サラとジェームズの二人は、最初の息子を

Oliver Napoleon(オリバー・ナポレオン)と名づけた。

ナポレオンというそのミドルネームは、

彼の父と一緒に英国から移住してきて

家族にとって、成功した人物と思われた

叔父のジェームズのミドルネームから名付けられた。


恐らく彼らの長男も成功して欲しいという願いから、

両親は彼を「ナポレオン」と名付けたと思われるが、

結局、後になってナポレオンは自分の名前から

「オリバー」を完全に外してしまった。


しかし、ナポレオンの幼児期は、

成功とは全く縁遠いものだった。

彼は、引き起こした数々の悪戯などのために

隣人や家族からは恐らくワイルドで手に負えない子供だと

思われていたに違いない。


彼の大好きな気晴しの一つが、

丘の上から下に岩を転がすことだった。

ある日のこと、彼がころがした大きな岩が、

どうにか止まるまでに

いくつかのフェンスを突き破って、

ご近所の家まで壊してしまったことがあった。


ナポレオン・ヒル自身が引き起こしたいくつかの出来事のせいで、

両親は、彼が4歳になったときに

「せめて自分たちが畑で働いている間だけでも、

彼から目を離していてもいいように」、学校へ行かせ始めた。


ナポレオン・ヒルの乱暴な素行の原因の一つに、

彼の母の病弱な体質も影響していた可能性もあった。

サラ・ヒルについては、ほとんど何もわかっていないが、

ナポレオンが9才だったとき、彼女は亡くなったのだが

ナポレオンと彼の弟Vivian(ビビアン)には

ほとほと手を焼いていたと思われる。


母親が亡くなる頃には、ナポレオンは既に

自分自身のことを郡で一番のタフガイ(問題児)だと思っており、

父にとって深刻な悩みの種となる問題を引き起こしていた。


母親の死で、意気消沈するどころか

ナポレオンは孤独感を埋め合わすかのように、

悪ふざけや暴力行為に対する好みが、

さらに不吉な方向へと変わっていった。


ライフルで狩りをすることが若い男の子にとっても

一般的だった地域だったこともあり、

ナポレオンは、みんなの注目を浴びる新たな方法を見つけた。

彼は、本物のピストル(6連発銃)を携帯し始め、

彼の好きな西部劇のヒーロー、

ジェシー・ジェイムスになったかのように振舞い始めた。


1年後に、父親が再婚したときには、

ナポレオンの射撃の腕前と荒々しさは

さらにグレード・アップしており、

ゲスト川一帯の住民に恐怖心を拡散するまでになっていた。

ジェームズ・ヒルだけでなく、

ヒル一族にとっての悩みの種となったナポレオンを

何とか普通の男の子にしようと親族がいろいろ努力をしても

全く実を結ばず、頭痛の種は消えるどころか

益々増大していった。


若きナポレオンの将来の人生に対するヒル家の懸念には、

それなりの根拠があった。

1880年代と1890年代にヴァージニアとケンタッキーの

州境に住みついた大部分の人々が

勤勉でやりくり上手の信心深い家族だったのに対して

遠い山岳地帯に住む人々は、未開拓の森林地帯を

強盗や殺人に使われたピストルやナイフを携帯して

馬で通り過ぎる凶悪犯がいたこともあり、

自己防衛のためにそんな連中よりも

多くの武器を所持していたのだ。


若きナポレオンがアウトローになりたくて

その上年齢もハイティーンになっていたなら、

彼は、ほとんど文字通りのロール・モデル(そしてチャンスも)

を彼自身の裏庭で見つけることができたはずだ。




(つづく)


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【参考文献】

A Lifetime of Riches: Revised Edition/Michael J. Ritt
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ナポレオン・ヒルという人物は、

名前がよく知られている割にはその実像ははっきりしない。


アンドリュー・カーネギーのように

近代以降、存命中に成功した人は

本人の意向か周囲の意向かに関係なく、

自伝を書きたがる傾向にあるが、

中には、エジソンや最近のスティーブ・ジョブズのように

いろいろマスコミ向けに話すことが多かった割に

自伝を書かなかった成功者もいる。


事業で成功するということと、

正直に自分の人生を振り返って言葉で表現する

ということは違うということもその理由だと思われる。


但し、スティーブ・ジョブズの場合は、

優秀な伝記作家である、

Walter Isaacson(ウォルター・アイザックソン)の

インタビューに答えるという方法で伝記を残してくれた。


さて、同じように存命中(中年になってからだが)に

成功した、ナポレオン・ヒルだが、

彼の「自伝」は今もって出版されていない。


晩年は、全米各地でのセミナーや講演会で

忙しかったとはいえ、自伝くらい書く時間はあったろうにと

素人考えでは思ってしまう。


実際、調べてみると、

彼がタイプライターで作成し、手書きで修正を加えた

「自伝」の原稿が残されていることが分かった。


ところが、その「自伝」の出版を

遺族の一人であり、ナポレオン・ヒルの三番目の妻だった、

Annie Lou Hill(アニー・ルー・ヒル)が許可しなかったことで、

未だに我々は読むことが出来ない。

(彼女はナポレオン・ヒルの書籍の印税管理相続者。

 ちなみに、ナポレオン・ヒルは、彼女と離婚した後に

81歳で彼女の妹、レイラ・ベン・ハッチャーと

結婚している!生涯で4度目の結婚だ!)


しかし、晩年のナポレオン・ヒルの秘書だった

Michael J. Ritt Jr.(マイケル・J・リット・ジュニア)は

ナポレオン・ヒルの死後、遺族の許可を得て

その原稿を読むことができた。


そこで、その「自伝」そのままでは出版を

アニー・ルー・ヒルが許可してくれないため、

マイケル・J・リット・ジュニアは、

その自伝を読んだ記憶や直接接していた時の

ナポレオン・ヒルとの会話などの記憶を基に

彼の伝記を書くことにした。


但し、調査も含めて単独ではうまくまとまらず

ジャーナリストでフリーの作家でもある

Kirk Landers(カーク・ランダーズ)の協力を得て完成させたのが

1995年初版の”A LIFETIME OF RICHES”だ。


これまた残念なことに、

あれほどナポレオン・ヒル関連書籍をいくつも出版し、

なおかつ「ナポレオン・ヒル成功プログラム」と題した

超高額通信教育講座でも大儲けした出版社である

「きこ書房」は、17年経っても日本語訳を

全く出版しようとはしない。


アニー・ルー・ヒルが自伝の出版を許可しなかったのも、

この”A LIFETIME OF RICHES”の日本語訳を

きこ書房が出版しないのも同じ理由からだと思われる。


それは、「イメージが壊れる」からだ。


あの「経営の神様」と言われた松下幸之助も

現役時代に多くの経営判断ミスを犯しており、さらに

成功してから東京などに何人も愛人を作り、

子供まで生ませて認知していたことが

最近になって分かってきた。


その上、「松下政経塾」の初代塾長を

彼が尊敬する池田大作にお願いしていたことまで

週刊誌などで明らかにされた。


成功者のその「成功」によって(寄生して)、

本人が亡くなってからも多くの人が

お金儲けをしているため、やはり成功者の実像は

一般大衆には知られて欲しくないというのが

本音に違いない。


そこで、このナポレオン・ヒルについての

今のところ唯一のこの伝記を少しずつ紹介していく予定だ。