世間の話題は北朝鮮のミサイルと韓国の竹島周辺海域調査一色。
マジで、あいつらが何考えてるのか分かりません・・・。

さて、前回の連載で大韓帝国が成立したわけですが、もう少しだけお付き合いいただきたいと思います。
今日はまず、『公文雑纂・明治三十年・第十四巻・外務省五・外務省五/韓国ニ於テ皇帝称号式挙行済ノ公報アリタルニ付各国ノ意嚮如何ニ拘ハラス自今我帝国ニ於テハ新称号相用井随テ故王后ヲ皇后ト改称スルコトニ取極メタル件(レファレンスコード:A04010035700)』から見ていきましょう。

送第342号

客月19日附機密第16号を以て、朝鮮国に於ける皇帝称号式挙行済之件に関し執奏方申進置候処、右は各国に於て新称号を用ゆると否とに不拘、我帝国に於ては自今新称号相用ひ、随て故王后には皇后の称相用候事に取究め、既に本日其旨致上奏候間、此段御通知申進候也。
6月24日のエントリーでは、イギリス・フランス・ドイツの公使や領事はEmperorやEmpireには否定的でした。
一方で、日本としては「日本語にて大君主を皇帝と改むるは差支なし」だったわけで、ここでも各国がどうしようと日本は皇帝号使うよ、と。
まぁ、現代韓国では天皇陛下ですら日王と呼ぶわけですがね。(笑)

さて、皇帝号となりましたので、当然アノ話も出てくるわけです。
『公文雑纂・明治三十年・第十四巻・外務省五・外務省五/弁理公使加藤増雄韓国皇后陛下葬儀ノ節特派公使トシテ会葬被仰付タルニ付御信任状御下付ノ件(レファレンスコード:A04010035600)』から。

辨理公使加藤増雄、韓国皇后陛下葬儀の節、特派大使として会葬被仰候に付、御信任状別紙の通り立案奏供 欽閲候間、本書御下付相成候様支度、此段謹で奏す。
はい。
天皇への奏上にも閔妃を皇后、と。
ついでですんで、先に信任状案も見てみましょう。

天佑を保有し、萬世一系の帝祚を踐みたる大日本国大皇帝、敬で威徳隆盛なる良友大韓国大皇帝陛下に白す。
今般、皇后陛下の葬儀を執行せらるるに際し、特に貴国に駐紮する辨理公使正五位勳五等加藤増雄を特派大使として其葬儀に會せしむ。
抑も増雄をして特派大使と為すや、陛下に対し朕が哀悼の切なるを表するものなり。
冀くは陛下此意を領せられんことを、朕は此機に臨み併せて陛下の康寧を祈る。
神武天皇即位紀元2557年 明治30年11月8日東京宮城に於て親ら名を署し璽を鈐せしむ。

御名 国璽
このタイミングで閔妃の葬儀って事は、やはり7月2日のエントリーにおける、皇帝を名乗って閔妃も皇后として追封したいからだろという加藤の予想が、BINGOだったって事でしょうね。
つうか、分かりやすいですなぁ。(笑)

で、これは京城の加藤にも伝えられます。
アジア歴史資料センターの『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/2 明治30年9月27日から明治31年7月23日(レファレンスコード:B03050002900)』より、1897年(明治30年)11月6日発『電送第368号』。

第93号 電信案

加藤弁理公使   大隈重信外務大臣

自今我政府に於ては皇帝称号を用ゆる事を取極め、今般故王后の葬儀に際し、貴官を特派公使として会葬被仰付其信任状に初めて皇帝・皇后の新称号を用ひたり。

原書は、朝鮮国皇帝称号之部に在り。
原書があるとされる朝鮮国皇帝称号之部、アジ歴ではまだ公開されてないけど見てみたいなぁ。
多分、他の列強の話とかもあるんだろうねぇ。

今日最後の史料は、一部で有名なメルレンドルフ(P.G.Mellendorff:モルレンドルフ、モーレンドルフ)に関する話。
1897年(明治30年)11月8日付『機密送第1993号』。

清国寧波税務司「モーレンドルフ」氏の朝鮮政府招聘に関する談話

謹啓本月5日、小官■州より紹興府を経て当港へ到着致し、当港税関長「モルレンドルーフ」氏は前年朝鮮政府の顧問たりし人物にて、小官上海に於て知友に有之候為、訪問の上親密の談話を致候次第を以下に陳述■候。

