目標を設定し、それに向かって緻密な計画を立て

必要な準備をして、一生懸命努力する。


目標を忘れたり見失ったりしないように

目標を紙に書き、毎日それを見ながら、

途中で出会う逆風や失敗にもめげず

ひたすら目標必達のため

脇目も振らず、ただがむしゃらに努力する。


そうすれば、必ずや「いつか」は成功する。

と、多くの成功ノウハウ本には書かれているが、

それって本当に正しいのだろうか?


さらに言えば、

歴史的な偉業を成し遂げた人や

現在大成功している人たちは

本当にそんな努力を重ねてきた人ばかりなのか?


結論から言えば、

そういう方法で成功した人もいるが

実は多くの成功者はそうではない。


当然のことだが、

育った環境の良し悪しも成功の成否には

ほとんど関係ない。


そいう実例を今後紹介していこう。

先ずは、ハリウッドスターの

アンジェリーナ・ジョリーとその父親の例だ。


ハリウッドスターでも、親や親戚が

映画関係者(俳優や監督やその他)で

親の七光りを利用しながらも、

親以上の大スターになった人もいるが、

そういう恵まれた環境で育ちながらも

親を超えられなかった俳優の方が

圧倒的に多い。


ブラッド・ピットの妻で女優の

アンジェリーナ・ジョリー

(誕生名: Angelina Jolie Voight)の父親である

スティーブン・ボイト(本名:Jonathan Vincent Voight)

は、苦労しながら認められた俳優だ。



あのダスティン・ホフマンと共演の

『真夜中のカーボーイ』(1969年)で注目され、

『帰郷』(1978年)でアカデミー賞主演男優賞を

獲得した渋い名演技が光る俳優だが

最近ではアクション映画での脇役が目立つ。

(彼は、基本的に頼まれたら

それがどんなB級作品だろうが断らない主義なので

ラズベリー賞も4度受賞している)



彼が演技を志したのは高校時代。

学園祭でシェークスピアの劇

『夏の夜の夢』に出たことがきっかけだ。

(高校在学中に、シェークスピアの芝居に出た

という経験を持っているアメリカ人は

かなりいるだろうが、それがきっかけで

俳優を目指した人は少ない。

ましてや、アカデミー賞主演賞を貰えるまで

成功した人はもっと少ないだろう)



彼の成功も、目標を立てて、それに向かって

必死に努力した成果だと言えるかも知れないが

もし、高校生の頃に学園祭でのお芝居に出て

「これが俺の天職だ!」と思わなければ

ハリウッドスターにはなれなかったし、

娘のアンジェリーナも生まれていなかったはずだ。

(彼の最初の妻、つまりアンジェリーナの母親である

女優のマーシェリン・バートランドと結婚したのも

彼が役者になったからだ)



アンジェリーナが幼い頃に

父親の浮気が原因で両親が離婚したため

俳優である父親の影響はほとんど受けておらず

父親を見て役者を志したわけではない。

(そういう意味では、彼女の成功に

親の七光りはほとんど影響していない。

母親も離婚後はアンジェリーナとその兄の

二人の子育てに専念するため女優を辞めている)



母親の再婚相手ビリー・デイが映画製作者だった

こともあり、14歳まで演劇学校へ通っていたが

その頃の将来の夢は「葬祭ディレクター」に

なることだったとインタビューで答えている。



ウルペンのドリームピラミッド-アンジェリーナ・ジョリー
Photo by Gary Lewis– ©1986 Gary Lewis– Image courtesy

<10才の時、58回アカデミー賞受賞会場にて、

父と兄のJames Havenと共に>



しかし、義父の仕事の関係でニューヨークから

ハリウッドへ転校すると、まわりのセレブの二世、

三世たちから浮いてしまい、たまたま誘われた

モデルの仕事に飛びついて休学し

モデルとして世界中を行き来するようになった。


当時の彼女は、近眼でめがねをかけて、

歯列矯正器具を歯につけており

しかもガリガリに痩せていたため

かなりいじめられたらしい。

(めがねを外し、笑わなければ10代の

モデルとしては十分通用した)



やがて復学するもやはり学校にはなじめず

うつ病になりナイフでの自傷行為を繰り返す

ようになり、家を飛び出し不良仲間と同棲し、

タトゥーも彫ったりするようになった。


彼女の自傷行為は20代前半まで続いた。

(同棲していた男性とのベッドインで

たまたま事の最中にお互いをナイフで気づけ合うと

普段以上に感じられたことも、

なかなか自傷行為が辞められなかった理由の

一つでもあるとか)


この時点で、彼女は将来女優になろうとか

実の父親を仕事で超えてやろうなんて

これっぽちも思っていなかった。


しかし、どうにか高校を卒業すると

アルバイトをしながらまた演劇の世界へ

戻っていった。自分を発散する場所が

欲しかったからだ。


たまたま大学生の兄が学生映画を撮るに当たり

出演を頼まれて出たこともあって、

少しずつ映画に出れたらと思うようになった。


その後、彼女の出ていた舞台を見た

映画関係者からのオファーもあり、

『サイボーグ2』(1995年)に

キャッシュ・リース役で映画初出演を果たした。


その後はとんとん拍子で出世し、

2011年5月、『フォーブス』誌電子版が

「ハリウッド女優の所得番付」を発表し、

3000万ドル(日本円で約24億円)で1位となった。


彼女は両親を超えただけでなく、

辛かった幼い頃の思い出や

過去の二度の不幸な結婚をも乗り越えたのだ。


2011年8月、

BANG Media Internationalによると、

ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが設立した

財団法人の納税記録が公開され、

2人が2009年だけで総額490万ドル

(日本円で約3億9,200万円)を

慈善団体に寄付していたことがわかった。


その寄付先は195万ドル(日本円で約1億5,600万円)

が両親の働いている家庭の支援団体に、

100万ドル(日本円で約8,000万円)は

国連関連の慈善団体に、

70万ドル(日本円で約5,600万円)は

子どものがん基金に、

また48万ドル(約3,840万円)は

自然災害に遭った街の復興期金などに使われている。


2人の友人は

「セレブたちの多くはブラピやアンジーから

学ぶことが一つや二つあるはずよ」と

その金額の大きさがうがかえるコメントをしている。


彼女の成功は、決して目標を立てて

それを見失なわないいように紙に書いて

脇目も振らずに努力し続けた結果ではない。


ひどい環境の中でも

自分が手に持っていないものを嘆くよりも

手にしているものに喜びを感じ、

出会いの流れに素直に身を任せた結果なのだ。


実はそういう出会いは誰にでも起こりうることなのだ。

但し、その出会いを最高のタイミングで

活かすには、その人の素直な心と誠実さが

必要だ。


瞳が曇っていては

チャンスの女神は見えないからだ。