さて、本日からは新しい連載となるわけですが、実は史料的には前回まで取り扱っていた「警察事務概要(保安課の部)」の続きなんです。(汗;
今、次のテーマを探してるんですが、中々ピンとくるものが無くて。
取りあえず、併合直前の状況を見るには手っ取り早いこの史料で、お茶を濁しておこう、と。(笑)
で、キリスト教の各団体についても、前回まで連載の「併合前の各団体状況」での調査表と同様の調査表があるわけです。
アジア歴史資料センターの『韓国警察報告資料巻の3(レファレンスコード:A05020350600)』の463画像目より。
(クリックで拡大)
これまた前回の連載同様、京城&十三道に分かれて詳細に示された表ですね。
で、前回は”(1)各種団体”から始まったわけで、その続きである今回は、(2)から始まります。
453画像目から。
(2)耶蘇教取締韓国におけるキリスト教伝播の経緯説明ですね。
(イ)韓国に於ける耶蘇教沿革概要
約250年前、羅馬教韓国に伝来せしと云ふも、当時基督教は政府の禁制とするところなりしを以て、公然伝導に従事することを得ず、然も夜陰各戸を訪問し、或は政府の権威の及ばざる江華島其他僻陬の地に避け、布教に努めたりしと伝ふ。
而して、大院君時代に至り教徒非常に増加し、其勢力侮るべからざるを以て、国内に令して基督教を禁じ、信徒に対しては甚しき迫害を加へ、当時殺戮せられたるもの8,000の多きに上りしと云ふ。
然るに明治15年米韓条約締結し、共に布教の自由保証せられたるを以て、之が反動として迅速なる伝播を見るに至れり。
則ち、明治16年米国美以教会派は、日本に在留せし「ドクトル・マクレー」を派し、其報告に依り米本国本部より2名の宣教師を派遣せり。
現に京城に有名なる済衆医院長「ドクトル・スクラントン」にして、1名は明治35年、木浦沖に於て難破、死没したる「アツペンセラー」なり。
長老派も亦、明治22年新たに「デヴイス」を派し、引続き2、3の宣教師を派し、釜山に根拠し布教に努めたり。
又、米国南美以教会派は明治28年「リード」を派し、北長老会派も亦「アンダーウード」、「ドクトル・ヘロン」を派し、両派相提携して京城に在りて伝道し、明治23年には両派合せて100余名の洗礼を得るに至りしと云ふ。
爾来、各派共多数の宣教師を送り、韓人牧師等と共に伝道に従事せしめたりしが、非常なる勢力を以て発展に至れり。
而して、信徒中には韓国官憲の圧迫を免れん為め入会するものも少からず。
又、近来に至りては、排日思想を抱けるもの之に加入するもの亦多きを見る。
この辺り、8月5日のエントリーで取り上げた、1909年(明治42年)9月2日付『憲機第1707号』よりも広がる過程については若干詳細になってます。
続いて、各派の現況説明に入っていきます。
(ロ)各派の現況及団体長老派は、調査表によれば信徒124,031名。
長老教会派
長老教会派の京城に於ける伝道本部は、「アンダーウード」、「クラーク」、「ゲール」の3名牛耳を執り、附属病院済衆院を設け「アウイソン」「ハルスト」「シールズ」嬢等其局に当り、教育には「ミラー夫妻」、「ワンボルト」嬢、「フヒールト」嬢等之に従事す。
京城以外に於ては全国を西部、南部、北部の三区に分ち、西部は「アンダーウード」、南部は「ピエター」、北部は「ウェルボン」之を統轄す。
同派は韓国に於て尤も勢力を有し、又其医療及教育事業は頗る見るべきものあり。
而して、曩に布教費として米国に於て50万円の寄附金を募集し、既に過半其目的を達し将来の活動予想するに難からず。
又、此派にては、京城に大韓耶蘇教会報及基督教新報等を発行せり。
而して、上流の士にして耶蘇教徒たるものは多く此派に属する状況にして、勢力益増加せんとす。
8月6日のエントリーでの予想、取りあえず正解。(笑)
で、上流階層のキリスト教信者の多くは長老派に属する、と。
しかし、寄附金50万なぁ・・・。
凄いなぁ。
尚、表の左端の備考によれば、「長老派中には、米国・英国・豪州・加奈太の長老派を包含す」とされている事を附記しておきます。
美以教会派美以教会とはメソジスト派を指し、調査表中では恐らく米国監理派が該当すると思われます。
美以教会派は「ハリス」博士監督の下に活動しつつあり。
京城に於ては、「スクラントン」の病院経営、同氏母堂の女子教育、「アッペンセラー」の男児教育等、成績見るべきものあり。
又、同教南派は「リード」の渡韓布教開始以来其勢力を拡張し、北派と提携して広く勢力を張りつつありて、是又一層発展の気運に向ひつつあり。
信徒数33,759名。
ハリス博士は、12月13日のエントリーでも若干紹介していますが、内村鑑三に洗礼を施した人物であり、朝鮮半島には1909年2月頃に渡っています。
親日家であり、アジア歴史資料センターの『ビショップ、ハリスヨリ韓国併合ニ関スル祝詞接受ノ件ニ関シ在米内田大使ヨリ報告ノ件(レファレンスコード:A04010216200)』によれば、表題の如く、韓国併合の際にも在米特別全権大使の内田康哉に祝詞を寄せているようで。
ビショップ・ハリスヨリ韓国併合ニ関スル祝詞接受ノ件ニ関シ在米内田大使ヨリ報告ノ件ってな感じ。
メソヂスト・エンド・エピスコーパル教会監督エム・シー・ハリス氏は、客月1日付を以て別紙甲号写の通本使へ宛一書を寄せ、韓国併合に関する祝詞を述べ、之れ実に最良にして唯一の解決方法たるべきは、自分の予て確信し居りたる処にして、今回日本の執りたる措置に就ては、自分は諸教会に臨む毎に其理由並に要旨を説明し居る次第にて、将来朝鮮人は、聖明なる陛下の公正にして寛容なる御治世の下に、必ず迅速なる進歩を遂げ、幸福なる人民となるべきことを疑はざる趣申越候。
当時本使は墨国へ出張中なりしを以て、当地へ帰任後該書面閲悉致候に付、不取敢別紙乙号写の通、其温かなる同情の言を謝する旨、礼状差出置候。
右ハリス監督来書の要旨は、本月8日往電第91号を以て及報告置候へ共、仍ほ為念別紙書面写添付。
此段致報告候。
敬具
8日の往電第91号は、ちょっと探せないでいます。
WEB上には、伊藤統監の治世について評価するハリス博士の発言も良く見らますが、引用元である名越二荒之助氏の『日韓共鳴二千年史』が、何の史料を根拠にしているか不明であるため、ここでは割愛。
という事で、彼の日本に対する評価が分かると思います。
よって、そのハリス博士に監督されているこの頃の美以教会派は、必然的に親日的であったと考えられますね。
ってことで、今日はこれまで。