にのもんた
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分かち合いの会 グリーフケア

11月5日(土)は、自助グループあかねの、分かち合いの会及び研修会に参加した。

分かち合いの会は、大切な人、多くは家族を亡くした人で、その死別の悲嘆(グリーフ)を抱えた人たちが集まって、自分の気持ちを語り合い、お互いに話に耳を傾けるという会である。2ヶ月に1回開かれており、普段は3時間たっぷり時間をとり、お互いの思いを話し合うという。

今回は10数人が椅子に座って車座になって語り合った。親、兄弟、夫や妻、それに子どもを亡くした方がそれぞれに、その時の思い、その後の思いをひとりひとり、ゆっくりと話してくれた。初めて参加の方も二人いた。

1時間ほどの分かち合いの後、研修会に。

 

  会場の赤煉瓦文化館

 

 

『グリーフケアを学ぼう〜在宅ほすぴすの現場で考える』と題して私が話をした。

当院でも在宅で亡くなった方の家族(遺族)の方たちの集まりを毎月1回開いていた。(今はコロナ禍のため中断中) そこでも、あかねの分かち合いの会と同じように、親や兄弟、夫や妻、ときに子どもを亡くした方が参加して語り合う。当院に見学や実習に来る方たちがたまに参加するが、その会の明るさにびっくりする。遺族の会だから、悲しみに沈んで、暗い雰囲気だろうと想像してくるのだろう。しかし実際には、参加者は明るく語り合っている。

 

さて、研修会の講演の話に戻ろう。

テーマは「グリーフケアを学ぼう〜在宅ホスピスの現場で考える」とした。

参加者の多くは遺族であるが、病院で看取った方が多い、と聞いていた。実際30人ほどの参加者の多くは病院で、在宅及びホスピスでの看取りを経験した人が3人ずつだった。

前半はまず、在宅ケア、在宅ホスピスとはどんなものか、を紹介した。クリニックの在宅、地域での活動を紹介し、その後、在宅ケア、在宅ホスピスはクリニックだけでなく、いろいろな仲間たちの協力で実践されていることを話した。いつも話すことだが、在宅ホスピスの仲間たち、として以下の6つをあげる。

1 訪問看護師は在宅ホスピスの要

2 生活支援チームの重要性

3 生活を豊かにするボランティア

4 地域の仲間たち

5 九州・全国の仲間たち

6 世界の仲間たち

できるだけ具体的に話したつもりだ。

 

 

 わすれられないおくりもの

 

後半は、「わすれられないおくりもの」という絵本の紹介から始めた。

長崎大学の後輩(教育学部だが)で福岡で教員を勤めた植松くんの話だ。彼の送る会で、後輩の教師たちがこの本を朗読してくれて、私も初めて知った。森のアナグマが亡くなったが、彼から教わったいろいろなことで、残された動物たちがアナグマのおかげでその後も生きていくことを学んだ、という話だった。確かに43歳で亡くなった植松くんは、アナグマのような、知恵と人望を備えていた。悲しいけれども、彼から受け取ったものを自分で生かしていく、という思いを伝えたかった。

 

その後、当院でおこなっているグリーフケアとして、「あゆみねっと」と「在宅ホスピスを語る会」について話をした。あゆみねっとは、在宅で家族を見たった方の集まりで、毎月1回開催している。今はコロナ禍で中断しているが、それでも要望があって、不定期に、人数を限定して会を開いたりしている。

あゆみねっとでの約束事があり、話を外に持ち出さない、相手の話を遮らない、など対話も基本を守るようにしている。テーマを決めて話すこともあり、例えば、「心を動かされた出来事」、「お盆の迎え方・過ごし方」、「故人との旅の思い出」、「在宅ホスピスを選んだ理由」、「在宅看取りをして良かったこと・悪かったこと」、「家族の間で個人の思い出をどう共有しているか」、「悲しみからの一歩を感じること」、「1年を振り返って」など、その時々にスタッフが考えた、あるいは参加者から出たテーマについて話し合っている。この会に、私はほとんど参加しない。患者さんのケアに一緒にあたったものとして、一緒に話したい気持ちがあるのだが、私が”在宅主治医”として参加すると、「先生、ありがとう」「おかげさまで」という話が前に出て、本音が十分に言えないのではないかと思うからだ。同じような辛い体験をした人たちが、ゆっくりと本音で語れる場を保証したいと思っている。

