普通の日本人に(最近は、何が普通で何が普通でないか

曖昧になってきたのだが・・・)、

「終戦日は?」と訊くと、大抵は「1945年8月15日」と答える。


「それは、終戦記念日でしょ?」と問い直すと

「えっ?」と怪訝そうな顔をする。


実は、「終戦記念日」と「終戦日」は違うのだ。


そもそも、対戦当事国同士、

何をもって「終戦」とするのか?


片方(大抵は敗戦濃厚な国)が、

「この戦争、もう止めにしませんか?」と言いだせば

「終戦」となるのか?否である。


先ず敗戦濃厚な側の国が

相手国に対して何らかの手段で「降伏」したいと

伝え、その旨を○月○日○時に

全兵士及び一般国民に公表する予定であることを伝える。


同時に、その公表でもって直ちに戦闘行為を終了するので

相手国も戦闘行為を終了して欲しいということも伝える。


この返事が、相手国から返ってきて

先ずは「休戦」の条件が同時に伝えられる。


終戦後、戦争責任者を裁判にかけるとか、

天皇の戦争責任は問わない反面、

前線の兵士の武装を直ちに解くことなど

そういう条件がいくつか相手国から突きつけられる。


これに、異議が出ないように、

予めこの条件について、関係者が水面下で

やりとりする。


大抵は、永世中立国のスイス在日本大使館の大使を通じて

相手国(アメリカ)の大使とのやりとりとなる。


何度かの文言の修正が繰り返された後、

ようやく「休戦条約」締結となり、

正式な「終戦条約」締結の日時も決定される。


これが済んでから、相手国も

敗戦国の首脳(天皇陛下)による

敗戦宣言の公表と同時に

前線部隊へ戦闘中止の指示が出ることになる。


だが、この時点では正式には「終戦」には

なっていないのだ。


「休戦」になったというだけである。


日本とアメリカを含む連合国との間での戦争は、

そういうプロセスを経てから

1945年9月2日、東京湾にやってきた

アメリカの戦艦「ミズーリ号」の甲板で

「平和条約」という条約文章に

双方の代表代理人がサインすることで

ようやく「終戦」となったわけだ。


つまり、1945年8月15日は、

前日の深夜に昭和天皇が録音された「終戦詔書」を

当日の正午にNHKラジオ放送から流した日であり、

それを記念して「終戦記念日」とするのは

その国(日本)の自由だが、

国際法上は上記のように、

「平和条約」に双方の代表代理人がサインして

初めて「終戦」となるので、「終戦日」は、

1945年9月2日となるのだ。