< 2006年5月のエントリー >
見事に「俄館播遷のその後」ばかり。
当初は排日熱が盛んですが、結局丸1年もロシア公使館に居る羽目になってるわけで、かなり高宗やロシアに不満も出てくるようですね。


俄館播遷のその後(五)

普通の外交手段じゃ無理という位排日熱が高まっているので、当時の原公使は放置政策をとってみるわけです。
すると、見事に内部の権力争いが始まる。(笑)
しかし、原に内通しようとする守旧派の沈相薫・韓圭卨(咼の上にト)の行動を、奴らの言ってる事なんか信用できるかよと切って捨ててる原。
今後も放置ってことで良いっしょ?と、割と鬼。(笑)


俄館播遷のその後(六)

閔妃殺害や断髪令に反発した義兵というか、単なる暴徒にしか見えませんな。( ´H`)y-~~
勿論、だから電信守備兵とかでも、全部撤退しろとはロシアも言えないんでしょう、多分。


俄館播遷のその後(七)

ロシア士官聘傭問題、金山利権譲渡、厳妃、金鴻陸の登場、申箕善の笑える上疏等史料的には短いものの、興味深い史料が並んでいます。
特に、ロシア士官聘傭問題と金鴻陸は、今後も当ブログに何度か出てきます。


俄館播遷のその後(八)

この回で一番重要な話は、李範晋が出発した話でも、日本公使が来る度に「例に依り」日本は強硬策に出るという風説が広がる話でもなく、多分、ブラウンの話なんだろうと思う。
ブラウンは度支部顧問というだけでなく、その印が無ければ出納できないんですね。
それに関係した話。


俄館播遷のその後(九)

露館播遷時に暴徒と化しても許される前例を作ってるわけで、しかも治安維持は機能してないわけで、暴徒が続発している模様。
正に無政府状態。
これがこの回のポイント。


俄館播遷のその後(十)

遂に、ロシアも高宗を公使館から追い出したがってる話が出てきます。(笑)
「出てけよ。」と言ってみたら、高宗は「ロシア兵が護衛してくれるんじゃなきゃ、やだ。」と。
まぁ、護衛兵絡みの打診なので、どこまで本当かは分かりませんが、韓国在留の外国人は、朝鮮に起きてる総ての罪悪をウェベルのせいにしているらしいです。


俄館播遷のその後(十一)

暴動が広範囲にわたっている事が確認できます。
つうか、退渓書院って朝鮮で最も有名な儒学者、李退渓から名前来てるんじゃないかと思うんですが、それすら焼き捨てられる有様だったりするけど、抗日義兵なんですよ、きっと。( ´H`)y-~~


俄館播遷のその後(十二)

この頃から、高宗が宮殿の修繕終わったら帰るよんと言った明礼宮の修理が行われています。
尤も、実際に帰るのはまだ半年も先になりますが。
そして、いや無理にロシア公使館から出てこなくて良いから。と突き放す日帝が笑えます。(笑)


俄館播遷のその後(十三)

自分で播遷に手を貸しておきながら、「( ´_ゝ`) もうさ、狭いから帰ってくんないかなぁ・・・。」というロシア側。(笑)
おまけに、在朝鮮外国人に恨まれるウェベル。
つうか、この時だけではなく、保護政治期も日本統治時代も、誰のせいでもなく朝鮮人自身のせいだと思うですがね。( ´H`)y-~~


俄館播遷のその後(十四)

以前、今後も放置ってことで良いっしょ?と、割と鬼な発言をした原に対し、「放置推奨( ´H`)y-~~」とお墨付きを与える日本政府は更に鬼。(笑)
で、日本が放置してると、何故かバラバラになっていく在ロシア公使館朝鮮政府。


俄館播遷のその後(十五)

「暴徒により地方官が殺されるのは、旧内閣の任命した地方官だからだ!」ということで、官制改革がなされます。
じゃあ退渓書院は何で焼かれたの?とか聞いてはいけません。(笑)
で、この官制改革に伴って、主目的である地方官の大更迭が、ウェベルやブラウンの反対を押し切って行われます。
まぁ、史料にもあるとおり、贈収賄絡みなんでしょうけどね。(笑)
後に、独立新聞にすら賄賂で官職を得たと非難されるようです。


俄館播遷のその後(十六)