 

もう一つの、「在宅ホスピスを語る会」は、在宅ホスピスを経験した方1〜2名に話してもらう。ケアに関わった、看護師やソーシャルワーカー、ヘルパーなどと対談しながら、みんなが聞くという形。地域の住民の方たちに、在宅ホスピスを”知ってもらう”というのが第一の目的だ。医者や看護師の講義を聞くよりも、実際に体験した家族の、苦労、悩み、工夫、喜びを直接聞くことのようがよほど役に立つだろう。

早くコロナ禍から脱出し、またあゆみねっとや在宅ホスピスを語る会が開かれることを願う。

 

講演の最後には、ケイ・ギルバートさんの「悲しみから思い出に」という本を紹介し、グリーフに直面した人たちにどのような支援ができるのか、ケイさんの言葉を少し紹介。

また、何人かの人の言葉も紹介した。私の言葉としては、

・人は 死にゆく力を 持っている。

・家族は 看取る力を 持っている。

・すべての人は 遺族である。

という言葉を送って締めくくった。

 

  

 

最後のスライドは、メキシコの死者の日の祭りの、骸骨の写真。

福井の紅谷さん(オレンジ・ホーム・クリニック)がちょうどメキシコ訪問中で、Facebookにあげたものを了解を得て使わせてもらった。日本のお盆に当たるような行事だと思われるが、色彩感覚、骸骨を持ち出す感覚など、文化、風習の違いは大きいもんだと感じ、死と生について考えるきっかけにしてほしいと思ったからだ。

 

グリーフケアを正面から取り上げた講演は、初めてだった。

まとめたり、話したりしながら感じたことは、グリーフケアは、スピリチュアルケアに通じる、大変重要な部分であるということ、しかし診療報酬状の評価はなく、また医療的な観点から重視されてこなかった、という問題点があるということが課題であるということだ。

分かち合いの会や、あゆみねっとに参加できる方はそこから一歩を踏み出すことができる可能性があるが、そのような場に出てくることのできない方たちは、どのような思いでその日々をすごしているのだろうか? 私が気になっているところである。

 

 

オンライン現地訪問@バングラデシュ

久しぶりのブログです。

そして、ひさしぶりにバングラデシュと手をつなぐ会のことをかいてみます。

 

10月、11月はオンラインでの現地訪問が行われました。

昨2019年3月に、河村さん、田島さんと3人で現地訪問しました。看護学校の建物が完成し、生徒や先生たちが生き生きと授業やその他の活動に取り組んでいました。来日した学生たちも、喜んで私たちを歓迎し、再会を喜んでくれました。

 

今年はコロナ禍のために日本からの訪問も、現地からの招聘事業もできません。しかし手をつなぐ会では以前からスカイプなどを使って現地とのリモートでの交流(会議など)も行っていました。また5月の総会などにも、日本のメンバーとともに、バングラデシュスタッフもズームで参加してもらいました。このような経緯もあり、オンラインでの現地訪問の提案は、スムーズに受け入れられ、また十分な準備も重ねて、スケジュールを組みました。

 

スケジュールは10月に2回、11月にも2回の計4回とし、最初の2回はバングラからの報告をお願いしました。

 

各回ごとにテーマを設け、第1回目は、まずションダニ病院でした。

ションダニ病院は、私がまだ現地訪問を初めて数回め、村人たちとの話し合いの中で、強く強く要望されて建設したものです。大きな病院を建設する資金は提供できないので、まずは絶対必要なものから、ということで「母子保健センター」として建設、出発しました。1995年です。

 

今年で25年。

 

いろんなことがありました。

中でも最も頭をなやましてきた(今でも)のは、医師、看護師の定着が困難なことです。

理由はいろいろあります。

 

それはさておき、

1回目は、ションダニ病院で活躍する医師、看護師、メディカルアシスタント、検査技師、寮母などのスタッフがそれぞれの活動や問題点、自分の思いなどを話してくれました。メディカルアシスタントのルベルは病院で医師の手伝いの仕事をするばかりでなく、学校や村に出かけて、コロナへの対策やマスクの付け方なども指導しています。レントゲン装置が2年前から故障して修理ができず、使えなくなっていることが大きな問題だと訴えました。高額な器械であり、手をつなぐ会の現状から、すぐに対処するのは難しいと感じました。