10月30日、「モルレンドルーフ」氏は用務を以て上海に至りたるとき、今地に於て朝鮮王より在上海閔泳翊の所へ差遣はされたる2使に会晤せり。
朝鮮王は、此回閔泳煥が露国に於て、独断を以て財政顧問として露人を招聘せしを嘉納せず。
然れども、一方に於て露国公使は露人を以て財政顧問に任用するを主張し、一方に於ては現任財政顧問并に総税務司「マキーホルン」氏の■■して辞職せんとするに遇ひ、頗る紛紜を極るを以て、朝鮮王は2使を在上海の閔泳翊の■に差遣はし、同氏をして閔泳煥に代て駐露公使として露国に赴任し、善後策を運らすを諭示し、并に差遣2使をして、「モルレンドルーフ」氏に「マキーホルン」氏に代て、総税務司并に政務顧問として朝鮮政府の招聘に応ぜんことを勧誘せしめたり。
「モルレンドルフ」氏は、前年朝鮮在留の際、頗る朝鮮王の信任を博し、退去後も朝鮮王及び閔泳翊とは絶へず交通し、朝鮮王は国務に付■に同氏に下問せしことありたれば、此回招聘のことも決して突然のことにあらずと云へり。
「モルレンドルフ」氏、朝鮮政府の招聘に対しては、充分之に応ずる意嚮あるも、朝鮮政府の招聘にては位地安固ならず、一朝韓廷風雲不穏なるときは、前年の如く忽ち解任の■運に遭遇するを免がれざるを以て、同氏は朝鮮政府をして公然在北京総税務使「ローハート・ハート」氏に照会し、「ハート」氏の許可を得て一時支那税関休職となりて朝鮮に赴任するを希望せり。
然るときは、万一朝鮮に於て蹉跌あるも、支那税務司に復任すること容易なればなり。
次に同氏は、朝鮮に対する日露両国均勢の「アンデルスタンデーンク」を確知するを希望し、果して「ハート」氏の許可を得て、朝鮮に傭入るる際には、我帝国外務省及東部■州に於ける露国総督を訪ひて、両国の意嚮及両国の韓土に於ける均勢政略を聴きて後、赴任すべしと云へり。

上述■氏の口述に拠れば、同氏の朝鮮の招聘に応ずる希望あれば、朝鮮政府より「ロバート・ハート」氏に照会を経て、朝鮮顧問并に総税務司に任用せらるるも測られずと存候。
又、「モルレンドルフ」氏の説に曰く、同氏が上海に於て会晤せし朝鮮王の差遣せし2氏の口気に藉りて観察するに、閔泳煥は露国に於て独断を以て財政顧問官を招聘せしのみならず、此外に露国と秘密條約を訂結せし如し。
秘密條約は、盖し多数の露人を以て朝鮮政府の顧問に充るにあるべし。
此秘密條約取消のため、閔泳翊を駐露公使に任命するに至りしものならん。
又、小官の視察に拠れば、「モルレンドルフ」氏は権略家とは見做し難し。
又、其敏捷なる外交家とも認めず。
縦令彼が朝鮮招聘に応ずるも、我国に於ては別段顧慮するを要せずと存候。
而して、彼を利用するに於ては、却て我国の益を収むる処多かるべしと存候。
右、同氏談話の概略、御報申上仕候。
閔泳煥が、ロシアで独断で財政顧問をロシア人にしたことを、高宗が喜ばなかったって・・・。
んー、最早何を信じて良いのか分からん。(笑)
ただ、この後度支部顧問イギリス人ブラウンの解任と、ロシア人アレキセーエフの就任を巡ってゴタゴタがあるのは、事実である。
多分、ロシア公使がウェベルからスペールに代わった事がこういう話になった大きな原因であり、閔泳煥が独断で締結したというのは、これまでの経緯を見ても嘘ではないかと思うんだけどなぁ。
つまり、単なる変節じゃないかな、と。
まぁ、この辺は保留しておくしかないんだろうね。

で、「マキーホルン」がイマイチ良く分からないが、ブラウンは"J.M.ブラウン"であり、話の内容から彼しか該当人物がいないため、ブラウンのミドルネームがマキーホルンなのかも知れない。
「マキーホルン」が誰をさすのかは、不明。
(2006年9月7日、elseorand氏の指摘により修正)

総税務司及び政務顧問にロシア人がなる事を高宗が嫌がり、モルレンドルフにブラウンに代わって総税務司及び政務顧問になってくれないか、と。
いや、なんかすげぇ場当たりなんですけど。(笑)
先ほど、最早何を信じて良いか分からんと述べましたが、高宗自身がいつも場当たり又は周りの空気に流されるため、定見を持っていないというのが、その最大の理由なんだろうなぁ。(笑)


今日はこれまで。



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