ポイントは3つ。
まずは、勝手に税所を設置して租税徴収する宮内府。(笑)
その箇所、70箇所にも上ったそうで。
ブラウンから「度支部の専管事項なのに勝手な事すんな」とか「朝鮮国民はこれ以上の税金賦課に耐えられないだろ」と注意すると全廃。
2つ目は、抗日義兵が民戸数百を焼き、死者30人を出してること。
これは、「親日派ヤツ死になさい~」ってことで良いんでしょう、多分。( ´H`)y-~~
3つ目は、守旧派が還宮運動を始めだした事。
勿論、ロシア士官聘傭問題も絡んでるんでしょうね。


俄館播遷のその後(十七)

閔妃暗殺事件に名を借りて、日本派や大院君・朴泳孝党の18名を捕縛する朝鮮政府。
まぁ、実際は権力争いの一環に過ぎないわけで、元々在ロシア公使館朝鮮政府にいた安駉壽辺りですら、捕縛事件翌日に李允用の家に避難し、いざとなったら日本公使の保護を頼もうと用意するわけですね。(笑)


俄館播遷のその後(十八)

これまで見てきた中では、治安維持機能がほとんど働いていなかったように見えましたが、ここでようやく官軍と賊軍の一進一退の攻防が見られます。
この頃から義兵が他国領域に逃亡したりしてますね。( ´H`)y-~~


俄館播遷のその後(十九)

朴定陽、李完用、沈相薰の相次ぐ辞表。
つうか、また官吏の給料不渡りが起きてるようで。
また、内閣官制が議政府官制に変わっています。
議政大臣には、露館播遷内閣の総理大臣就任を拒否した金炳始が再び選ばれますが、この後還宮を巡って一悶着あります。


俄館播遷のその後(二十)

大院君が高宗と面会しようとして、ビビった宮内大臣李載純や金鴻陸が沈相薰、李允用、李完用らと結託して面会阻止。
結局高宗に会えなかった大院君。
一方で、外国使臣の謁見に日本だけ呼ばない在ロシア公使館朝鮮政府。
実は、外部大臣の李完用すら外国使臣の謁見の話を知らず、宮内大臣李載純が勝手にやった事らしい。
勝手に徴税してた事もあったわけで、もうメチャクチャですな、宮内府。( ´H`)y-~~


俄館播遷のその後(二十一)

学部大臣申箕善が、キリスト教を非難し、西洋人を馬鹿にした文も載っている『儒學經緯』という公立学校教科書を出すんですね。
国際問題になりかけて、朝鮮政府はあわてて『儒學經緯』の原本を取り消し、販売禁止。
申箕善を諭旨免職にします。


俄館播遷のその後(二十二)

イザベラおばさんの『朝鮮紀行』に、申箕善の『儒學經緯』の内容が一部載っています。
「ヨーロッパは文明の中心すなわち中国からあまりに遠く離れている。ゆえにロシア人、トルコ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、ベルギー人は人間よりも鳥獣に似ており、その言語は鶏が鳴いているように聞こえる」とか、「近代人の見解によれば、西洋人がキリスト教と呼ぶところのものは俗悪浅薄で正道をはずれており、野卑な習俗の例証で、まじめに語るに値しない」とか。
これが、教科書。(笑)

後半はロシア士官聘傭問題ですね。


俄館播遷のその後(二十三)

この回は、ロシア士官聘傭問題のみを取り上げてみてます。
インデペンデントの記事中、「軍人的の天性を有するが故に、操練を習得するに容易なり」とか、「而して其状貌は、清国人又は日本人よりも遙に善良なり」とか、ウリナラチラシのかほりがする所を取り上げていますが、良く読めば、「朝鮮に於ける最要急務は、政府の鞏固なるに在り。」とか、「国内の盜賊暴徒を優かに平定し得べき軍紀厳粛なる常備軍」とか、中々現代韓国人に痛い事も書いてるんですよねぇ。(笑)


俄館播遷のその後(二十四)

既に、ロシア士官が新近衛隊として選抜され編制された朝鮮兵に訓練を始めます。
ところが、やはりというか何というか、高宗の内命によるもので、軍部大臣の李允用ですらこのことを知らなかったりします。(笑)


俄館播遷のその後(二十五)

還宮派と反対派の対立が鮮明化。
そんな中、ロシアに行っていた閔泳煥は、ロシア兵による王官護衛にも、国債の借り入れにも失敗し、陸軍教師の傭入にしても未だに公然とは出来ず、親露派失望。
おまけに、当の閔泳煥が還宮説をぶち挙げ、露館播遷行った者を「国家の大逆臣」と言ったという話も出てきます。


