お も しろい 尾 も 白い
誰か 面白い事 言って あっ それ しろい いぬ だね
と このように使います。
あれから30年ゴルフを通じて色々な人達と出会い、木原みちこさんの何気ない一言が僕の人生に今思えば良い道を選ぶ結果となったと思っています。

先輩は52才で亡くなりハンディ4でした。
僕達二人の先輩、先生、師匠として 仕事、人生、遊び、等ゴルフを通じ良い事、悪い事、良い人、悪い人、良い女、悪い女、良い人生、悪い人生、等、等等等等々 教えてくれました。

僕達二人はただの若造からゴルフを通じ立派な社会人になり結婚、子供、家、車と順調な人生を歩み友人は、病気も治りもうちょいで、完全復活します。


札幌はまだまだ寒いけど、今日は最高な良い天気、ゴルフ練習打ちぱなしに出かけます。

練習場はネットの内側は雪なので、今日は太陽の反射が有るので、ボールの落下が見えない、打った瞬間ボールは消えるのです。


気にしないで打ってヘッドアップ防止の練習をします。


練習後 昨日のパチンコに行きます。
あの女いるかなあ?
30代迄僕はゴルフ大嫌い人間でした。「ゴルフ?止まっているボール打っだけのスポーツ」それにブルジョアが楽しむ縁遠いものでした。

きっかけは、僕の同僚、でもある親友、仕事のライバルが、初めたので仕方なく付きあっていました

当時 東京の親戚の叔母が時々北海道に来てゴルフをするため僕の家にレディースのハーフクラブが置いてありました。


当時はボールを打てれば良い、自分でゴルフクラブを購入するんて、叔母のハーフクラブのグリップがピンクでヘッドがパーシモンの、ドライバーを持ち出し、同僚達と 仕事の上司「僕達より半年キャリアが上」にゴルフ教えてください、ボールを打って何がどうなれば、相手に勝利するのですか?飛ばして、穴に入れば良いのですね。


これからは「上司」あなた様を先生と呼びお慕い致しますけど?宜しくお願いします、なんて、上手く取り入ったのです。

僕達二人は上司に教えを頼む前に、ゴルフ練習打ちぱなしで最悪の屈辱感を味わっていました、まったく当たらない、当たってもチヨロ、手に豆、それより先に右、左手、が血豆、指先の皮がすぐ破れました、ゴルフ練習場の周りの人達わ気持ち良さそうに、上手く打っています、女性の人達も

僕達二人は ゴルフを全く諦め、あんなもの 全然面白くねえ、やっぱり時代はボーリングだよね、と 忘れていたのですが、

昭和52年頃のオリンピック選手の「木原みちこ」さんがTVの対談で ゴルフは楽しい、99点を出した、なんてお話見たのです。


どうしてか、なんでか、わからないけど僕の気持ちにゴルフに対する、やる気に火が付いたのです。