ちょいと別件で安重根について調べていましたら、8月8日のエントリーで疑問を呈した、安重根がハングルを書いた事があるかどうかについて裏付けが取れましたので、ご報告を。


問題の書


もう一度整理しておくと、陸軍少将明石元二郎から統監府総務長官の石塚英蔵に宛てられた1909年(明治42年)11月16日付『発第5号』より。


別紙は本日電報せしが、為念及御送付候也。


○ 別紙(書翰 日訳文)

(犯行前に、安重根から浦鹽大東共報社の李剛に宛てたものを、劉東夏が送附前に押収されたもの。今回は省略)


○ 別紙

丈夫處世兮 其志大矣
時造英雄兮 英雄造時
雄視天下兮 何日成業
東風漸寒兮 壮士義熱
念慨一却兮 必成目的
巤竊伊藤兮 豈肯比命
豈度至此兮 事勢固然
同胞同胞兮 速成大業
萬歳萬歳兮 大韓獨立
萬歳萬々歳 大韓同胞



そして、冒頭の画像のように「伊藤」の部分が「○○」になっている話は、1909年(明治42年)11月15日付『情報第3 安応七供述要旨』より。


 (前略)

又歌及李剛宛の手紙は(昨日の情報)自分の認めたるものに相違なし。
歌の文句中○○は、伊藤を意味するものなり。
李剛は、大東共報の雑報掛なり。
歌の方は、自分が携帯せり。
手紙の方は、自分が意思を明かにするため、新聞に掲載せしむる積りにて(應七は前李桂と云へり。而して、通常人呼んで李書房と云ふと云へり)李剛宛となしたるなり。

 (後略)



さて、次からが今回の本題。
1909年(明治42年)11月16日付『情報第4 禹連俊供述要旨』より。


 (前略)

自分と安とは、椅子に腰を掛けて差し向ひになりて、手紙及歌を書きたり。
其の時曹は、少し離れて下に坐し橫に為り居たり。
安は、李剛に宛てたる手紙を先きに書きたり。
自分は漢文を分らざる故、安は其の意味を小声にて曹に聞こえぬ様に自分に聞かせ、印を押せと云ひたるゆへ、自分の印を出して押したり。
其の印は、今回押収せられたる印なり。
安は又歌を書き、朝鮮諺文の飜訳の方を自分に見せたり。
自分にも何か書けと云ひたるに付、自分も歌(情報第3)を書き、其2、3行を書き余まし居る頃、柳東夏が帰り来りたるに依り、急ぎて認め無封の儘懐中せり。



まず、禹連俊の歌が前述の情報第3とされているが、どこを指しているのか分からない。
しかし、本人が漢文が分からないと言っており、この供述要旨に禹連俊の歌自体が別途添付されているため、今回の漢詩及び韓字翻訳には関係無い。

また、以前記したとおり冒頭の漢詩は『安応七歴史』にも残されている。

【1画像目】 【2画像目】


という事で、恐らく冒頭の画像は押収品と推察され、もしそうであるならば安重根の真筆という事になろう。
尤も、真筆かどうかの判断には、当該文書のより大きな画像が必要である。
いづれにしても、冒頭の書のように安重根はハングルも記載していたのである。


巷間、安重根が両班の家系であったこと等を理由に、安重根がハングルを書いた事が無いとする話は、どうやら訂正が必要なようである。