ナポレオン・ヒルの有名なエピソードが

彼とアンドリュー・カーネギーとの出会いだ。


ナポレオン・ヒルの死後(彼は1970年に87歳で

亡くなっている)から23年経った1993年に

ナポレオン・ヒル財団が出版した

"Napoleon Hill's A Year Of Growing Rich"

(邦訳は、『私たちは成功者に何を学ぶべきか』)

から、その場面を採録してみよう。


私たちは成功者に何を学ぶべきか/ナポレオン・ヒル
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あなたには、以下の記載内容から

不自然さを感じることができるだろうか?


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1908年の秋、25歳のヒル博士に

転機が訪れる。

『ボブ・テイラーズ・マガジン』という雑誌に、

成功者たちについての記事を書くことが

決まったのだ。


その最初の仕事が、当時ピッツバーグに住んでいた

アンドリュー・カーネギーとのインタビューだった。


(中略)


インタビューが無事終わろうとしたときに、

カーネギーが言った。

「このインタビューは、今始まったばかりだ。

どうかね、一緒に私の家に行き、

食事をしようじゃないか。

食事のあとで、話の続きをしよう」


結局、インタビューはこの日では終わらず、

三日三晩続いた。


カーネギーは73歳の高齢にもかかわらず

精力的で、年齢を感じさせなかった。


「現代は、これまでの哲学とは違った

新しい哲学が必要だ。

それは、万人が巨富を築くことができる哲学だ。

私のような人間が人生を通して学び、

そして編み出した成功のノウハウを

誰でも活かすことができるはずだ」と、

新しい哲学について延々と話し続けたのである。


ヒル博士は、いったいどうして、カーネギーが

自分をこんなに長く引きとめておくのか、

不思議でたまらなかった。


最後の晩、カーネギーは意外な提案をした。


「さて、私は君に三日間も『新しい哲学』の

必要性について話をした。

ここで、私から君に質問がある。

もし私がこの『新しい哲学』を

一つのプログラムにする仕事を頼んだら、

君はどうするかね。

もちろん、協力者や君がインタビューすべき

人たちには、紹介の手紙を書いてあげよう。

とりあえず500名だ。

この成功プログラムの編集には20年間の

調査が必要だが、その間、

君はこの仕事をやる気があるかね?

イエスかノーで答えたまえ」


(中略)


ヒル博士は「カーネギーさん、ぜひ、

やらせてください。その仕事を必ずやりとげると、

ここでお約束いたします」と答えた。


カーネギーは、「いい答えだ。気に入った。

君なら、きっとできるだろう。

ぜひ、やってくれたまえ」と返したあと続けてこう言った。

「ただし私から君への金銭的援助は一切ない。

それでいいかね?」


突然の決断を迫られ、さらにこんな20年間も

タダ働きをする条件を突きつけられたら、

誰だって断るだろう。

しかし、ヒル博士は「イエス」と即答した。


すると、カーネギーはポケットから

ストップ・ウォッチを取り出してこう言った。

「29秒。君が答えを出すまでに29秒かかった。

私は一分を超えたら、君を見込みのない人間

としてあきらめるつもりだった。

この種の決断というものは、

一分以内にできる人間でなければ、

その後、何をやらせてもダメなものなんだよ」


こうしてヒル博士は、

この面接試験のようなものをパスしたのだった。

おちにカーネギーが語ったところによると、

ヒル博士よりも前に260名以上の人に

同じ話を持ちかけたという。

しかしその結果は、全員失格だった。

カーネギーは、思いつきで

あのような提案をしたわけではなかった。


実際、カーネギーは、この仕事をするにあたり、

ヒル博士が会うべき人たちに紹介状を書いてくれる

ことと、取材に必要な経費を支払ってくれること以外、

何の援助もしなかった。


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ここまで読んで、「うん?」と気になったところは

なかっただろうか?


私の結論を先に書いておこう。


上記のエピソードは、全部作り話だ!

カーネギーが亡くなって何年も経ってから

ナポレオン・ヒルが創作したエピソードだ。


事実だとされている「不自然さ」にこそ

注目すべきなのだ


ヒントは、上記の本の文章にある。


(つづく)