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飲み鉄日記

2010年から始めた、飲み鉄記録を綴ります。







荷風な日 2016/03/20







<<大黒家はもともと浅草で小料理屋を営んでいたが昭和12年(1937年)に八幡へ移転したのが始まりだそう。


近所に住んでいた永井荷風が昭和32年から二年間、毎日のようにここのカツ丼を食べていたらしい(総武線さんぽ 交通新聞社 本八幡より>>。



屋号 大黒家(だいこくや)
所在地 市川市八幡3‐26‐5
京成八幡駅の北出口の西寄りすぐの場所。





三階建の立派な建物。
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エントランス。
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最初は幾分緊張しましたが(新しい店に入るときはいつもそうです。)気軽に入れる居酒屋的雰囲気。


テーブル席、右手にカウンター席、左方に畳の席と収容人員は結構な数。
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早速「荷風セット」を注文。
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セット内容は上新香、日本酒(菊正宗)1合弱、カツ丼(味噌汁付)で1500円。
メニューにも荷風セットは控えめに記されており好感が持てました。


余所者の一見客が浮きまくる事も無く一先ず安堵(笑)。








永井荷風について
<<1879年(明治12)~1959年(昭和34)
〔1946年(昭和21)~1959年(昭和34) 市川市菅野・八幡在住〕
東京(現・文京区)生まれ 本名壮吉。
若くしてアメリカやフランスに外遊し、『あめりか物語』(明治41)、『ふらんす物語』(明治42)を著す。
明治四三年慶應大学教授となり「三田文学」を主宰創刊。あいつぐ発禁処分を経て、江戸文化、趣味への傾斜を深める。
随筆『日和下駄』(大正4)、小説『腕くらべ』(大正6)、『つゆのあとさき』(昭和6)、『墨東綺譚』(昭和12)、オペラ「葛飾情話」(昭和13)など多数。
昭和20年戦災で自邸偏奇館(現・港区)を焼失、疎開ののち、昭和21年より市川に移り住み、終焉の地となる。
(『市川の文学 散文編』市川市文学プラザ 2012年より)
 ※墨東綺譚…「ぼく」は正しくはさんずいに墨
 永井荷風が市川に移ってきたのは昭和21年1月のことです。はじめは菅野の大島一雄方へ、翌22年1月同じ菅野のフランス文学者小西茂也方へ移り、さらに23年12月菅野1,124番地(現在東菅野2-9-11)に18坪の家を32万で購入して移転しました。
 その後、昭和32年3月京成八幡駅にほど近い、現在の八幡3丁目25番に家を新築して転居しました。この家が荷風終焉の地となったのです。
 彼の死は昭和34年4月30日のことで、市川には13年ほど住んでいたことになります。
昭和27年には文化勲章を受章しています。荷風の作品中、かれの生活を最もよく物語っているのが「断腸亭日乗」という日記です。また市川周辺の風物を描いた作品には「来訪者」「或夜」「羊羹」「畦道」「にぎり飯」「買出し」「葛飾土産」などがあります。(Wikipediaから)>>


荷風の作品は殆ど読んだ事はありませんので、たいした事は言えません。


ただしちょっとスケベで愛すべき人であったことは間違いありません(笑)。







今日はこの辺で。








では。