この記事は、中部大学教授、武田邦彦氏のブログから

記事の転載許可を得て、以前ネコペンギンのブログ

『幸せな成功のための魔法の杖』で連載しておりましたが、

2011年2月18日朝、アメブロによってそのブログが

突然削除されてしまい、ご紹介ができなくなってしまいました。


そこで、ウルフペンギンのこのブログで改めて

ご紹介していくことになりました。

なお、本文中の誤字脱字は訂正してありますが、

基本的に内容はそのままにしております。


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福島原発からの放射性物質が降ったところは

苦しんでおられるし、大震災の傷も治っていません。

でも、過去に起こった不幸を

できるだけ小さくすること(除染)とともに、

「災」をいかに「福」に転じるかも大きな力が必要です。


第二次世界大戦は人類にとって未曾有の災厄で、

日本は原爆を2発落とされ、うち続いた大量虐殺

(戦時にも許されない非戦闘員の大量爆撃死)を経験しました。

ヨーロッパではドイツもほぼ同じ打撃を受けたのです。


しかし、第二次世界大戦が終わって暫く経つと、

日本とドイツの復興がめざましく、

戦争が終わって30年もたった1970年代には

世界は、日本、ドイツ、アメリカを中心として

動くようにまでなったのです。


戦勝国だったイギリスは衰退し、

同じく勝ち組のフランス、オランダ、スペイン、ポルトガルなどの

「持てる国(植民地を持った強国)」は衰退しました。


勝つためには命をも投げ出す戦争なのに、

負けた方が繁栄するのですから、この世はおもしろいものです。

戦争中に

「戦争は負けた方が子供たちのためになるから、負けよう」

などと言ったら気が違っていると思われるでしょう。

私たちの知能も大したことはありません。


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大震災と福島原発事故も日本にとって大きな災厄でしたが、

それでも大東亜戦争の敗北(犠牲者310万人)に比べれば

小さいとも言えます。

そこで、この災を福となすべく、なんとか頑張りたいと思います。


「歴史に学ぶ」と言いますが、

なぜ戦勝国が衰退し、敗戦国が繁栄したかというと、

そこにはいくつかのヒントがあります。


1)負けたので古い人が総退陣した

(やり方は悪かったが戦犯として退陣した。

そして松下幸之助、本田宗一郎に代表される

新しい人が登場した)、


2)負けたので古い制度が一掃された

(やや行き過ぎもあったが、もっとも強力な軍部、枢密院、

貴族院などが無くなり、

憲法も学校制度も何もかにも変わった)、


3)日本を占領したのが衰退するソ連ではなく

発展するアメリカだった、 


4)日本人がアッサリした、こだわらない性質だった、


などと考えられます。


今回も同じようなことが言えると思います。 

まず、

1)古い人に総退陣して貰う、 


2)古く強力な組織を解体する、 


3)日本の明るい将来像を描く、


4)もちろん原発は廃止、 


などができれば災いを転じることができるでしょう。


人間は過ちを犯すものですが、潔く責任をとり、

後進に道を譲ることが大切でしょう。

大東亜戦争を始めたのが間違っていたのか、

正しかったのかはなかなか難しい問題です。

単に戦争(力)で負けただけで正義が日本にあったか

アメリカにあったかは判りません。


でも、「勝とうと思って負けた」のは事実であり、

「310万人を失った」のも事実ですから、

自分が正しいかどうかは別にして

「失敗したら後退する」ことによって

新しい日本ができたのではないかと思うからです。


310万人を失って徹底的にアメリカにやられたから

人心を一新することができたけれど、

東北大震災や福島原発ぐらいでは粘るということになるのか、

それとも60歳以上の指導層が反省して、

第一線から引き下がるか、

そこに日本人の知恵と覚悟が示されると思います。


(平成23年11月9日)

武田邦彦


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第二次世界大戦の原因と敗因を分析するのは、

武田教授の書いている通り、一筋縄ではいかない。


確かに、「東京裁判」で多くの「戦犯」が処刑されたり、

禁固刑に服したが、死刑になった者や自殺した者以外は、

後に釈放され、その多くが人脈や過去の功績によって

戦後何年も経っても、権力を行使していたのである。


武田教授の書いているように、

決して「一掃」されたわけではない。


武田教授の理屈から言えば(私も同感だが)、

「勝とう」と思い、「勝てる」と信じ込んで戦っても、

その結果として、日本国民を310万人を死なせたとしたら、

その決断(戦争をするという決断)に加わった者は

全員が責任を取らなければならない。


その理屈から言うと、

昭和天皇が「全くの無罪」ということは、不自然なのだ。


万が一、当時の国民感情や国内統治の一面から

退陣は望ましくないと判断がなされたとしても、

国内情勢が落ち着いてから、

昭和天皇自ら申し出て、弟の秩父宮に「天皇」という皇位を

譲り、隠居すべきであった。

(秩父宮には女の子しかお子さんがいなかったといこととは

関係なく、そうすべきであった)


そうしなかったことで、

昭和天皇は重大な過ちを犯したと私は考える。


そして、この国の「象徴」がそうしなかったがために、

日本は戦後の繁栄の中で「責任を取らない」国に

なり下がってしまったのだ。


そして、真のリーダーシップを発揮できないような人物が

形だけのリーダーとなり、

その椅子に座る人物が交代しようとも、

何十年にも渡って

誰もが問題を先送りしてきただけなのだ。


その「ツケ」は、我々や我々の子孫が支払うことになる。


この国は、今、ゆっくりと沈みつつある。



by ウルフペンギン