< 2005年8月のエントリー >
この月は、日本の調書に見る安重根の話と、この後長期連載することとなる「合邦問題」の前準備、連載「一進会」が始まっています。
一回当たりの記事量が、徐々に増えていってますね。_| ̄|○
自分でも読み返したくない・・・。


看板に偽りあり

「日韓中、近現代史 共通教材、異なる記述 朝鮮戦争…「解放」と「侵略」」という報道を受けてのエントリー。
史実に対しての「認識」って、共有できる筈ねーだろ、と。
まぁ、それ以前に特に日韓間では「史実」すら未だに確立してないんですがね。


宋秉畯・魚潭争闘事件(七)

連載「宋秉畯・魚潭争闘事件」の最終回。
あれだけ騒がしかった韓国政界に、ちょっとした平穏が訪れます。
勿論、内閣員になれるかも知れないと思って成り行きを静観していたため。(笑)
この後、あれだけ仲の悪かった一進会と大韓協会が一時的に手を結び、一進会の合邦運動と共に再び袂を分かっていくわけです。


意識

今でも心に留めている、zeong氏の投稿のまとめ。
コピペって楽。(笑)


司法及監獄事務委託

李完用が、土地売買で一部しか料金を払わない事に関する史料。
一方では首相が被告人として取り調べられた事を喜び、一方では大統領が憲法違反をしても弾劾棄却された事を喜ぶ。
果たしてどちらが良い世の中なのだろうか。
って結びは、今でもマジでそう思う。


大韓帝国期のキリスト教(一)

大韓帝国期のキリスト教の状況について、概要を知るのに丁度良い憲兵隊の記録があったので、引用。
初回は、その沿革がメイン。


大韓帝国期のキリスト教(二)

連載二回目は、朝鮮8道における各キリスト教宗派の勢力の話と布教の状況の話。
そして、入信すれば官憲の制肘を受けず、生命財産の安固が保障され、已往の罪悪であってもその罪を逃れられるという謳い文句で勧誘しているという、驚くべき事実が明らかにされる。


大韓帝国期のキリスト教(三)

憲兵隊報告の3回目。
それほど面白い話は無いのだけど、「本年6月27日より1週間に亘る平壌に於ける在韓外国宣教師大会(宣教師90余名、韓人牧師30余名集会せり)に於ては、統監に対し感謝の意を表するの決議をなし、又各附属学校の如きも、学校令発布以来、他の地方各学校同様、主務官庁の認可を受くる事に決したり。」は重要な記述。


調書に見る安重根(一)

当時流行っていた、安重根はハングルを書いた事が無いという話に対して、いや書いてるよという史料を切っ掛けに、日本側の調書での安重根に近づいてみようという試み。
家族構成や本人の青年期までの経歴を中心に取り上げてます。


調書に見る安重根(二)

このエントリーで、ずっと不明だった「洪神父」が「洪錫九(原名「ウイルヘルム」)」という事が分かりました。
東学党の乱前後において、父親の安泰勳の略奪行為や、安重根が清国人を射殺した話が見られます。


調書に見る安重根(三)

義兵闘争に身を投じる安重根。
しかし、その調査や証言を裏付ける史料は、全く見る事が出来ない。
まぁ、義兵闘争は戦闘詳報以外に大した記録自体残ってないってのもあるんだろうけど。


調書に見る安重根(四)

第三次義兵の惨憺たる生活ぶりが、印象的。
また、安重根の素行や犯行動機などの調査に当たった、境喜明警視の復命書が中々良い味出していくことになります。


調書に見る安重根(五)

ここから、家族の口述が見られるようになってきます。
安重根の父泰勳が1895年頃に捕縛されたのは、どうやら事実のようですね。


調書に見る安重根(六)

この回は迎え盆だったので、安定根の供述も休んで非常に軽めな内容。
韓国映画「多黙 安重根」にちょびっとツッコんで見てます。


久しぶりの李泰鎮先生

史料ではなく絵に逃げる李泰鎮先生ですが、1907年8月27日に行われた即位式を、百歩譲って1907年7月20日に行われた譲位式を1907年8月4日付のイタリアの本に、どうやって見たままの絵を載せるのかなぁ、と。
想像図だろ。(笑)


無知を妄想で埋める

この頃、すっかり盆休みモード。
「「メキシコ移民者保護のため…」 大韓帝国の外交電報を発見」という報道を受けてのエントリー。
少し調べれば、日本が韓国人移民の保護のために行動している事が分かるのに、「しかし、1905年11月乙巳条約(日本による大韓帝国の外交権剥奪条約)締結で外交権を剥奪され、これ以上移民者への保護措置を進めることはできなかったものとと見られる」と簡単に言えちゃう、韓国独立運動史研究所のホン・ソンピョ責任研究員マンセー。


調書に見る安重根(七)

安重根の弟安定根の供述の続き。
取りあえず、漢文の勉強は中途半端だった安重根。
そして、「三合義」も『安応七歴史』の記載のような「日本人の邪魔」ではなく、単に商売無経験で失敗に過ぎない事が判明します。


調書に見る安重根(八)

出奔して金でも送ってくるのかと思いきや、「ウリは最初から外国に住むつもりだったの!だから、金1,000円くらい作って、家族と共に来なさい!」。
そして、金策が出来ないなら、妻子だけ送れという勝手な申し出をする安重根。
いや、根無し草の君より、弟達のがしっかりやってるから!(笑)


