ナポレオン・ヒルは、1883年10月26日、

バージニア州南西部のワイズ郡で

荒れ狂った世界を変えるべく、

Sara(サラ)とJames Hill(ジェームズ・ヒル)の夫妻の

最初の子供として生まれた。

(日本だと明治15年にあたる)


しかし、人生を始めるには面白くも難しい時代だった。

西部では、アメリカ政府の始めた戦争の

最後の幕が下ろされようとしていた。


先住民のインディアンとの戦いで有名な

George Armstrong Custer (カスター将軍)が亡くなって、

ちょうど7年経っていた。

彼に打ち勝ったSitting Bull(シッティング・ブル)が、

つい最近になってようやく追放されたという時代だ。


Geronimo(ジェロニモ)を含む

Apache(アパッチ族)の酋長たちは、

アメリカの南西部で自分たちの自由を守るために

まだ戦っていた。

そして、彼らの奇襲ゲリラ作戦行動によって

インディアンとの戦いの終結が

さらに2、3年延長されることになった。


しかし、アメリカ政府が西部開拓を終えようとしていた頃、

政治や経済の焦点は東部へ移っていった。

そこでは、従来の資本家と地主階級たちから

工業と商業の拡大によって自分自身の帝国を築こうとする

新世代の大物資本家たちに、権力は移行していた。


ナポレオン・ヒル誕生の頃には、

全米各地の工場や搾取工場では、

ナポレオン・ヒルの人生で起こるような激しい対立の嵐が

緊張する労使間で狂ったように吹き荒れており、

1886年に起きたヘイマーケット広場暴動において

それは頂点に達した。


それでも、1880年代と1890年代は

権力と富を手にする地位にまで上り詰めようとする

名もなき男たちの絶え間ない行列によって、

アメリカン・ドリームが以前にも増してより明るく、

より目にみえて開花する時期でもあった。


当時最も有名な人物の一人に、

Thomas Edison(トーマス・エディソン)がいたが、

彼はナポレオン・ヒルが生まれた頃には、

既に発明者としての名声と富をしっかりと掴んでいた。


まさに、ヒル誕生の2、3ヵ月前に、

インディアナ州のフォートウェインで、

アメリカにおける野球の初のナイター試合のために、

エジソンの発明した電球によって、

球場が照らされた。


もう一つの有名な例として挙げられるのは、

Andrew Carnegie(アンドリュー・カーネギー)だ。

彼は、苦労して貯めた資金を元手に

1873年に始まったばかりの産業分野での

新たな会社の設立に賭けた結果、

自力で成功して大富豪となった移民だった。


ヒルが誕生した10年後には、

Carnegie Steel Company(カーネギー製鋼会社)は

すでに世界第一の製鋼メーカーとして知られており、

また、アンドリュー・カーネギー自身も

これまでに貯められた個人資産の中で世界一という

史上最高の大富豪へと到る道半ばだった。


中流もしくは貧困層に生まれた他の何百万人もの

当時の一般的なアメリカ人と同じく、

ヒルが崇拝にも似た情熱で

エジソン、カーネギー、ヘンリー・フォードやその他の

独力で成功した多くの男たちを賞賛するようになるのは

自然な成り行きだった。


何百万人もの他のアメリカ人のように、

彼は、他の人が失敗するようなケースで成功する人々について、

その理由を、興味を持って探ろうとし、

そして、どうすれば自分も金持ちや権力者の仲間の一人して

人生を送れるかを知ろうとした。



何百万人もの他のアメリカ人のように、

これらの巨人たちに会って、

彼らに感銘を与えて、彼らの驚くべき成果を生んだ

知恵を集めることを、ヒルは夢見るようになった。


しかし、その他数百万人ものファンや

知りたがり屋の大部分の人たちとは違って、

ナポレオン・ヒルは自分の夢を実現する運命にあった。


彼は、アメリカの最も偉大な成功者たち(の中の多く)に

単に会って感銘を受けただけでなく、

彼らの成功の秘密を引き出して、

世界中にそのことを伝えることに、

彼は大人になってからの残りの全人生を費やしたのだ。


(つづく)


