さて、これまでの土地調査事業については、法規や取りまとめ等が中心でした。
それも前回まででかなり進みましたので、ぼちぼち具体例の方も紹介していこうかな、と。
まぁ、見てもらった方が早いと思うので、早速。

アジア歴史資料センターの『大日記乙輯大正6年/家屋取毀及損害培償請求に関する件(レファレンスコード:C03010993200)』より、1917年(大正6年)3月2日付『陸普第570号』より。

壹第180号
家屋取毀及損害培償請求に関する件

副官より朝鮮駐剳軍経理部長へ照会案(陸普)

首題の件に付、朝鮮慶尚北道大邱府上西町60番地李震より別紙の通催告有之候条、可然処理の上、顛末詳細報告相成度候也。

追て李震へは、貴官をして処理せしめたるべき旨通牒致置候条、承知相成度候。
大邱在住の李震という人から催告が来たけど、然るべく処理して顛末の詳細を報告してね。
後、李震には君が担当だって通牒しとくからヨロ、と。

んで、続きがその李震への通牒について。

大臣官房より李震への通牒案(陸普)

大正6年2月25日付を以て催告に係る朝鮮慶尚北道大邱府鳳山町230番地に於ける家屋取毀及損害賠償請求に関する件は、管理者たる朝鮮駐剳軍経理部長をして処理せしめられ候条、承知相成度候也。
1917年(大正6年)2月25日付けで催告のあった、慶尚北道大邱府鳳山町230番地の家屋取り壊しと損害賠償請求に関する件は、管理者の朝鮮駐剳軍経理部長に処理させるんで、ヨロ、と。

んで、李震からどんな催告があったかというのが、次の4画像目からになります。

催告状

朝鮮慶尚北道大邱府上西町60番地
催告人 李震

日本市麹町■
被催告人 陸軍省
右代表者 陸軍大臣 大島健一

家屋取毀及損害賠償請求に対する件

右催告人は、大正5年9月10日、催告人の所有たる朝鮮慶尚北道大邱府鳳山町230番地之4の土地の最中点位にある立果樹4年生畧30株を扐伐したる上、朝鮮駐屯軍第20師団40旅団80連隊の長官舎の附属所用として、深さ畧2丈5尺周囲畧12尺の用水井を掘鑿の上、仝地上に木造■葺日本建湯屋1棟、建坪12坪を建築し、該土地所有者たる催告人に対し何等の交渉之無、不法にも所有者の権利を侵害したるのみならず、今日に至る迄該湯屋を使用しつつあり、以て所有者たる催告人をして該土地に於て何等用益に立たざるに至らしめたり。
依て

1.被催告人は、催告人の所有たる朝鮮慶尚北道大邱府鳳山町230番地之4の土地に掘鑿使用しつつある、深さ畧2丈5尺周囲畧12尺の用水井及仝地上に建立したる木造■葺平屋日本建湯屋1棟建坪12坪を、大正6年3月10日迄取毀をなすべき事。

1.被催告人は催告人に対し、大正5年9月10日より右家屋取毀に至る迄、所有者たる催告人の権利を侵害し、立果樹畧30株を扐伐し、該土地をして何等用益に立たしめざる損害賠償として、毎月金30円の割合を以て支払ふべきこと。

1.被催告人が大正6年3月10日迄右催告人の要求に応じたる履行を為さざる時は、断然自由処分に出づべく候に付、右及催告候也。

大正6年2月25日
右 催告人 李震

陸軍省代表者 陸軍大臣 大島健一閣下

本郵便物は、大正6年2月25日書留第783号を以て内容証明郵便物として差出したることを証明す。
大邱郵便局
内容証明で陸軍大臣あてに催告状。
近代的な制度使いこなしてるじゃん、李震。(笑)

さて、催告状の中身ですが、俺の土地の真ん中にあった木を切って井戸と風呂を作り、権利者の俺には何の交渉も無く、不法にも俺の権利を侵害しただけでなく、今日に至るまでその風呂を使っており、所有者である俺にその土地を使えなくした。
だから、井戸と風呂は1917年(大正6年)3月10日までに取り壊し、1916年(大正5年)9月10日からその取り壊しが終わるまでの間、損害賠償として毎月30円分支払え。
1917年(大正6年)3月10日までに要求を履行しなければ、勝手に処分させてもらうから、と。

2月25日の発送で3月10日までの履行って急過ぎねぇ?

ま、どっちにしろ悪辣な日帝が土地を奪ったということですねぇ。
つうか、朝鮮の慣習だと地代払えば良い事になってたわけですが。(笑)
【参照スレ】 → 
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1923737


さてこの一件、どうなるのか。
ってことで、今日は取りあえずここまで。



土地調査事業のここまでの整理