2001年3月31日、

大津市内で集団リンチ事件が起きて、

16歳のA君が亡くなった。


このA君が亡くなるまでの3年間

通学していたのが、大津市立皇子山中学校だ。


昨年10月11日に、

飛び降り自殺したとされている

H君と同じ中学校にA君は通学していたのだ。


日付けが3月31日だったということは、

亡くなった当時のA君は

大津市立皇子山中学校の生徒ではない。


しかし、死亡原因は

今回のH君同様、同じ中学校にあった。


実は、A君は中三の夏に交通事故に遭うまでは、

サッカーが大好きで、ピアノも上手で、絵も得意

という明るい性格の子どもだった。


ところが、交通事故によって、

左半身不随となり、中学校を休学して

リハビリに専念することになった。


やがて、そんなA君に

同じ中学生の不良グループが近づいてきた。


やがて、不良グループは、

A君にたかるようになっていった。


彼らにお金を渡すために、

A君は必死にリハビリのために病院へ通い続け、

母親のする皿洗いを「リハビリだから」と言っては

代わりにするようになり、

励みになるからと言って、その都度お小遣いを

もらうようになった。


A君の母親は、そうやって息子にあげたお金が

不良グループに渡っていたとは

想像も出来なかった。

A君が、隠し続けていたからだ。


二学期も終わる頃になると、A君は

市内の普通高校へ進学するための

受験勉強に力を入れるようになり、

不良グループからの誘いを断るようになった。


その結果、A君は、志望校に合格したのだが、

それを見て、5人の不良グループは、

「生意気なヤツだ!」と、A君を

集団リンチすることを決意。


「高校入学のお祝いをしてあげるから、

一緒にカラオケに行こう」とA君を誘い出し、

近くの小学校の一角で、身体の不自由なA君を

死ぬまでいたぶり続けたのだ。


即死ではなく、通報によって救急車で運ばれた

A君に、搬送先の病院で対面した母親は絶句した。


A君は意識が既になく、脳死状態で

左目の瞳孔が開いたままだった。

全身ずぶ濡れで、あごの骨が外れ、

頭部もひどくはれ上がっており、

まるで別人のような有様だったとか。


5人の大津市立皇子山中学校卒業生は、

涙を流して、「やめてくれ!」と懇願するA君を

抱え上げて、コンクリート舗装の地面に

何度も繰り返し頭から叩きつけたのだ。


A君が、やがて意識朦朧となり、

口から泡を吹き、失禁してしまっても

そのおぞましい暴力は、止むことはなかった。


その結果、A君の脳内の出血がひどくなり、

頭が膨れ上がったため、開頭手術が

始められたのは明け方の3時過ぎ。


医師たちの賢明な努力のおかげで

一命は取り留めたものの、結局は

4月6日にA君は亡くなった。


今回のH君同様、A君の親は

大津市立皇子山中学校に

息子の死の原因究明に出向いたのだが、

H君の時と同じように、冷たくあしらわれた。


事件当日の校長である、

第16代校長(平成10年4月1日~平成13年3月31日)、

安藤 洋就も

A君が亡くなった時点での、

第17代校長(平成13年4月1日~平成16年3月31日)、

岡本紘忠も、「A君のリンチ事件は卒業後の

出来ごとなので、皇子山中学校とは関係ない」

という言い訳で終始。


A君の葬式に安藤元校長は出席すらせず、

謝罪の言葉もお悔やみの言葉も

一切なかった。


それでも、原因究明をとすがるA君の母親に

形式的な「アンケート調査」を在校生に実施するも、

「原因が特定できるような記述はなかった」として

アンケートそのものすら公表しなかった。


まさに、現在の皇子山中学校の

第21代校長(平成23年4月1日~)の

藤本一夫と全く同じ対応だったのだ!


それだけではない、第17代校長の

岡本紘忠は、生徒と教師に

「話題に出すな、聞かれても答えるな!」と

口封じを命令。

これもまた、藤本一夫と同じなのだ。



ウルペンのドリームピラミッド-藤本一夫

<藤本一夫校長>


H君の事件は、

11年前のA君の事件を何ら反省もしなかった

皇子山中学校の体質、

大津市教育委員会の体質が生んだものと

言えるだろう。



この記事は、削除されるまで継続する。