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ナポレオン・ヒルという人物は、

名前がよく知られている割にはその実像ははっきりしない。


アンドリュー・カーネギーのように

近代以降、存命中に成功した人は

本人の意向か周囲の意向かに関係なく、

自伝を書きたがる傾向にあるが、

中には、エジソンや最近のスティーブ・ジョブズのように

いろいろマスコミ向けに話すことが多かった割に

自伝を書かなかった成功者もいる。


事業で成功するということと、

正直に自分の人生を振り返って言葉で表現する

ということは違うということもその理由だと思われる。


但し、スティーブ・ジョブズの場合は、

優秀な伝記作家である、

Walter Isaacson(ウォルター・アイザックソン)の

インタビューに答えるという方法で伝記を残してくれた。


さて、同じように存命中(中年になってからだが)に

成功した、ナポレオン・ヒルだが、

彼の「自伝」は今もって出版されていない。


晩年は、全米各地でのセミナーや講演会で

忙しかったとはいえ、自伝くらい書く時間はあったろうにと

素人考えでは思ってしまう。


実際、調べてみると、

彼がタイプライターで作成し、手書きで修正を加えた

「自伝」の原稿が残されていることが分かった。


ところが、その「自伝」の出版を

遺族の一人であり、ナポレオン・ヒルの三番目の妻だった、

Annie Lou Hill(アニー・ルー・ヒル)が許可しなかったことで、

未だに我々は読むことが出来ない。

(彼女がナポレオン・ヒルの書籍の印税管理相続者。

 ちなみに、ナポレオン・ヒルは、彼女と離婚した後に

81歳で彼女の妹、レイラ・ベン・ハッチャーと

結婚している!生涯デ4度目の結婚だ!)


しかし、晩年のナポレオン・ヒルの秘書だった

Michael J. Ritt Jr.(マイケル・J・リット・ジュニア)は

ナポレオン・ヒルの死後、遺族の許可を得て

その原稿を読むことができた。


そこで、その「自伝」そのままでは出版を

アニー・ルー・ヒルが許可してくれないため、

マイケル・J・リット・ジュニアは、

その自伝を読んだ記憶や直接接していた時の

ナポレオン・ヒルとの会話などの記憶を基に

彼の伝記を書くことにした。


但し、調査も含めて単独ではうまくまとまらず

ジャーナリストでフリーの作家でもある

Kirk Landers(カーク・ランダーズ)の協力を得て完成させたのが

1995年初版の”A LIFETIME OF RICHES”だ。


これまた残念なことに、

あれほどナポレオン・ヒル関連書籍をいくつも出版し、

なおかつ「ナポレオン・ヒル成功プログラム」と題した

超高額通信教育講座でも大儲けした出版社である

「きこ書房」は、17年経っても日本語訳を

全く出版しようとはしない。


アニー・ルー・ヒルが自伝の出版を許可しなかったのも、

この”A LIFETIME OF RICHES”の日本語訳を

きこ書房が出版しないのも同じ理由からだと思われる。


それは、「イメージが壊れる」からだ。


あの「経営の神様」と言われた松下幸之助も

現役時代に多くの経営判断ミスを犯しており、さらに

成功してから東京などに何人も愛人を作り、

子供まで生ませて認知していたことが

最近になって分かってきた。


その上、「松下政経塾」の初代塾長を

彼が尊敬する池田大作にお願いしていたことまで

週刊誌などで明らかにされた。


成功者のその「成功」によって(寄生して)、

本人が亡くなってからも多くの人が

お金儲けをしているため、やはり成功者の実像は

一般大衆には知られて欲しくないというのが

本音に違いない。


そこで、このナポレオン・ヒルについての

今のところ唯一のこの伝記を少しずつ紹介していく予定だ。