたしの怒りの元凶は
「理解されないわたし」の身の置き所がないと思い込んでいることと関係があることに気づきました。
分かり合えない圧の強い女性のルーツは母でした。
それが丸々他者との間で出ていただけ。
そして
「理解されないこともあるわたし」を
わたし自身がばっさり切り捨てていたことにも気づきました。
他人の理解や、許しをもらうことで満たされている気分になるかりそめの安心感、
それは、他人の機嫌一つで、いくらでもまたひるがえってしまう危ういもの。
レッテルを貼られることは愉快なことではありませんが、真に受ける必要もないのです。
わたしの中のわたしは、他人が知らない万華鏡くらいたくさんの面があります。
全てを許し包み込んであげたとき、温かく柔らかい思いが自分の中から溢れ出ることを知りました。
丁寧に伝えても、聞きたくない!と耳をふさぐ人はわかり合おうと頑張る必要のない相手です。
その人自身も、是が非でも自分の正しさを押し通さないと心が保てなかったなど、何らかの意思の疎通が叶わなかった事情があるのでしょう。
しかし、その人が自身で向き合っていくなり対処していく問題なのでこちらに責任はありません。
ひとの中に自然にある得意不得意、気分のアップダウンが表に出ることは人格の優劣とは関係ありません。
それをセルフイメージ「どうせ自分はこんな人」に置き換えるから苦しくなります。
自分とよく似た考え方のひとになにか言われたときこそ、真に受けず流していきましょう。
レッテルに反応したときは
あなたがあなたの心の声を聞いてあげていたかな?と点検を促すサインです。
誤解がある方、こちらでわたしと一緒に解いてみませんか?
お待ちしています!