昨日に引き続き、趙羲淵等八名の特赦の話。
特に、「陛下」に恨みを買っているらしい李斗璜・李範来についてである。
それでは早速つづきから。

1907年(明治40年)8月25日付『来電第9号』。


貴電第18号に関し、李斗璜・李範来の両人は、王妃事件の際、軍部大臣の命に由り其の部下を率ひて宮中に入りしものにして、凶行下手者に非ず。
且つ、已に軍部大臣たりし趙羲淵にして特赦の典に浴するものなれば、彼等両人も亦、勿論特赦に与かるべきものと思考す。
乍去由来韓国の事、理窟計りにも参らず、若し事情の已を得ざるものありとせば、彼等両人を其の筋へ自白せしめて、罪を待たしめ、出来得べくんば近々即位式挙行の機会に、大赦の恩典に浴せしむるを良策と認む。



陛下が、「前記両名は、現に証跡の顯然たるものあり」と言っているのに、伊藤が擁護している。(笑)

「凶行下手者に非ず」という伊藤の言葉は、当時対外的に朴銑が下手人として処刑されている事を受けての言葉であると、素直に解釈した方が良いだろう。
注目に値するのは、「軍部大臣の命に由り」である。
以前から、大院君と朝鮮の訓練隊が参加していた事は知っていたが、軍部大臣ねぇ。

相変わらず伊藤統監は、「乍去由来韓国の事、理窟計りにも参らず(しかし韓国の事だから、理屈通じねぇかも)」等と、本当の事を言っちゃってますな。(笑)


続いて、8月31日付『往電第31号』。


過日の御電訓に依り、李斗璜・李範來の特赦事件に関し、再応侍従院卿をして陛下に転奏せしめたるに、今夕同院卿旨を奉じ、来邸し、左の要求を為したり。

趙羲淵以下六名の特赦に関し、統監代理の懇切なる勧告に依り、特赦することに決定したるも、李斗璜・李範来をも特に其の罪を赦すに於ては、朕は国母の仇、何に依て報ずるを得ん。
乍去、統監代理に於て証拠を挙げ、無罪を主張するに拘はらず、疑問中の両人を強ひて罪に問ふは、公の許さざる所なれば、乙未事件に際し、現に朕が目撃せし国母の仇、禹範善一人に当時の罪を負はしむるときは、一切を解決するに至るべし。
然れども、禹範善既に高永根の為め殺害せられ、今更ら犯人を罪するを得ずと雖、朕に代り逆賊禹範善を殺し仇を報ひたる高永根は、朕が為めに忠臣なり。
此の忠臣、今日本に在り罪科服役中なりといえば、之に特赦を与へ其の罪を赦さるるに於ては賞罰明白となり、乙未事件の始末、茲に始めて解決し、両国間数年の疑団も氷解し、益々厚誼親交の実を見るを得べし。
故に、特に高永根を許されなば、趙義淵等一切の形式上一応の審問を為し、必ず特赦すべしとの御沙汰なり。

陛下聖慮のある所、本官に於ては至極御尤の儀と思考す。
就ては、右に対する閣下の御高見、折返し御回示を請ふ。



「乙未事件に際し、現に朕が目撃せし国母の仇、禹範善」ですか。
この「国母の仇」が何を指すのかは、読者の想像に任せる。(笑)
但し、「今更犯人を罪するを得ず」であり、禹範善を殺した高永根を特赦すれば「乙未事件の始末、茲に始めて解決し、両国間数年の疑団も氷解し」である。

さて、何を目撃したのだろうねぇ・・・。


今日はここまで。


閔妃殺害事件史料(一)