今日は迎え盆。
あんまりお客さんも来ないだろう&忙しくて長文読む気もしないだろうと勝手に推察。(笑)
現在、境喜明警視の1909年(明治43年・隆熙3年)11月5日付の『復命書』中、安重根の実弟である安定根の供述について掲載途中ですが、一回小休止しましょう。

しかし、全くお休みにするのも来ていただく読者の方に申し訳ないので、知っている方も多そうだけれど、意外と知らないお話しをば。
史料は、明石少将から石塚長官への1909年(明治42年)11月28日付『来電第40号』。


昨日境の訊問に対し、安の供述要領左の如し。

安は17、8歳の頃、信川に於て神父洪錫九より洗礼を受け、「トヲマス」と名付らる。
即ち多默なり。

金明濬は知れるも意見を交換したることなし。
断指同盟をなしたるは、本年1月頃なりし。
烟秋琿春間にある寒村の宿屋、金成方にての事にて、国家の為盡す決心を同志に示す為、自分一人切りたるのみ。
其時会したる11名の内姓名を記憶するは、朴昌錫・ケウギシユン・テイゲンチウにて何れも煙秋・水青・浦鹽方面を徘徊する憂国の士なり。



安重根の洗礼名は「トーマス」でした、と。
ウィキペディアの安重根の項目にも載っているので、知ってる人も多いかも知れない。

ということで、映画「多黙 安重根」は「トーマス 安重根」と同義。
尤も、韓国語で読むと「トマ アンジュングン」で、かなりトーマスに近いらしいが。

勿論、「コリア、ウラー」は基本。(笑)


 2004年最悪の韓国映画に選ばれた「多黙 安重根」


しかし、死刑の数日後に9歳の子供を毒殺って・・・。

1909年(明治42年)11月7日付『憲機第2159号』によれば、安重根の長男安丕篤は事件当時4歳、次男の安瑪寶は事件当時2歳。
死刑の数日後であれば、いくら頑張っても5歳が上限ですなぁ。
って、ウリナラファンタジーに突っ込んでもしょうが無いけどね。(笑)


今日はこんな感じで。


調書に見る安重根(一)
調書に見る安重根(二)
調書に見る安重根(三)
調書に見る安重根(四)
調書に見る安重根(五)