いや、タイトルに深い意味は無い。(笑)
昨日は、『1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記)』から閔妃殺害事件に関する部分までを取り上げた。
本日はその続き。


陛下
我政府臣僚、学識経験に乏しく、統監が斯迄我国の為に盡瘁したるに拘はらず、我臣僚の能く之に応じて其実績を挙ぐること能はざりしは、嘸そ統監の遺憾且不満足とする所となりしならん。
朕も亦、深く悔とする所なり。

統監代理
否。
統監の不満足とする所は、決して只今陛下仰の如き、政府大臣の学識経験等の不充分なるに原因するものとは認め不申。
何となれば、貴政府大臣が政治上経験に乏しきが如きは、素より承知覚悟のことなれば、敢て之に対して不満足を抱くには無之して、要は宮中府中の別、明ならず。
従って陛下は、些末の事項、即ち各部判任官の任免若くは一兵卒歩哨の位置にまで干渉せらるる如きことあり。
是れ決して施政改善の実を挙げ、国運の発逹を図らるる途にあらずして、即ち統監が斯くては到底其忠言勧告の克効く実を奏すべき所にあらずと為す所以なりと信ず。

外臣は、是れ一介の武辧。
未だ曾て行政上何等実歴なしと雖、此際陛下は宮中府中の別を昭にし、府中の事、専ら之を参政大臣に委し、参政大臣は其意気相投合する所の閣員を統率して行政の責に任じ、各部に於ても亦、其の主務大臣其部僚に才能を挙げ、之を率ひて以て各其主管事務を遂行せしめ、又宮中の事の如きは、宮内大臣をして之を専管せしめらるる等、陛下は一に其大綱を総攬し、且其の御名に於て発布する法律勅令を、御親裁せらるるこそ治国の要義と認むるなり。



何度同じ高宗への忠告を目にしただろうか。
但し、伊藤の5月1日のエントリー、そして6月23日のエントリーに見られる忠告よりも、長谷川のこの時の発言はさらに分かりやすい。
「明治憲法」下における明治天皇と同様の役割、即ち立憲君主と成ることを期待されていたのであろう。
しかし、現代における韓国や北朝鮮のトップですらあの状態であり、土台無理な相談である。(笑)


陛下
然り。
我国古来因襲の久しき動もすれば宮中府中を混合し、今卿の奏言の如き弊なきに非ず。
然るに昨年来、一に此弊を矯めんと欲し、注意を払はざるにあらずと雖、時に未だ旧習を蝉脱せざるものあるを悔ゆ。
此後は、一層之を励行し、遺憾なきを期せんとす。
卿其れ之を諒せよ。

統監代理
斯く陛下が外臣の蕪言を御嘉納相成るに於ては、実に貴国の為め慶賀に堪へざると同時に、正任統監も此事を聞かば、定めて満足し、喜んで再帰任することに躊躇せざるべしと確信するなり。



ぬか喜びだよ、長谷川。(笑)

この後、高宗と長谷川の間で二、三の問答があったようであるが、重要ではないとしてこの報告書でも省略されている。
また報告には会食についての記載があるが、席順などの話であるため省略する。
こうして謁見は終わるのだが、この報告には附言が付いている。


附言
翌10日、李学相は統監代理を訪問し、先づ政海の現状を述べたる上、伊藤統監再度来韓何れかして陛下の性格を矯め、国政改善の事をして奏効せしめんと熱心に盡力せられたるも、終に最後に陛下の性格を充分了解せられ、終局救済すべからざるものと認められたるに相違なしと信ず。
予等も、多年君臣の情誼として種々其手段を執り、聖意を飜すに努めたりと雖、到底無益なることを曉れり。
就ては、此の上の手段は、当国の歴史に其実例を見る所の廃立の挙に出づる外なしと信ず。
乍去、此事たる表面日本側に相談し其同意を得たりとせば、事態甚だ面到なるに付、予等三、四同志の間に断行し、累を日本に及ぼさざること肝要なり。
乍去、少なくとも裏面には、日本側の同情を求め置く必要ありと述べ、統監代理の意見を求めたるに対し、



勿論、李学相とは当時学部大臣であった李完用である。
彼の言によれば、高宗の性格を充分了解すれば、救済すべきでないという結論に至るらしい。(笑)
また、君臣の情誼で色々やってみたが無益だった、と。
挙げ句に、韓国の歴史にその実例を見る事のできる、廃立という手段以外に無いそうで。
しかも、「日本側の同情を求め置く必要あり」である。