俄館播遷のその後(二十六)

金炳始は、一度は高宗の議政大臣への就任を承諾するものの、すぐに何度も辞表を出します。
外務大臣大隈重信が、加藤公使に「そんな状況で、マジで仕事してんの?」と聞くと、「いや、しとらんよ」と。(笑)
実は就任に当たって金炳始は5つの条件を出しており、それが行われないからという事情があるんですけどね。


俄館播遷のその後(二十七)

武官側では親衛隊大隊長の李根鎔と徐廷圭が、選抜されずに落胆&不平状態な親衛隊を利用して還宮を果たそうと計画し、これに休職中の武官も乗っかるという事件が起きます。
ところが、充分な証拠が揃わないばかりか、一般市民も今回の事件が還宮を目的としたものだと知ると、「当然だろ」とこの計画を賞讃するような有様で、当局者も今回の事件の処置には非常に困っちゃうわけで。
つうか、何で高宗を見捨てないかねぇ・・・。(笑)


俄館播遷のその後(二十八)

この回からは、安駉壽の談話。
ポイントは金炳始への評価。
高宗ですら勝手我儘の挙動を憚って、閣僚も何となく薄君悪く感じて行為を慎むような人物。
でも、多分高宗も勝手で我が儘な挙動を憚るって、最初だけだと思う。(笑)


俄館播遷のその後(二十九)

安駉壽の談話の続き。
朝鮮銀行の設立の話ってのは、実は他の状況も絡んで、結構面白そう。
そのうち調べて見るかな・・・。


俄館播遷のその後(三十)

安駉壽の談話その2。
アメリカに頼るしか無ぇんじゃね?という李完用。
つうか、李完用とか考え方が最初から他国頼みなんですが。
日本が干渉強めれば反発するし、日本が放置プレーすればロシアの専横を傍観とか言われるし、面倒くさい国だよねぇ・・・。(笑)


俄館播遷のその後(三十一)

安駉壽の談話その2の続き。
閔泳煥の「国王の性情として他より余り多く干渉を為すが如き事あらば、親疎忽ち処を変じて、昨日親密なりし者今日疎外せらるるに至る。」って、朝鮮最大の問題点である場当たり主義が、高宗に起因すると言ってるようなもんなわけですが。(笑)
しかも、史料見ててもそれ以外の答えが出ないんですが。(笑)


俄館播遷のその後(三十二)

安駉壽の談話その2のさらに続き。
「当国人の常として権力の争奪・王寵の競合に一方ならず紛雑を来し、竟に又た収拾すべからざるに至らん」と自分で朝鮮人である事を忘れたかのような安駉壽。(笑)
なお、ここで何故か宋秉畯が登場します。


俄館播遷のその後(三十三)

安駉壽の談話その3。
京仁鉄道絡みで日本の公使に相談できる神経が羨ましい。(笑)
つうか、金玉均もそうだったけど、開化派ですらこんなもんなんだよねぇ・・。


俄館播遷のその後(三十四)

安駉壽の談話その3の続き。
ロシアが頼りにならないと、なんで反日感情がなくなるのか不思議。(笑)
つうか、この「日本に対する感情」の部分って、結構面白い。


俄館播遷のその後(三十五)
イギリスと提携してロシアの専横を防ぐってどうですか?とか、京釜鉄道問題で、自分等に都合の良い事ばかり言って、日本側の条件を全く聞かない安駉壽。
そして、怒濤の如く、しかも的確な指摘を行う加藤増雄。
曰く、「凡貴国に於ける列国の交際は、勉めて信義を守り、甲乙の差別なく、一に平等・均一の法に拠らずんばあるべからず。」
曰く、「已往貴国の事歴に徴するに、常に感情に駆られて、動もすれば朝親夕疎の歎無き能はず。」
曰く、「貴国の日に益々強大国の間に窘迫せらるる所以にあらざるなきか、貴国の当局者たる者深く反正する所あって、他国に依頼するの念を割断し、自今何れの国に対しても円滑の交際法を執って進まば、寧ろ長久の良策たるべし。」
今の韓国や北朝鮮にも通用する忠告ですな。( ´H`)y-~~


自分では面白い「俄館播遷のその後」だけど、あまり日本が出てこないからツマランと思う人は沢山居るだろうと思う。