やはり、日本人の中でも、この世についてを分かっていない人というのは、殆どを占めていると思う。
現在、行われている衆院選での世論調査における高市政権や自民党支持が圧倒的に多いという事実を考えると、余計にそう思えてくる。
私には、日本人が依存心のみで高市早苗に群がっているようにしか見えない。
この世は、分かっていない人々がメジャーであるという、おかしな現実、悲しき現実。
反対に分かっている人はマイナーであり、いつも肩身の狭い思い、悔しい気持ちを噛み締めている。
そもそも「分かっている」ということはどういうことかというと、自分の中に確固たる定点を持っている人、状態である。
それを信念と言ってもいいだろうし、しっかりとした軸を持っている、と言ってもいいだろう。
そういう一つの真実を、深く理解し、身に着けているかどうかである。
一つの真実というのは、生物の命を大事にする、ということ。
そんなことは誰でも知っている、と思えてしまうだろうか。
でも、そういうことではない。
ただ知っていることと、深く理解していることは、雲泥の差がある。
誰でも知っていることだとして、文句をついつい怒って言ってしまう人というのは、一応、そのことを知ってはいるだろうが、深いところでの理解は全く出来ていないことになろう。
命を大事にすることを本当に理解している人というのは、その定点を中心として、一貫した考えを持っている。
だから考えにブレが少ないし、矛盾点も少ないし、自分自身に自信がある。
例えば、政治家のほぼ100%の人たちが自分の定点、信念を持っていないように私には見える。
日本人全体で言っても、その約80%くらいは分かっていない人々になろう。
普段から何も考えていない、お花畑の平和ボケでテキトーな気持ちの人々は、皮肉なことに、これからAIやロボットの発展によって、姿形は自然と消えゆくこととなる。または埋もれてゆく、という表現になろうか。
人間やその考えというのは、真実が最終的には生き残る。
真実は、いつの時代も普遍的で古びないのである。
分かっていない人たちにとっては、これらは皆目分からないことになろう。
現在の人間世界では、そういう自然淘汰が今、まさに実行されている。