「日帝は高宗皇帝を強制的に退位させた」と良く言われる1907年7月19日まで、まだ半年以上もある1906年12月10日に、李完用は既に廃立を考え、日本側の同意を求めていたようですな。
さて、長谷川はこれにどう答えたのか、続きを見てみよう。


統監代理
御意見は一応御尤なるも、其の事たる事態頗る重大にして、貴国に己往斯る歴史ありとするも、今日に在っては、世界一般の情況に鑑みざるべからず。
近世に於て列国中未だ如此き事例を見ざるのみならず、縦ひ貴国人のみにして之を実行せらるるにせよ、世間の視線は、矢張背後に日本ありて之を為さしめたるものと認むるは必然なり。
尤も斯く認めたりとて敢て恐るるには非ざるも、其は予め覚悟せざるを得ず。
然るに予は、事の此に至らざる前、今一事為すべきことありと信ず。
他にあらず昨日謁見の際、陛下との問答(此時前記謁見の始末を詳述せらる)の結果、宮中府中の別を明かにすることに付、陛下は一々之を嘉納し、且つ之を励行せんことを仰せありたるに依り、其質言を空ふせざらんが為、予は一つの詔勅を参政大臣に対し煥発せらるる様致さん考なり。
幸に参政大臣も昨日其席に参列し、新しく傍聴せられたることなれば、よもや異存あるべしとは思はれず。
先づ、右の詔勅を発布せられ、且つ之を実行せられんことに努め、而して猶ほ毫も其効果なきに於ては、貴大臣の抱かるる意見を実行せらるるも万止むを得ざるべし。
併し其は将来機会に譲り、先づ以て前述の手段に出づること穏当にして、宜しく試むべき一つの順序なりと思考するなり。



高宗を信じても一つも得るところはないぞ、長谷川。(笑)
というわけで、廃立を主張する李完用は、9日の謁見に関連した詔勅を発布するから様子見ろやと長谷川に諭されたのである。

つまり、李完用は謁見の中身を知らないまま、廃立について考慮していたという事である。

まぁ、結果として「猶ほ毫も其効果なきに於ては、貴大臣の抱かるる意見を実行せらるるも万止むを得ざる」事態となり、「将来機会」は半年後に訪れるのだが。


李学相は大に之を賛同し、左すれば先以て詔勅のことに就き、朴参政と協議の上、速に其運に相成らんことを希望する旨を申出たり。

越へて翌11日、統監代理は朴参政大臣と会見し、詔勅のことを提議せらるや、朴参政は直に之に同意したるも同官は、其地位の上より自ら権力集中を図るものと、他をして誤解せしむること無きを保せざれば、各大臣列席の上にて相談を受けたき希望を述べ、且つ詔勅文の大要を起草し示されんことを求めたるに付、統監代理は之を諒とし、更に翌12日午後3時(水曜日各大臣参内日)を卜とし、各大臣と会合の結果、各大臣孰れも皆賛成の意を表し、別紙甲号詔勅案に対し多少の修正を加へ、之を携へ宮中に進み御前会議を開き、右詔勅案に対する陛下の御裁可を経て、乙号の詔勅を本月15日の官報に其発表を見たる次第なり。

詔勅(日本語訳)
朕惟ふに、宮中府中の別を昭にし、行政の機能をして其運用を愆らしむること莫く、大小官吏は各其職務権限を明にし、之をして責成せしむるを治国の要義とし、夙に洪範第十四條中第四、第五両項を宣明し、朕が祖宗列聖の霊に誓告し、嗣又之を有司に申複する所あり。
今や施政改善の事、漸く其緖に就かんとするに当り、益之を現実ならしむるの要を認め矢って、之を励行せんとす。
而して、府中の事に至っては卿現に其首班に在り。
宜しく克く朕が意を体し、官規の定むる所に従い、在廷臣僚を率いて行政各班の責に任し、同心協力其実績を修擧せよ。
宮中の事に至っては、朕又別に其の材を揀ひ、専ら之に任じ、益肅淸の実を挙げしめんとす。
卿其れ之を諒し・(日+助)よ哉。



Σ (゚Д゚;)
洪範14条は、まだ生きてる法律だったの???
どれ一つとして守られていないから、廃案になったかと思ってましたよ。(笑)
この時期まで洪範14条が生きていたなら、あれやこれやかなり面白いなぁ・・・。


ということで、閔妃殺害事件と皇帝廃位の二つが楽しめる、まさに一粒で二度美味しい史料でした。
そして、この李完用の1906年12月10日の発言を前提として、次回からの連載『皇帝譲位』に繋げられると。
うーん、我ながら華麗な連携。(笑)