私の事を書くには、私の母の事を述べないといけません。


母は昔の人達がそうだった様に苦労して生きてきました。


ここより書く、私の物心つく前の話は母が私に追々に話してくれたものを、私が思い出しながら書こうと思っています。


母は戦前、兵庫県の神戸市の灘区の出身でした。

母の両親は共に四国の愛媛の同郷出身で、お見合いでした。

祖母は初めて四国を離れ、神戸に嫁ぎました。

祖母が母を産んだのは18歳の時でした。


祖父は関西でも大手の会社に勤め、英語が堪能で、会社でも良い地位にあって、母の小さい頃は裕福で幸せな家庭だったそうです。


でも母の幸せは小学校の低学年の時...

祖父が水商売の人との本気の不倫によって壊れてしまいました。


祖父は祖母を追い出し、祖父の子を孕った水商売の女と再婚して、家に迎えたそうです。


祖母は身一つで四国まで帰ったそうです。

昔ですから、慰謝料も何も貰わずに。


母曰く、祖父が祖母を下駄で殴って追い出した...そうです。


その後祖母は故郷の愛媛で奥さんに先立たれた人の後妻さんとなり、亡くなるまで平穏な人生だったそうです。


母は祖母の後妻さん、継母と暮らす様になり、暫くして妹ができましたが、そこからは母の不幸の始まりでした。


継母は家事を殆どしなくて、炊事、洗濯、妹の子守も小学生の母にやらせていました。


母は朝起きて、洗濯、学校から帰ると、妹をおぶりながら掃除をしていました。

勉強などする時間もありませんでした。


そんな様子は近所のひとや同級生も知っていて、小学校卒業する時は家のお手伝いをよくしたという事で、全校生徒の前で、ただひとり表彰されたそうです。


それが母のたったひとつの勲章だったそうです。


小学校卒業の頃に第2次世界大戦が始まり、しばらくして、阪神方面も爆撃を受け、危ないので、母は愛媛の母方の祖母の元に終戦まで疎開していました。


母にとっては実母のおばあちゃんです。


後に戦争中だったけど、この頃が一番幸せだったと母は言っていました。


毎日ラジオでは日本が優位なんて流れいたけれど、日本が負けてこの戦争は終わると母や周りは思っていたそうです。


四国の空の上を爆撃機が通って、阪神方面に向かって行くのを毎日見ていたそうです。


ある日空からチラシがハラハラと沢山落ちてきて、そのうちの一枚を見ると、「日本よい国、紙の国、7月、8月灰の国」と上手な日本語で書かれていたって。

そして終戦となりました。


母はそのまま愛媛のおばあちゃん家に居たかったそうですが、父親がどうしても帰れと言うので、泣く泣く仕方なく帰ったと言ってました。


駅まで母のおばあちゃんが見えなくなるまで、泣きながら、手を振ってくれたそうです。

それが母のおばあちゃんとの最後だったそうです。


母の父祖父は継母が家の事何も出来ないから、母を家政婦代わりにする為に、自分のエゴの為に母を連れ戻したのですね。

娘の幸せなんて考えない祖父はクズです。


私は小学生の時に一度だけこの祖父に会ったことがありますが、本当にクソです。