今日は前置き無しで早速。

4月5日のエントリーの閣議決定で、陸奥外務大臣が在日清国公使の汪鳳藻と談判し、朝鮮の内政改革に関して商議を開く云々の話が出ていましたが、その談判の模様をアジア歴史資料センター『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/明治27年6月9日~明治27年6月21日(レファレンスコード:B03030205000)』の1ページ目から11ページ目。
「陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要」より。
長いので、分割しながら。

あ、ちなみに画像の表示は試行錯誤の結果、諦めましたのでよろしく。(笑)

明治27年6月16日午前10時半より午后1時半まで。

陸奥外務大臣と清国公使汪鳳藻との談話概要

外務大臣
前日閣下は、李中堂の訓令を以て伊藤伯に面談せられたる一條は、本大臣同伯より委細聞及びたり。
彼の朝鮮善後の処分に付、其後未だ李中堂よりは何も申し越されざるや。

清国公使
未だ何たる通知を得ず。

外務大臣
然らば、閣下に於て何か御考案あらば承りたし。

清国公使
別に今閣下に公然申述べき程の意見は無之、縦令之ありとするも全く一己の意見に過ぎざる故、閣下の高聞に達すべき価値もなかるべし。
然るに、過日伊藤伯は同件に付何か御意見を抱有せらるるやに承りたり。
右貴政府の御意見は、今日未だ承はる場合に至らざるや。
前日(閣議案の内容によれば6月13日)、在日清国公使の汪鳳藻が、李鴻章の訓令によって伊藤博文総理に面談した話は、伊藤から詳細に聞いています。
朝鮮の善後処分について、その後まだ李鴻章からは何も言ってきてませんか?と聞く陸奥に対し、汪鳳藻はこれに対して、まだ何も通知を得ていません、と。

続いて、汪鳳藻に何か考えがあれば伺いたいとする陸奥には、別に今陸奥に対して公然と申し述べる程の意見は無く、もしあったとしても全く一個人の意見に過ぎないため、陸奥に聞かせるような価値も無いでしょう。
しかし、過日伊藤伯爵は、この件について何か意見をお持ちであるやに伺っています。
その日本政府の意見は、今日はまだ承る事ができる状態では無いのでしょうか、と。

切っ掛け作ってくれてるし。(笑)

んじゃ、続き。

外務大臣
左ればなり。
本日は朝鮮国の事に関し、李中堂より何事か申越したるや承はり度、亦我政府の意見をも御話し試み度、閣下の来臨を乞ひたる次第なり。

御承知の通り、朝鮮は元来貴国と我国と協同して扶植せざれば、殆ど其国安を維持し能はざる程の国柄なるに、方今は特に東学党の内乱に会し、若し永く平定の功を奏するに至れざるときは、彼邦の国歩愈々艱難を極むべく、本大臣は大鳥公使着任後、電報の外別に書信を接せざるが故、目下内乱の有様果して如何なるべきか委敷きことは知らざれども、兎に角内乱は尚未だ平定に至らざるならんと信ず。
尤も、朝鮮公使は前日も本大臣に対し、内乱已に平定したる様に申されたれども、前述の如く大鳥公使よりは未だ何等の確報に接せざる所を見れば、果して平定したるや否甚だ疑はし。

之を要するに、現今の如く日本軍隊は京城に滞営し、貴国の軍隊は牙山に駐留して未だ内地に進入したる様子なければ、乱民は縦令ひ1敗1勝あるも尚ほ諸所に屯在し、何時暴発するや計り難き有様なれば、若し荏苒此儘に時を移すときは、意外の変乱何方より起り来るやも料られず。
幸ひ、貴国と我国との軍隊勠力して速に内乱を鎮圧し、1日も早く彼国の禍乱を平定せば、指懸りたる日清両国の煩累を解くべしと思はる。
此議、貴国政府に於て御同意なるべきや、閣下より貴政府へ進達あらん事を希望す。
だからこそ、今日は朝鮮の事に関して李鴻章から何か言ってきて無いか伺いたく、また、日本政府の意見も話てみたいという事で、汪鳳藻に来て貰った次第だ、と。

その次。
「御承知の通り、朝鮮は元来貴国と我国と協同して扶植せざれば、殆ど其国安を維持し能はざる程の国柄」(笑)
まぁ、実際東学党の乱に際して、清国に援兵求めたりするわけで。

ってことで、御承知のとおり、朝鮮は元々清国と日本が共同して援助してやらなければ、ほとんど国の安泰を維持することが出来ない程の国柄なのに、最近では特に東学党の内乱が起き、もし永い間平定できない時には、朝鮮の前途はいよいよ艱難を極めるだろう、と。
陸奥は、大鳥公使の着任後電報の他別に書信を受け取ってるわけでもないので、現状の内乱の様子が果たしてどうなのか細かい事は分からないが、まだ内乱は平定されていないだろうと思っている。
ええ。
全州の回復報告しか受け取ってないですからねぇ。

尤も、4月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月14日発『電送第197号』中で見られたとおり、朝鮮公使は内乱は既に平定した様に言ってるものの、大鳥公使からの確報が無いところを見れば平定したのかどうかは、非常に疑わしい。

要するに、今のように日本軍が京城に滞在し、清国軍が牙山に留まったまま内地に進軍した様子も無いわけで、乱民は例え勝ったり負けたりがあっても尚各地に潜在し、いつ暴発するか分からないような状態であるため、もしこのまま長引けば意外な変乱がどこから来るか分からない。
幸い、清国と日本の軍隊が力を合わせて速やかに内乱を鎮圧し、1日も早く朝鮮の禍乱を平定すれば、そういった日清両国の煩累も解く事が出来ると思う。

この件について、清国政府が同意するかどうか、汪鳳藻から清国政府へ進達してくれる事を希望する、と。

んー、陸奥も随分な直球を投げ込んできますなぁ。




ってところで、今日はここまで。



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