1917年イギリス生まれの
アンソニー・バージェスという人がどういう人なのか、
名前からピンと来る日本人はほとんどいないはずだ。

1960年1月、頭痛が気になった彼は
病院で診察してもらったところ、
医者から「あなたは脳腫瘍で余命1年未満です」と宣告された。

彼はジャーナリストだったが当時42歳で破産しており、
このまま死んだら妻に何も残せないと痛感した。

そこで、昔から文章を書くことは好きだったので、
残された1年弱でいくつか小説を書いて
出版社に売り込んでみようと決意した。
うまくいけば、妻に印税収入として
多少は残せるかもしれないと考えたのだ。

それからというのもは、毎日毎晩休むことなく
タイプライターに向かって小説を執筆し続けた。
結局、1960年の暮れには、
全部で5作品と6作品目の半分まで執筆が進んだ。

医者から言われた、タイムリミットが迫る中、
彼はさらに執筆を続けた。
やがて、医者からの余命宣告から1年も過ぎた頃、
何度目かの再検査で、彼の脳腫瘍は消えていたことが分った。

その後1993年に76歳で亡くなるまでに、
70冊以上もの作品を残すことになった。
小説だけでなく、
絵本(邦訳があるのは、廃版だが『アイスクリームの王国』)や詩、
文芸評論(邦訳があるのは、これも廃版だが『シェイクスピア』や
『図説 ヘミングウェイ』など)、
映画の脚本(フランコ・ゼフィレッリ監督の『ナザレのイエス』)
などでも評価を得て、おまけに作曲家でもあった。
もちろん妻にお金の苦労をさせることもなく、
東南アジア、アメリカ、ヨーロッパ他世界中に
引っ越して亡くなるまで執筆活動を続けた。

そして、彼を金持ちにさせたのは
小説『時計じかけのオレンジ』が、
スタンリー・キューブリック監督によって映画化され、
その多額の原作料が入ったからだ。

もし、1960年1月に
医者から余命1年未満と言われなかったら、
作家としての彼は生涯誕生していなかったかもしれない。
映画『時計じかけのオレンジ』も撮られることはなかった。
あるいは、余命1年と宣告されて、
自暴自棄になって何もしなかったら、
彼はただの人で一生を終えたかも知れない。

あなたが、もし医者から余命1年未満と宣告されたら、
それからの1年で何を残せるだろうか?

あなたが今、健康でも、そう思って何かに取り組めば、
間違いなく何かを残せるはずだ。



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