さて、前回の続きの話。
一番ポイントになるのは、1895年11月18日の記事と述べました。
その元になっている史料が、1895年(明治28年)12月28日付『機密発第98号』となります。
本来であれば、事変前からの史料をずっと追っていくのが良いんでしょうが、そっちは追々。
途中で、状況説明の為に事変前の史料に基づいてチャチャを入れたりしますが、取りあえずは話半分で聞いておいて下さい。(笑)

今回の『機密発第98号』は、長くて且つ今回の件に関係した話は冒頭にしか出てこないんですが、一応分割しながら全部取り上げておきたいと思います。

10月8日の事変善後始末に関し詳報の件

這回事変の始末に付ては、井上大使御在韓中数回電報を以て及具申候通り、一方に於ては趙軍部・権警務等の勢力牽制するに難く、一方に於ては外国代表者の難詰避くるに道なく、殆んど進退■る場合に陥り、到底兵力を用ひ他より助けて此難局を解剖せしむるの外、他に方便なき迄に相迫り居候。
而して、井上大使御出立の後に至りても外国代表者の圧力は依然として強く、趙義淵派と金宏集派との軋轢愈々激しくして、何等事変の再発するの免機■次に迫りたるやに被考候処、金宏集は井上大使御出立の翌々日、則11月18日本官を来訪して曰く、井上大使は善後策に関し何等の訓誨をも与へられずして出立せられたるは、甚だ遺憾に存ずる処なり。
乍去、何等御申残しのこともなかりしやと相尋候に付、無しと答へたれば、更に本官の意見を求めたり。
仍て本官は、一己人の資格を以てするにあらざれば、意見を述ぶる能はずと云ひたるに対し、夫れこそ却て干渉の嫌なきを以て都合宜しと申述候。
於是本官は、先づ先方の意見を尋たるに、大院君を宮闕外に退かしむること、王妃を復位すること、関係者を処罰すること等を以てす。
本官は之に同意の旨を告げ、且つ趙・権2人免官の事を尋ねたるに、夫れは実行すること六ケ敷しと相答へ候。
然るに趙・権免官の事は、大院君の退闕、王妃の復位、犯人の処分と併せて善後策中最も緊要なる條件なるが故に、政府は最も急速に以上の諸件を断行せざる可からず。
而して、政府が自己の独立を以て進んで之を為すこと特に緊要なり。
何となれば、朝鮮政府にして若し今日迄の如く何等為す所なく荏苒時日を経過せしむる時は、遂には他国の干渉に依り其処置を為すことに立至るの恐れ充分あり。
萬一斯る場合に至らば、其何の点に迄関係の及ぶ可きやを予知すること能はざれば、勿論政府自体の存敗すら疑はる。
政府たるもの、宜しく今にして断乎たる処置を自から進んで施すにあらざれば、他日臍を噬むとも及ぶなきの悔あらんと只管彼れを刺■致置候。
然るに、其後政府の着手したる手段なりとて兪吉濬の語る処に依れば、金宏集及其一派は、大院君退闕の議を内閣に提出したる処、趙・権の2人も熱心に之を賛成したり。
而して此2人が此議を賛成したる底意は、這回事変の罪を大院君1人に帰して、自ら其責を免れんとするにありたりと云ふ。
1月13日のエントリーでは、趙義淵と権濚鎮は宮中に泊まり込んで警備しているとされていましたが、還宮前後の金鴻陸一派の更に緊迫した感じだったんでしょうね。
井上の言うことすら聞かないわけで。
井上の来訪を聞きつけた後、閣議で一切井上の干渉を謝絶するとまで決定してますからねぇ。

一方、外国使臣からも難詰されて逃れられないということで、朝鮮政府は兵力を使って他から助けて現状を打開しない限り、手のうちようがない状況になっちゃった、と。

ちなみに、難詰の内容は、主に閔妃の復位と訓練隊の解散について。
「兵力」が指すのは日本。
外国使臣団が、趙義淵と権濚鎮及び訓練隊が宮中に立て籠もり状態なのを、高宗の命の危機と思い、その打開のために日本の兵を出すしか方法が無い、と言ってくるんですね。
一方で趙義淵は、高宗がロシア公使館に逃げ込むのを恐れて、やはり日本兵を入宮させて欲しいと希望するわけです。
尤も、温和な手段を取りたいとしていずれも断るわけですが。
現在で言えば、北朝鮮に対する中国みたいなもんかな?
朝鮮側、言うこと聞かない所も同じですしね。(笑)

井上馨が出発した後でも、外国代表者の圧力は強く、趙義淵派と金宏集派の軋轢も激しくなって、再び何らかの事変が起きるのではないかと思い始めた時に、井上馨の出発の翌々日、つまり1895年(明治28年)11月18日に金宏集が小村を訪問するわけです。


こっからが、今回の本題。

「井上大使は善後策に関し何等の訓誨をも与へられずして出立せられたるは、甚だ遺憾に存ずる処なり。」
前回の年表での「井上が善後策について何も言ってくれずに帰ったのは遺憾だと、愚痴る」の部分ですね。(笑)
で、しかしながら井上が何か言い残していってないか小村に尋ねる。
小村は「無し」と。(笑)
そこで、金宏集は小村の考えを聞くわけですが、その前に金宏集の意見はどうなのよ?と。
これに対して金宏集は、大院君を宮闕外に退かせること、王妃を復位すること、関係者を処罰することの3つを上げたんですね。

