やっぱあれだね。
連載してて60回過ぎると、集中力が続かない。
というか、他の話に移りたくなってしょうが無くなる。
そういう面では、気ままに史料を投げっぱなしにできる、ENJOY Korea掲示板が気楽。(笑)
< 2007年4月のエントリー >
ようやく終わったというか、終わらせた東学党の乱。
日清戦争前後の話にも、今後移ろうとは思っているんですが、まぁ、暫くの間はちょっと休憩な感じで。
『東学党の乱(九十八)』
大鳥公使と袁世凱の会談の模様。
ここで袁世凱が言った、「然るに、朝鮮政府の疑惑心と恐怖心とに依り、他の浮説に迷ひ如何なる珍事を惹起すやも測られず」は、関係諸国が常に困らされる斜め上。
『東学党の乱(九十九)』
このエントリーも引き続き大鳥公使と袁世凱の会談の模様。
袁世凱の「日清両国は条約によっていつでも朝鮮に出兵できる」は、気になるところ。
天津条約を拡大解釈し過ぎじゃなかろうか。
『東学党の乱(百)』
記念すべき連載100回目。
の割にあんまり面白くねぇー。(笑)
『東学党の乱(百一)』
東学党の乱を受けての日本側の対応が閣議決定されます。
結局、内乱を完全に鎮圧するためには、反乱分子を根絶やしにするか、対応策を立てるかのどちらかしか無いわけで。
というか、「頼むから自立してくれよぉ」という声が、行間から聞こえてきます。(笑)
『東学党の乱(百二)』
陸奥から大鳥へ、閣議決定の内容を含めた電文。
「今の東学党の乱が鎮定して平和に戻ったとしても、更に今後日清間で紛議となる事が起きるのは避けることができないだろう。」ってのは、割と当たり前の憂慮で。
『東学党の乱(百三)』
何度も言ってるけど、「日本政府の派兵は、条約に基づいて自分で護衛の体制を整える事に外ならず、東学党の乱が完全に鎮定しなければ、日本の護衛兵を撤兵させるわけにはいかないんだよね。 ( ´H`)y-~~ 」
っていう通知。
勿論、これに対する返事にも「全州和約」は出てこないよ。(笑)
『東学党の乱(百四)』
閣議決定に基づいて、在日本清国公使汪鳳藻との対談。
「御承知の通り、朝鮮は元来貴国と我国と協同して扶植せざれば、殆ど其国安を維持し能はざる程の国柄」って、直球投げちゃ駄目だよ、陸奥。(笑)
『東学党の乱(百五)』
引き続き、陸奥と汪鳳藻との対談。
日清共同での東学党の乱の鎮圧に対する、汪鳳藻の返答に、陸奥、押され気味。
やはり中国ってのは一筋縄ではいきませんなぁ。
『東学党の乱(百六)』
陸奥と汪鳳藻との対談の最後。
最初から、朝鮮に関して善後策を講じる事と、日本が撤退できる条件を述べるだけで良かったんじゃねーの?と。(笑)
『アービン(一)』
この頃になると、もう他の事書きたくてしょうがない状態。(笑)
ってことで、医療宣教師アービンについて。
まぁ、日本側がマークする理由も分かりますわな。
『アービン(二)』
結局、ネタにしかなっていないような「アービン」の話。
自分の病院の既婚看護婦に手ぇ出しちゃ駄目だろ、と。
つうか、その史料の続きの「耶蘇信徒は韓国政府の支配を受けず」の方が面白ぇ。(笑)
『東学党の乱(百七)』
閣議決定及び汪鳳藻との対談が、大鳥公使に伝達されます。
尤も、朝鮮の電信が不通になっていたようなので、いつその電報が伝わったかは、今のところ不明。
イギリスの青木公使からの電報や、天津の荒川領事からの電報等、重要っぽい史料は多いものの面白くは無し。
『東学党の乱(百八)』
大鳥公使以外の在外公使にも、閣議決定及び汪鳳藻との対談が伝達されていきます。
また、清国の小村臨時代理公使からは、在清の各国公使の反応が電報されていますが、正に当時の国際情勢の縮図。(笑)
『東学党の乱(百九)』
大鳥から陸奥への、「陸兵を撤回せしむ可き最後の処置」についての伺い。
清国にまず撤兵させ、それを以て民乱が鎮定した実証とし、その後日本兵を撤兵させるって手順もそうですし、全体として妥当な案だとは思うんですが、書翰では届くまで1週間もかかり。
おまけに電信は不通。
使えねぇ。(笑)
『東学党の乱(百十)』
連載「東学党の乱」の最後のエントリー。
メインな筈なのに、とても久しぶりな感じがする東学軍や政府軍の動きに関する史料で締め。(笑)
結局、全州は奪還して賊軍にも勝ったけど、逃散しただけで「鎮圧」と言えるのか、と。
『東学党の乱、ここまでのまとめ』
ここまでの動きを、年表形式でまとめてみました。
結局、朝鮮側の政府軍や東学軍の動きに関する史料が少なすぎて、110回も連載した割に流れ程度しか掴めなかった気も。(笑)
つうかさぁ、「全州和約」ってやっぱり嘘だろ?(笑)
『朝鮮人集団移入労務者の帰国(一) 』
1945年(昭和20年)9月1日に、半島出身の軍人・軍属・徴用等による朝鮮人集団移入労務者を返すための通牒が出されます。
「昭和20年7月30日附勤発第848号」やら「厚生省勤務局長及軍需省管理局長通牒「勤労協力を為す者の給与」」やら、気になる記述もあって、個人的にかなり興味深い史料。
今後、気が向いたら掘り下げるかも。
『朝鮮人集団移入労務者の帰国(二) 』
運輸省の鉄道総局から各鉄道局長宛の通牒がメイン。
陸路を含めた輸送計画ですね。
徐々に具体案が決まっていく感じ。
『朝鮮人集団移入労務者の帰国(三) 』
この回は、恐らく長野県の対応と思われる文書が中心。
出自が分からんので、史料としては使いづらいものが多いです。
『朝鮮人集団移入労務者の帰国(四) 』
次官会議による「引揚民事務所設置に関する件」が一応メインってことになるのかな?
でも、この辺は関連史料も見つけていかないと、ちょっと厳しいのは厳しい。
まぁ、いずれ関連史料見つけた時の対応って事で。
『朝鮮人集団移入労務者の帰国(五) 』
1945年(昭和20年)9月28日付『厚生省発健発第52号』の「終戦に伴ふ内地在住朝鮮人及台湾人の処遇に関する応急措置の件」がメイン。
興生会の具体的な中身を調査すれば、もう少し深めて見れる筈なんだけど、今んとこやる気無し。
xiaoke氏に期待。(笑)
『「募集」関係史料(一)』
以前、zeong氏が「「強制連行」の実態を語る史料発見!」であげていた史料のテキスト化。
ぶっちゃけ、「rx178の最近気になる朝鮮半島」さんのところなんかでもテキスト化されたり、結構有名な史料かとは思うんで、わざわざやる必要も無かったんですが、ちょっと時間が欲しい時期だったので、手抜きでエントリーした感じ。(笑)
『「募集」関係史料(二)』
この回もzeong氏があげていた「「強制連行」の実態を語る史料発見!」の続き。
つうか、手抜きその2。
いやぁ、ゴールデンウィークを前にして、忙しくて。(笑)
ってな感じで、割と気力に欠けている月だったかなぁと思わないでも無いなぁ。
やりたいことが多すぎるのかも知れないし、サカつくのせいかも知れない。(笑)