1977年京都市で生まれる。保育園の卒園式の時、将来の夢はなんですか?との質問に迷いも無く「ロールスロイスに乗って遊園地に行くことです」と、大声で言って、みんなの笑い声で少し恥ずかしかった。小学校の卒業アルバムの将来の夢では、車の修理屋さんになること、父の車の助手席が大好きで、通りすぎる車の名前は大体言えたきがします。小学 中学 高校とサッカーか車の事しか頭の中に無かったです。車の外観しか見てない自分に、母から車の機関の本も見たら?と買った本は、文字ばっかりだったので、ほとんど見なかった気がします。
浪人 大学(京都精華大学 美術学部 立体造形)時代は学費を稼ぐためにアルバイトの人力車ばかりじてました。今までで、一番稼いでいた時です。人力車では、たくさんの事を勉強させていただきました。もし人力車に出会っていなければ大学生活は成立しなかったでしょう。「有言実行」「目標をしっかり持ってそれに向って突き進むこと」「やる気 元気 負けん気 根気」「鬼心」「一番になる事の重要性」数々のありがたい言葉をいただきました。
大学の時に車の雑誌で知ったVANNUYSのAKIRAさんから、本場を見なければ始まらない!との助言に、2000年大学卒業の時1人で一ヶ月渡米 何も解からず、ただHOTROD KUSTOM を知る為に行きました。一ヶ月間レンタカーを借りると所持金がほとんど無くなってしまいレンタカーで何泊かしました。まずは雑誌に載っている人に会いに行こうとしますが、住所が載っていなかったので、見つかるはずがありません。ただ解かったのはSAN DIEGO 何とか人に聞いてたどり着いた所がLUCKY TATOOでMOGUNに会うも英語が話せないので大変です。そこで紹介していただいたのが、SHIFTERSのBILLY ANTHONY MARKYでした。SHIFTERSと行動をともにし、たくさんのHOTROD&KUSTOMを見ることができました。みんなHOTRODを自分で作っていたのに感動し自分もHOTRODを作りたいと思いました。
日本に帰り先ずは職業訓練校で溶接の知識を学び、大学の先輩の紹介からLUCAS RACINGという日本の旧車レストア屋さんに勤めるも半年で辞める事になります。車の事を何も知らなかったのに根拠のない自信だけあったので当然です。『お前の生きてきた全ての選択は間違ってる、お前が作るものを俺は一生認めへん!』と言われました。へこみましたが、HOTRODを作る目標があったので次に進みます。すぐに見つかった所が、トラックの仮装屋さんです。ここで車の事 板金 塗装 解体と学びました。
2003年HOTRODを作るために再び渡米3ヶ月という短い期間でしたが、SHIFTERSの皆さんの協力で1930年FORD MODEL A 5window COUPEを作ることが出来ました。日本に持ってくるが、日本の交通事情では、走らせる事が困難で思考錯誤していました。イベントに行くのも積載車に積んで行こうか迷ったぐらいです。そんな時、母から一言「走らない車をイベントに持っていって何がおもしろい」と言われ自走でイベントに参加したものです。
そんな時,大学の先輩の紹介で知り合った静岡のRISING SUNで5年間修行させていただく事が出来ました。しっかり走って曲がって止まる車の基本性能そして数々のパーツのことなどなど、たくさんの事を学ぶ事が出来ました。失敗の連続で「反省するなら注意しろ」と言っていただいたものです。
行って来ました INK N IRON (QUEEN MARY IN LONG BEACH)すごいshowです。fashion music kustom kulture tatoo と全てが一つになったSHOWです。それぞれが、ばらばらに存在するのでわなく、全てが共通でLIFE STYLEなのだと、あらためて感じることができました。 SHIFTERSのMARKYが製作した‘60 EL CAMINO とMORTERCYCLE がDOUBLEでTROPHYを受賞していました。




























