浜口直太氏のブログ、
「愛と幸せと成功を呼ぶ独り言」の
8月2日の記事に
「中途半端 」と題して次のような短い
一文があった。
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成功できない人
不幸な人の共通点。
それは何事も中途半端。
成功したければ
幸せになりたければ
まず一つのことを
徹底してやり抜こう。
人生が変わるから。
直太
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これは、多くの成功ノウハウ本に載っている
内容でもあるが、これが多くの人を
失敗に導く危険なアドバイスなので
あえて私のブログで反論を書いておきたい。
一読しただけでは
何ら間違っていないようなアドバイスだが、
そこに落とし穴がある。
次のようなケースを考えてみよう。
ロンドン・オリンピックの中継を
テレビで観戦していた女子中学生が
二人いた。AさんとBさん。
二人とも中学一年生で、12歳。
10月には揃って13歳になる。
身長と体重も同じ。
155cm、50kg。
この二人は、同じように
オリンピックの中継番組を観ていたのだが、
それぞれ全く違うスポーツの虜になってしまった。
Aさんは、女子重量挙げ。
58kg級で小柄な女性が自分の体重の倍以上の
重いバーベルを持ち挙げたことに
感動したのだ。
おまけに、腕相撲ではクラスの男の子にも
負けたことがなかったので、自分なら
努力すれば、重量挙げでオリンピックに
出られるのではないかと思ったのだ。
自分の体型も、重量挙げ選手に向いている
のではと自負するようになった。
Bさんは、女子バレーボール。
大柄な選手に交じって小柄でも
活躍している女性選手にあこがれたのだ。
背は低くても、目標を明確に持って
脇目も振らずに努力し続ければ
夢は絶対叶うと信じていたのだ。
彼女もAさんと同様、腕相撲では
身長180cmの男子を負かすほどの
パワーがあったのだが、
自分の体型には終始コンプレックスを
抱いていた。
9月、新学期が始まってから
Aさん、Bさんそれぞれが
2016年のリオデジャネイロ・オリンピックに
出場するという高い目標を掲げた。
Aさんは、先ずは帰宅途中にある
スポーツクラブに入会して、
筋力アップを図りながら、
どこで重量挙げを指導してくれるのか
探し始めた。
Bさんは、自分が通っている中学校の
バレーボール部に入部した。
しかし、一番最近の入部で、しかも
身長が部内で一番低かったため
1年生の間は、掃除やボール拾いなどしか
させてもらえなかった。
Aさんは、ツイッターやブログを通じて
知り合った人から、元オリンピック選手が
運営しているクラブがあることを知り、
電車で片道1時間以上はかかるものの、
スポーツクラブを辞めて、そこへ通うように
なった。
Aさんも、Bさんも同じくらいの情熱で
リオデジャネイロ・オリンピックに出場しようと、
それこそ、浜口直太氏の書いてるように
成功するまで続けるんだと猛練習を続けた。
Aさんは、筋力が次第にアップしていき、
体重も一年で5kgも増えた。
Bさんは、身長を伸ばそうと
ぶら下がり健康器具も購入して、
毎日自宅でぶら下がったり、
牛乳を毎日2リットルも飲み続けたが、
身長はわずか1cm伸びただけだった。
Aさんは、コーチの推薦もあって
全国大会に出場し、入賞するようになった。
Bさんは、2年生になっても
試合に出してもらえることは
ほとんどなかったが、努力だけは必死に続けた。
これは、私の創作だが、
AさんとBさん、どちらが
リオデジャネイロ・オリンピックに
出場する可能性が高いだろうか?
私は、Aさんの方だと思う。
それは、彼女が自分の「強み」を生かせる
努力をしていたからだ。
自分の「強み」と「弱み」をちゃんと把握した上で、
その「強み」を活かせるような努力を続けるべき
なのだ。
人生は短い。
自分の「強み」や「弱み」を知らず、
ただ「好きだから」というだけでがむしゃらに
努力を続けたところで、夢は実現し難い。
(そういう努力を「誤努力」という)
Aさんのように、既にある、
腕相撲が強いという自分の「強み」を活かしながら、
身長が低いという「弱み」を補うくらいの
努力を続ければ、高校生になって
58kgクラスでオリンピック出場も
決して夢じゃないのだ。
(八木かなえ選手の場合は、53kgクラスで
出場の重量挙げ選手だ)
自分の「強み」なんて、誰もが持っている、
「弱み」と同じくらい持っている。
それを知ることが一番大事なのだ。
それがあってこそ、「努力」も「継続」も
意味を成す。
その「強み」を目一杯活かせるよう努力する、
それが人生における、その人の「ミッション」だ。
成功した人たちは、皆己の「強み」を
活かせる努力を続けてきた人たちだ。
自分の「弱み」を克服しようと
がむしゃらに努力して成功した人は
非常に少ない(ゼロではない)。
アインシュタインは計算が大の苦手だった。
スティーブ・ジョブズは、コンピューターの
プログラムも書くことが出来なかった。
彼らが、自分の「弱み」を克服しようと
努力し続けていれば、
歴史に名前が残ることもなかっただろう。