調書に見る安重根(九)

「ウンチアン」の記述は、後にkimuraお兄さんを激しく反応させる事になります。(笑)
そして、母親に「家を出たるのが如斯悪人となりたる原因なり。」と言われちゃう、可哀想な安重根。


調書に見る安重根(十)

安重根の経歴等に絡む部分が少なかったり、或いは既出事項だったりであまり面白い回ではないですね。
ただ、金文奎の口述中安重根の性格について、「物事に飽き易き性質なるに、今回の如き事件を成し遂げたるは、合点が行かず。」と。
また、「仮りに伊藤公を殺害して利益あるなれば、皆同人を賞讃せんも、伊藤公を殺害せば、国家の前途に厄災の橫へり来るを誰も分り得べきことなるに、之を顧り見ずして斯る事件を惹起したるは、其の狂寓測り知るべからず。」という認識は当たり前ながら、現代の韓国人はそれすら分からないでマンセーする場合も多いですね。
「自尊心」なんだろうねぇ・・・。


調書に見る安重根(十一)

纏めの史料を取り扱ってるので、特段明記しておくことは無いんだけど、流れ的に分かりやすいのは分かりやすい。
ただ、「名誉」鎭海郡守という役職については、どのようなものなのか、今でも疑問。


調書に見る安重根(十二)

調書等の内容をまとめて、『日編・安応七歴史』としたエントリー。
これだけ見ると、ロクなヤツじゃないね。(笑)


「韓国謝罪委員」に関する件(一)

今は季報となっているNAVER総督府日報で取り扱っていたネタが面白そうだったので、乗っかってみたエントリー。
日本憲兵隊からは、国家の前途を憂い伊藤博文を敬慕しての行為かどうか疑われ、日本人側には歓心を得て国内では売名する策略ではないかと思われている、可哀想な発起人。
そして、京城への旅費すらあやしい、可哀想な発起人。(笑)


「韓国謝罪委員」に関する件(二)

長い割にあまり内容が無いわけですが、取りあえずは発起したものの、集まりは非常に悪かったようです。
この時点では、わずか20名に過ぎず・・・。


「韓国謝罪委員」に関する件(三)

結局謝罪団は、「大韓全国民団会」と称する組織を立ち上げます。
そして、10名の渡日謝罪委員が選定されることとなります。
しかし、国民大演説会で思わぬ非難を受けて辞める者が現れ、発起人までおりてしまう謝罪委員。
どうなってしまうのか!(笑)


「韓国謝罪委員」に関する件(四)

一旦は逃げ出した発起人も帰ってきて、残った10数名から再び謝罪委員が選ばれる事になります。
13名選ばれてますが、十三道の代表ではなく九道からしか代表が出ていません。
つうか、残ったヤツ全員じゃね?(笑)
尤も、金が無いのかなんなのか、この中で2名しか渡日しないわけですが。


統監への道

2chの電突スレの有志諸兄に敬意を表したエントリー。
伊藤の渡韓して韓国統監に就くまでの経緯をまとめてあります。
勿論『新しい歴史教科書』へのいちゃもんで、白本の「就任」であれば1905年が正しいかもしれませんが、市販本の「赴任」であれば1906年で正解であり、『「新しい歴史教科書」の問題点』と称する冊子が明確に誤りとなります。


一進会(一)

一進会に対する当時の日本の評価って、全く高くない。
ウリナラ解釈で勝手に盛り上がった組織で、治安を乱せば叩きつぶすけど、とりあえず放置推奨程度の認識だったんですね。


一進会(二)

1904年(明治37年)12月に起きた、一進会・進歩会会員と全州観察使等との衝突の話。
「日本人数名、猟銃刀剣を携へ会員と同行し来れる事実」も確認されている。
世直し気取りも大概にせぇ、と。


一進会(三)

一進会とはあまり関係の無い、共進会という組織の史料から始まります。
この共進会がまた、李裕寅、具本淳の二人を拉致して暴行加える等、酷い組織なわけですが、何故かそのとばっちりを喰らって一進会も武力で解散させる話になってしまう韓国政府。
そして、兵丁と一進会の衝突が起きるわけです。
この事件を切っ掛けに、日本側が治安維持にも介入する事になっていきます。


一進会(四)

小村寿太郎あたりは一進会を全く信用しておらず、必ず裏があると睨み、例え日本に同調しているとしても、この後勢力の拡大に従って騒擾を起こすだろうと、正確な予想をしています。
また林公使も、軍司令部通訳宋秉畯(日本名野田)が、自分の財産を一進会に投じたため、一進会自体を日本が庇護しているとの疑いを晴らすため、宋秉畯と一進会との関係を断たせろ、と述べており、実際迷惑団体だったんじゃね?という疑問が湧いてきます。


一進会(五)

宋秉畯が松石安治大佐へ送った手紙を、小村大臣が入手し、その内容に関するエントリー。
「韓国独立は現状無理だ」とか、「韓国の内治外交を日本政府に一任し、韓国国民を日本国民と同等に待遇し、子供に教育し、文明の学術と日本語の普及を図って自立する」とか、韓国で言う親日派売国奴っぷりが素敵。
自分らで良くしようという気は、無いらしい。( ´H`)y-~~


いや、マジでこの頃から一回のエントリーが長すぎなんですが・・・。(笑)
要点は何なの!って言いたくなりますわな。