 

 

オンラインでの「現地訪問」に戻ります。

 

2回目は看護学校がテーマでした。

2012年からプロジェクトを開始し、資金集めなどに苦労しながら、2017年に厚生省の許可を得て開校。

2019年3月にようやく建物全体が完成しました。

 

全国の皆さんにも大変協力をいただきました。

本当にありがとうございました。この場を借りて、心からお礼を申し上げます。

 

今回のオンライン現地訪問では、まずションダニ学校の校長から、バングラの医療状況、看護師の不足などの問題が述べられ、看護学校の必要性が話されました。その後看護学校の先生たちから報告がありました。

実習の写真などを見ると、看護学校でも活発に活動が行われていることがよくわかりました。日本側の看護師たちからも質問があり、またバングラ側からも次々に質問が飛び交いました。

 

3回めと4回めの報告は、次回に。

 

 

オンライン現地訪問、後半は次回に。

 

 

緩和ケアに関するジャーナリストの大きな誤解

緩和ケアに関するジャーナリストの大きな誤解

12月21日 昨日は大分市で「大分県在宅医療推進フォーラム」が開かれた。私は特別講演に招かれ、「地域でつむぐACP」テーマで話をした。大分市は全国でも有名な在宅ホスピスを推進している地域で、その牽引者は山岡憲夫さん。彼は私と同じ長崎大学出身で、大分市で熱心に在宅ケア、在宅ホスピスを進めている。そればかりでなく、このようなフォーラムなどを開催して、住民啓発にも力を注いでいる。

楽しい会だった。

9時過ぎにもしバナゲームのファシリテーター3人と一緒に博多を出発、11時半ごろ会場に到着すると、山岡さんが急ぎ足でやってきて(彼はいつも急ぎ足だが)「介護劇を見に行こう」と我々をせかす。一緒に会場に行ってみると、介護劇の2回目の公演もすでに後半。高齢夫婦のお宅に、医師がお邪魔して、在宅療養での医師の役割などを説明しているところ。出演者は本物の医者で、落ち着いた穏やかな口ぶりだった。続いて、薬剤師、ソーシャアルワーカー、ケアマネージャーなどがそれぞれに登場し、面白おかしく、それぞれがどんなことができるのか、パックのスライドを示しながら話してくれた。聴衆は一般の方と思われる人たちも多く、笑いながら学んでいた。

介護劇の脚本を書いたのは日田の在宅医宮崎秀人さん。10年来のわたしの友人だ。人を楽しませるのが大好きで、昔ながらの紙芝居にも凝っている。

 

 

昨日のフォーラムの余韻を楽しみながら列車に乗ってメールやウェブサイトを眺めていたら、あるサイトの見出しが目に入った。

 

【続々・長生きは本当に幸せか】緩和ケアを受けられない現実 圧倒的に足らない病棟数、医療費抑制のために診療報酬“改悪”

 

冨家孝(ふけ・たかし)という医師でジャーナリストの記事である。

がんの末期で、緩和ケアを受けられない人が多い。その理由は、病棟(病床)が足りないからである、という書き出しにまず驚いた。こんな無知な医師、ジャーナリストがいるのか、と。

最初の段落で、大病院では専門のチームが緩和ケアを提供してくれる、という。これは間違い。

大病院に急ごしらえで作られた緩和ケアチームの質はピンからキリまで。在宅でのホスピスケアを20年以上やってきた私にとっては、早く在宅に戻してくれ、在宅でなんとかするから、病院にいることで無駄に苦しみながら時間を費やしてしまう、という思いがある。

 

さらに、

”まず、病棟数が圧倒的に足りていません。1990年に5病棟に過ぎなかった緩和ケア病棟は、2012年には5568床まで増え、19年現在で8646床となっています(日本ホスピスケア協会調べ)。しかし、がんの年間死亡者は約37万人ですから、需要に供給がまったく追いついていないのです。”