さて。
名越二荒之助先生の「日韓共鳴二千年史」では、井上馨が大院君に対して、「死ねば皆仏になる。過去を水に流して王妃の菩提を弔って、民心の安定をはかること」を勧めたとされているが、これは何の史料に依拠しているのか不明。
事実大院君に言っていたとしても、趙義淵は井上の干渉謝絶であり、金宏集は「何等の訓誨をも与へられず」で、しかも小村にわざわざ閔妃を復位したいと述べるわけで、朝鮮政府の復位等の政策決定には影響を与えていないとするのが妥当でしょうね。

一方で、「日韓共鳴二千年史」で先の井上の話に続くのが、「しかし閔妃を復位させ、「明成皇后」の諡号を贈り、国葬を行なったのは、大韓帝国が誕生した後の明治三十年十一月のことでした。」なわけで、井上馨或いは日本人が復位させた、又は諡を贈ったとは書いていない。
以上から、巷間の「閔妃を皇后に復位させ明成と名付けたは井上馨」というのは、誤読なのか脚色しすぎかは分かりませんが、誤りということになります。
井上、もう帰っちゃってるしね。(笑)


で、小村は大院君を宮闕外に退かせること、王妃を復位すること、関係者を処罰することの3つに同意し、さらに趙義淵と権濚鎮の免官はどうすんの?と聞く。
金宏集は、「いや、それ無理。」と。(笑)
いや、無理って言ったって大院君の退闕、王妃の復位、犯人の処分とあわせて今一番緊要な案件だから、朝鮮政府は自ら至急これらを断行しないと、最後には他国が干渉してくる恐れが充分にあり、もしそうなったら、どこまで関係が及んでくるか分からず、政府の存廃も疑わしいと思うんだけど、後で後悔しないようにねと金宏集にネジを巻くんですね。

その後兪吉濬が語るところによれば、金宏集一派はまず大院君の退闕を内閣に提出し、これに対して趙義淵と権濚鎮も熱心に賛成。
何故かと言えば、今回の事件の罪を大院君だけのせいにして、自分らはその責任から免れるためだ、と。
さて、何の責任でしょうねぇ・・・。(笑)

偖内閣の議は大院君の退闕と一決したれども、其実行に臨んで頻る困難ありたりと聞く。
而て、今其事を予め大院君に知らしめずして、直に国王に奏上するは却て目的を達するに便ならずとの意を以て、先づ金外部大臣をして大院君に内話せしむることとなりたるに、該大臣は何故か自ら面談することを避け、李宮内大臣を経て内閣の決議と其事由とを大院君に通じたるに、李大臣の言語中「大院君を退闕せしめて厳重に監禁すべしと云々」とありたるを聞き、君の激憤一方ならず、直に其事を国王に告げたるに、国王も亦其不敬を怒れりと。
然るに、趙・権の2人は兼て罪を大院君に帰して、自ら其地位を保たんことに熱中し、已むを得ずば強制手段に依るも大院君の退闕を実行すべしとの底意にて、之に先だつ両3日前、窃かに該君の護衛巡査20名なるを増して40名と為したることあり。
当時、大院君は素より趙・権の意中を知らざることとて唯不審を生じ、国王に其越を告げたる迄なりしが、今此閣議の次第を伝へ聞き、国王も共に大に憤怒したりと沙汰せらるるに至れり。
其結果たる、大院君は趙・権2人を処分せざれば其身危ふしと思惟し、趙・権2人は大院君を仰へざれば如何なる禍の身に及ばんも知る可からずとて、雙方互に相疑ひ相懼るるの姿となりたるが、趙・権2人は其実力を恃んで遂に強制手段に出でんとする趣を聞込みたるを以て、本官は今日に於て斯る所行の最も不可なる所以を懇諭し、偏に無事を計り居たり。
金宏集一派が内閣に提出して、趙義淵と権濚鎮が事件の罪を大院君だけのせいにしようとして、大院君退闕に賛成してるわけですから、もう決定なわけですが、当然実行するのはかなり難しいわけで。
まぁ、とりあえず大院君に知らせずに直接高宗に奏上しちゃ、却って反発くらうだろうってことで、まずは大院君に話を通すことに。
その中で、「大院君を退闕させて厳重に監禁すべし云々」という言葉に激怒。
壬午軍乱で、清に連行された時の事でも思い出したんだろうか。(笑)

この話を高宗に言うと、高宗も不敬だと怒る。
高宗に奏上する前に大院君のとこに話に行ってますからねぇ。
完全に裏目ってますな。
まぁ、所詮高宗なので、退闕を先に話してたとしても、大院君に同意してしまう可能性はありますが。(笑)

で、以前から趙義淵と権濚鎮は、罪を大院君に擦り付けて自分等がその地位に立とうと熱中していたわけですが、今回は実力行使でも退闕させようと画策。
一方で大院君は、趙義淵と権濚鎮を処分しないと自分の身が危ないと考えるようになり、お互いに疑心暗鬼となり、互いに互いを恐れる状況になってしまったんですな。
ここに至って、趙義淵と権濚鎮が遂に強制手段に出ようとしているらしい事を聞き込んで、小村は「今それやるの最悪だろ。」と説得した、と。

さて、史料はまだまだ続くんですが、長くなってきたので後は次回という事に。


連載の合間に連載ってのは、どうなんだろうと思いつつ、今日はこれまで。