[女性基金]「何のための事業だったのか」

 今となって、いったいなんのための事業だったのか、という疑問が改めてわく。

 いわゆる元従軍慰安婦に対する「償い金」の支給事業などを進めてきた「女性のためのアジア平和国民基金」(略称「アジア女性基金」)が事業をほぼ終え、二年後に解散することになった。

(中略)

 しかし、もともと、この「基金」が創設された経緯には、歴史の歪曲(わいきょく)が大きく作用していた。

 たとえば、一部の新聞が、戦時勤労動員だった「女子挺身(ていしん)隊」制度を、旧日本軍の“慰安婦狩り”システムだったとするキャンペーンを展開したりした。これが、慰安婦はすべて強制連行によるものという誤った歴史認識を国内外に振りまくことになり、とりわけ韓国国民に、感情的な反応を呼び起こした。

 日本政府の一連の対応も、「不見識」としかいいようがないものだった。代表的なものは、一九九三年八月、宮沢政権下の河野洋平官房長官談話だろう。この談話の中では、慰安婦の“強制連行”に「官憲等が直接これに加担したこともあった」とされた。

 この官房長官談話に事実の裏付けがなかったことは、その後、当時の石原信雄官房副長官の証言や、内閣外政審議室長の国会答弁などで明らかになっている。要するに、慰安婦の強制連行論には確たる根拠はなかったということである。

 ところが、この官房長官談話は、当然ながら、日本政府の公式見解として独り歩きすることになった。

 このため、韓国などでは、いわゆる従軍慰安婦はすべて「強制連行」であることを日本政府が認めたというように受け止められた。また日本国内でも「強制連行」への「償い」をすべきだという運動が勢いを増した……という経緯により、「基金」が設立されたのである。

 現在、NHKと朝日新聞が、番組内容の改変を巡り事実関係を争っている問題にも、こうした経緯が背景にある。

 争いの遠因となった「女性国際戦犯法廷」も、こんな河野談話を根拠の一つとした流れの運動だった。

 慰安婦は官憲に強制連行されたとする“政府見解”を前提に政治的に設立された「基金」は、「償い金」支給の対象者をどんな基準で選別したのだろうか。

 「基金」設立には、歴史的事実の冷静な検証が欠けていた。事業に終始、疑念がつきまとったのも当然である。



石原信雄官房副長官の証言については、
「密約外交の代償」櫻井よしこ『文藝春秋』1997年4月号によれば、

宮沢総理の訪韓を控え河野官房長官は、慰安婦問題をめぐり韓国政府と決着方法について水面下で交渉していた。
当時、石原信雄官房副長官は、
「『当時、彼女たちの名誉が回復されるという事で強制性を認めたんです。』
―もし、日本政府による個人補償を求めるという話になるとしたら、強制性は認めなかったということですか。
『それはそうです。国家賠償の前提としての話だったら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めます。』」と語っている。
つまり、日本政府が強制連行の事実を認めれば、元慰安婦の名誉が回復されるので、金銭賠償は要求しないという韓国側の要求を飲んで、客観的な資料がないにもかかわらず、日本政府は強制性を認めたという。

自民党衆議院議員古屋圭司氏のHPによれば、

当時の石原信雄官房副長官が退任後、私たち若手議員の会に出席され、河野談話の背景を教えてくれました。
その内容は、宮澤訪韓を直前に控え、従軍慰安婦だったといわれる人たちがメディアを使って反日キャンペーンを張り、韓国からも慰安婦問題で相当厳しい要求を突きつけられ、事実関係の有無を調査できる雰囲気ではなかったと言います。その結果、韓国の一方的な要求を呑んで訪韓。「日本の将来を考えると、好ましい判断ではなかった」と石原氏自身は述懐していました。後に、河野談話には何の根拠もなく、国や軍隊による強制など事実無根であることが確認されております。


内閣外政審議室長の国会答弁については、
平成9年3月12日の参議院予算委員会における、平林内閣外政審議室長の発言と思われる。

今の強制連行につきましてでございますが、私の方で調査いたしましたのはいわゆる従軍慰安婦の関係でございますが、従軍慰安婦に関する限りは強制連行を直接示すような政府資料というものは発見されませんでした。
 

要するに、日本人のイメージする「悪辣な日本軍が、婦女子を誘拐同然に連行する」という意味での強制連行の証拠は無かったのである。
 

この「女性のためのアジア平和国民基金」の韓国における事業は、韓国挺身隊問題対策協議会(略称:挺隊協)・韓国マスコミの妨害、盧泰愚、金大中による「韓国政府として日本政府に国家補償を要求することはしない、その代わりにアジア女性基金の事業を受けとらないと誓約する元「慰安婦」には生活支援金3150万ウォン(当時日本円で約310万円)と挺対協の集めた資金より418万ウォンを支給する」との決定によって、頓挫したまま終了するようである。