昨今の新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、日本政府は、年齢、所得に関係なく国民一人当たり一律で10万円の給付を行うこと決定した。

政府は当初、今回のコロナ禍の影響で収入が大幅に減少した世帯を対象に一世帯当たり30万円の給付を予定していた。しかし、このような政策では各世帯の収入減少の確認手続きに時間がかかることが懸念されていた。

給付対象を全国民とする今回の政策転換は、政策の緻密さよりも、目の前の危機に対する政策のスピードを重視した決断であったと解される。

一方、今回の一律10万円給付について一部の識者からは、早くもその問題点が指摘されている。その主たる論点は、

 

「所得水準が変わらなかった国民や高所得層にも10万円の給付が行われるというのはいかがなものか。」

 

という点である。

例えば、作家の古市憲寿氏は4月16日朝の情報番組の中で、「(一律給付は)分かりやすいと思うんですけど、今の案だと、今回のコロナショックで収入が全く落ちてない人にもあげるって案ですよね?」と指摘し、「何兆円かかりました、その税金誰が返すんですかって言ったら、今働いている我々じゃないですか。ちょっとフェアじゃない。」と主張している。

https://www.sanspo.com/geino/news/20200416/geo20041610470021-n1.html

 

また、土居丈朗慶應義塾大学教授は4月18日の日本経済新聞朝刊において、

「高所得者への給付には批判もある。一律で配ったうえで高所得者には所得税を増税して取り戻すというやり方もある。政府は国民の理解を得るため、こうした対応策もセットで示す必要がある」と主張している。

 

各種メディアでこのような意見が取り上げられるということは、ある程度の割合の国民が同様の違和感を抱いている可能性が高いということである。しかし、その中で私が問いたいことは、この政策のどこがアンフェアなのかということである。

一見すると、今回の政策は、経済的被害を被った人がそうでない人の分まで給付金を負担する政策に見えるという方もいるのかも知れない。しかしそれは全くの主観である。今回のコロナ禍で経済的損失を被らなかった国民や高所得層も税金は納めている。すなわち、今回の政策が、将来の税の徴収によって賄われるものであるならば、この政策は国民に一律にお金が配られ、一律にその徴収が行われるれるという政策に過ぎないのである。

 

今回の政策を簡単にモデル化してみよう。

まず、今回のコロナ禍によって経済的損失を被った家計を資金不足主体、そうでない家計を資金余剰主体と定義する。

ここで、ある t 期において政府から10万円が各家計に与えられるとする。また、その財源は将来の増税によって賄われるものとし、その徴収が行われる期を t + n 期とする。

この時、資金不足主体は t 期において不足している資金(食費や家賃、負債の返済にかかる費用等)をこの10万円を用いて一旦充足させ、 t + n 期の徴収までの n 期間を使って貯蓄を行う。

他方、資金余剰主体は10万円を貰っても現状で必要な出費が無いため、これを t + n 期の徴収まで貯蓄しておくのが合理的行動である。

そして t + n 期において、資金不足主体は n 期間で貯蓄した10万円をもってこれを返済し、資金余剰主体は当初貰った10万円をそのまま返して終わり。

よって、この政策は実質的に、政府が資金不足主体に対して無利子で10万円の貸し付けを行っていることと同値であり、資金余剰主体は損も得もしない。

 

上述のモデルでは、簡単のため一括徴収を仮定したが、各種の税金で少しずつ徴収される場合でも同じことである。

アンフェアな状況があるとすれば、税の徴収において不平等が生じているケースであるが、それは既存の税制度に問題があるという話であり、今回の政策とは別の議論である。

また、資金不足主体には貸付けではなくそのまま10万円給付すべきで、財源は今回の資金不足主体に無関係のものから徴収すべきであるという主張もありうる。ただしそれは、今の政策にプラスアルファで資金不足主体を援助するか否かの議論であり、今政府が行っていることがアンフェアであるという根拠になりえない。そもそも、政府は当初、資金不足主体にターゲットを絞って世帯当たり30万円を給付する政策でそれを行おうと試みた。しかし冒頭で述べたように、そのような政策では時間的コストが生じるゆえ、次善の策として今回の政策がとられている。この経緯を理解すれば高所得層への10万円給付に対して批判的な意見は正当化しづらいのではないだろうか。