ここには意図的とも思われるとんでも間違いが述べられている。

緩和ケアのベッドが8646床とすると、入院期間を1ヶ月とすると8646X12=103,752となり、10万人余を受け入れることができることになる。さらに現在の多くの緩和ケア病棟が目標としている2週間(約1/2月)の入院となると、この倍つまり20万人余を収容できることになる。がん死亡者の6割程度は楽に収容できることになる。

確かに彼は数字をのべただけで、8600ベッドに37万人は入らない、と言っているわけではないが、素人がパッと見たときには、37万人を1万足らずのベッドに(一度には)収容できないと感じるのではないだろうか。

ちなみに、アメリカではホスピスというと「在宅ホスピス」のことを指す。看護師「ホスピスナース」が患者の家を訪問し、ケアを行う。医師はほとんど訪問せず、看護師の報告を受けて、指示や処方をする。患者の自立、意思決定の意識が高いこと、訪問看護師のレベルが高いこと、それに医療費が高いことなどが理由としてあげられると思う。

つい最近のNEJMによると、在宅での死亡者が、病院での死亡者を上回った、という。病院死が8割近くを占める日本では、考えられないことだ。(これについては別に書きたい)

 

(さて話を記事に戻して、)

 

また、その前に

”「人生会議」が推奨され、終末期の過剰医療が問題視されるなか、緩和ケアによって穏やかに死んでいきたいというのは、誰もの願いです。”

とあるのも唐突。「人生会議」は確かに、小藪を採用した厚労省のポスターで一躍有名になったが、これを多くの人が理解し、人生会議を活用しようと考えているとはとても思えない。加えて「終末期の過剰医療」の中身も触れられていないし、(スペースの都合かも?)「緩和ケアによって穏やかに死んでいきたい」というのが”誰もの願い”だとは言い切れないだろう。

私は先日大分での「在宅医療推進フォーラム」の特別講演に招かれて話をしてきたが、会場には半分くらいは一般市民の方が参加していた。みなさん本当に熱心に聞いてくれたが、ほとんどの方は、ACP(人生会議)について知らなかった。個人の自立、コミュニケーションのあり方がまだまだの日本では、ACPの実践、意思決定はまだまだこれからだと感じた。

 

なによりもこの記事で決定的に欠如しているのは、在宅ホスピスへの視点である。

在宅ホスピスのことについては、一言も触れられていない。おそらく彼の頭の中には、在宅ホスピスという言葉すらなかったのだろう。私は1996年の開業以来、外来診療と在宅診療を柱としてやってきた。現在では年間100人ほどの在宅ホスピスの患者さんを持ち、そのうち60〜70人ほどを自宅や本人の希望する施設(以上を広い意味で在宅と呼ぶ)で看取っている。残りが病院またはホスピス病棟で最期を迎える。

在宅ホスピスは、本人の意思と家族の思い、それに在宅チームの支えと工夫で成り立つと考えている。在宅医、訪問看護師、訪問薬剤師、ケアマネージャー、ヘルパー、ボランティアなどいろいろな職種が関わり、協力・連携する。もちろんそれぞれ別の事業所なのでお互いの連絡は密にする必要があり、緊急時の連絡なども大切である。家族もそのチームの一員と言えるし、在宅チームとの協力の中で、次第に家族が自信を持ち、ケアの力が成長していくのを感じることができる。

最期まで家で過ごすかどうかは、病状の進行、痛みなどの管理がうまく行ったかどうか、などいろいろな条件で変わってくるが、必ずしも「家で死ぬ」ことが目的ではなく「できるだけ家で過ごす」ことを目標として我々は関わっている。

 

まだまだ在宅ホスピスでケアを受け、できるだけ家で過ごすことのできる患者さんは少ない。しかし、いくつかの全国的な団体もあり、在宅ホスピスの普及と質の向上に勤めている。私が所属しているのは「日本ホスピス・在宅ケア研究会」「在宅ホスピス協会」「日本在宅医療連合学会」などがあり、また地域の中では「ふくおか在宅ホスピスをすすめる会」などがある。

全国各地でこのような活動が展開されるようになってきている。

 

冨家氏には、ぜひこのような活動にも目を向け、これらの活動を市民に知らせるような情報提供を続けていただきたい。

 

 

 

 

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